2.事件の報告
「――ということがあった」
ここはいつもの喫茶店である。μはナツノの対面、マドカの隣に座っている。μは2人に先日の襲撃事件について、できるだけ詳細に説明した。2人は度々相槌を打ちながら、μの話を聞いていた。
ウェイターが注文を届けに来る。
「お待たせいたしました」
ナツノはいつも通りアイスコーヒー、マドカはコーヒーゼリー オン ザ ミルクソフトとアイスコーヒー、μはいつもの通りレモンティーだが、今日はホットではなくアイスティーである。
コーヒーゼリー オン ザ ミルクソフトなるものは、テーブルに端に置かれた『本日のオススメ』のメニューで、牛乳ソフトクリームの上にコーヒーゼリーが乗ったカップアイスである。
「マドカちゃんは何にする?」という問いに「これ~」とゆるーく指差したものである。写真はカップアイスなのに、パフェ用の器で出てきたのはサービスなのか愛嬌なのか。
中断された話を再開する。
「そんなことがあったわけね。でも、魔法使いに襲われるなんて、よっぽどのことよ? 襲われたのってどのあたり?」
「んー、街の外れの、」
スマホを取り出してマップアプリを開き、2人にも見えるようにテーブルに置く。
「ここ。墓地だよ」
「墓地なんかで?」
「まあ、どこからか、尾けられていたんだろうな。人気もないし、襲うのには好都合そうだし」
「女の子を襲うなんて最低だよね」
こういう話にはあまり口を挟まないマドカが相槌を打つ。この手の会話には頭が追いつかないし、自分の不要な発言で真剣な会話を止めたくないのだ。
「ほんとね。それで、そもそも何で魔法使いの殺し屋に襲われてるの? もしかして私が巻き込んだ? それなら謝るわ」
「いや、きっと私のせいかと」
「? 何したのよ?」
「暇つぶしにとある会社にハッキングしたら、裏帳簿見つけて、税務署に送っただけ」
「あんたねえ」
ハッキングなるものがどれほど高度なのか分からないが、以前に、チャットルームの自己紹介欄に
名前:μ
年齢:10代
性別:♀
職業:スーパーハッカー
趣味:バイクいじり
と書かれていたことを思い出す。その時は嘘だと思っていたが、全部、真実だったようだ。
「でもおかしいな。別の会社のPCを踏み台にしたから、足はつかないはずなのに。漫画喫茶から入ったわけだし」
「追跡に特化した魔法使いもいるし、魂をネットに移した魔女だっているらしいわよ。アキが言ってたわ」
アキとはアキツグのことで、炎の魔法を使うナツノのボディーガードである。特技は燃やすこと、焦がすこと、炭にすること。それしか能がない。ナツノにはアキの名称で呼ばれている。頭はいいが言葉足らずなときがよくある。
ナツノの説明に、また魔法か……ネットは私の独壇場なのに、という不満をμは飲み込む。
「クラスメイトも巻き込んじゃったし、なんとかしないと」
「クラスメイト?」
「ん。幼なじみの。ケイタってんだけど。偶然、居合わせちゃって」
「ふーん。言えた義理じゃないけど、私もよく人を巻き込んじゃうから、気持ちはよく分かるわ。ところで、ケイタさん、年下ならケイタくんでいいかしら? 頼りになるタイプ?」
「へ? うーん、まあ、空手やってるし。でも、魔法とか関わってくると話しは別だろ?」
「まあ、そうよね。ふむふむ」
? 何がふむふむなのだろう。
マドカは美味しそうにアイスを頬張っている。
「マドカって、摂取カロリー全部、胸に行くの? 羨ましいわ」
「ええ!? わからないけど……」
「なぬ!?また大きくなったの? で、ナツノもこれくらい欲しいの?」
μがマドカの胸を見ながら言う。
「そうねー。でも別に今のままでいいわ」
「そう? アキツグはもっと大きいのがいい、って言わないの?」
「あのバカがそれ言ったら、私、彼を殺してるわ」
ナツノの目が怖い。あはは、とμが笑ってごまかす。
不意に、μがツン、とマドカの胸を突く。「きゃっ」と身をよじらせて短く声をあげる。
「も、もう、μちゃん!」
「やっぱり、Dもあると柔らかいよね。これがFになるのか。うーむ。ね、それおいしい?」
「う、うん、おいしいよ? あとDの次はEだよ?」
マドカのツッコミを無視して「ちょーだい」とアイスをせがむ。
スプーン乗せて差し出されたアイスを頬ばるμ。「えい」と隙をついて、今度はマドカがμの脇腹あたりにツンとつく。
「にゃあ! ちょ、ちょっとぉ!」
「えへへ、仕返し~」
へえ、にゃあって鳴くんだ。なんか、ほんと仲がいいわね、とナツノは2人の様子を眺めている。
グラスを傾け、アイスコーヒーを口に含む。今日のブレンドは、コクを強めて代わりに苦味が抑えられている。アイスでもこういう出し方ができるんだ、とナツノは思う。
マドカがお手洗いに席を立つ。必然的に、ナツノとμが2人になる。これはチャンスとばかりにナツノが訊ねる。
「ねえ、μさん。あなたさっき、幼馴染で、クラスメイトのケイタくんが、私よりも年下だってこと否定しなかったわよね」
「へ、な、なんで?」
突然の指摘に困惑する。そういえば、年下であるということを、さらっと話に出された気がする。事実だから、気にもしなかった。
「ということは、あなた、私たちの1個下ということね」
「ぬ。いや、別に秘密にしてたわけじゃないぞ。聞かれなかったから、答えなかっただけだ」
「ふむふむ。それで、最近気づいたのだけれど、あなた、マドカの事、『お姉さん』としてみていない?」
「ぬあ!? な、なんのことかな」
「ふーん。なんだか、友達として接している感じもしないし、恋愛対象としてとも違うのよね。嫉妬心とかそういうの感じたことないもの。へー。やっぱり、そういうことね」
「な、なんだっていいだろ」
顔を赤くして、目を背ける。
「マドカに甘えたいの?」
「ま、待った! それ以上はダメ、言うな!」
「ただいま、何の話?」
「おかえり、マドカ。μさんがね、」
「だー! 憶測でものを語るなー!!」
「はいはい、わかったわ」
「?」
「マドカちゃんには秘密」
「えー」
「さ、それじゃあ、そろそろ出ましょう。μさん、助けが必要なら言って。アキに頼めばすぐに解決するわ」
ナツノはキャスケット帽を被り、立ち上がる。
「ん。でもアキツグに頼んだら人が死ぬだろ。それは本望ではない」
ナツノが苦笑する。
「確かにね。でもケイタくんのこと、これ以上巻き込んじゃダメよ」
「わかってる。今日にでも、謝ってくる」
「μちゃん、頑張ってね」
「おう」
別れを告げて、ナツノとマドカは店の外にいたアキと一緒に駅へ向かい、μはバイクに乗って帰っていった。
μはマンションの駐車場にバイクを駐め、ドア横のカードリーダーにカードキーを通して中に入る。エレベーターに乗り、部屋のある階のボタンを押した。エレベーターの扉が閉まり、上昇する。
「はあ」とため息を吐き出す。外にいると、どこで突然襲われるのかと、気を張ってしまう。
玄関横の棚にヘルメットを置いて、部屋の中に入る。
「ケイタのところに行く前にシャワー浴びよ」
脱いだジャケットや諸々を無造作にソファにかけて、バスルームに移動する。
温めのシャワーで汗を流す。
「ふんふん♪」
ケイタのマンションどこだったかな。確か橋を渡ってすぐだったはずだけど。




