1.消えた魔法使い <異世界転移の七日前> ★
『人を探しているんです。赤色の髪の人』
清潔感のある白い部屋で、身を起こしたナツノが、さらにノートパソコンのキーを叩く。
『それしかわからないのですけど』
すぐに返信が返ってくる。
『外人探し?』
『そんなの今どき普通過ぎ。それで見つかると思っているの?』
『バカなの?』
悪意のない悪意。ナツノの心を逆撫でする。
こ、こいつら……。
チャット画面を映し出すノートパソコンの画面を殴りたくなる衝動を抑える。
『違います。燃えるような……本当に炎のような髪の』
『なんだそれww』
『火だるま殺人事件w』
うまく伝わらないことに、茶化されることにイライラし、口角を下げざるを得ない。
……彼のその髪の色の印象が強すぎて、それ以外の外見の特徴が、ぼやけて、黒塗りのシルエットとしてしか思い出せない。
インターネット上のいろいろなチャットルームから、ここの地域のタイトルがついたチャットルームを選んでは見たものの……。
暇つぶしに、他愛も無い雑談をする程度のことなら良くても、真面目な話には誰も取り合ってくれない。
こんな方法で情報収集なんて、やっぱり無理かしら。
はあ、とナツノはため息をつく。
画面の右下に表示される時刻は夕方5時を過ぎたあたり。開けていた窓のから入る風がレースのカーテンを揺らす。ベッドの上のナツノの頬を撫でる風は、もう緩くない。
ノートパソコンをたたんで、レース越しに外を見る。もう日が沈みかけていて、夕日が辺りを赤く染めている。
あの人の髪はこの夕日よりも赤かった。
コンコンコン。
律儀に、三度のノック。
廊下に通じる扉に目を向けず、
「入っていいわよ」
ノックの仕方、その前に聞こえた革靴がリノリウムの床を叩く音。誰が来たのかは明白。
ナツノの合図で、病室の外を守るボディーガードが、扉を開ける。
「待っていたわ。始めましょう」
「はい。それでは、お嬢様、横になって、目を閉じて」
入ってきた初老の男の手が、ナツノの額に触れる。今日もまた、彼の催眠が、ナツノを夢へと誘う。
* * *
過去を思い出すように、夢を見る。それは、この物語りの始まりというに相応しい夢。
「お嬢様、不束ながら今日からお嬢様の護衛役を担うことになりました、xxと申します。よろしくお願いします」
赤く、燃えるような髪の男はそう言った。
私はグランドピアノに片肘を突いて、その人を眺める。
なんだか、自信に満ちた目が印象的、……だったような気がするのだが、顔の部分がぼやけている。名前もちゃんと聞き取れない。よく私をおちょくるふざけたやつだった気もするけれど、それもやっぱりよく思い出せない。
夢のくせに、私の都合には合わせてくれない。
「よろしく。私が殺されないようにせいぜい頑張りなさい」
私はいつものように答える。
私のボディーガードはコロコロ入れ替わる。その理由をはっきり聞いたことはないけれど、きっと私の代わりに怪我を負ったか、もしくは…………。
シーンが飛ぶ。これは登校中のこと。
運転手はxxで、私は後部座席。確かのこの日は夏の終わりだったはず。
「お嬢様、来月は修学旅行のご予定でしたね。私の姿は見えないでしょうが、それでもちゃんとおそばにおりますのでご安心ください」
修学旅行……このイベントは中学3年生の秋の始まりにあるアレだ。
「そんなところまで付いてくるの? xxも大変ね」
ねぎらいのつもりで、ぶっきらぼうだけれど、そう返したような気がする。xxはその後も何か言っていたが覚えていない。
その直後だ。
けたたましいブレーキ音。ドンと右から衝撃が走り、私は強かに頭を車の窓にぶつけた。
「いったぁ!」
「お嬢様、大丈夫ですか!? 頭を抱えて伏せて!」
反射的に言われた通りに頭の後ろに両手を回して上半身を伏せる。伏せる直前、ちらりと外の景色が目に入る。どこにでもありそうな白いバンが、私たちの乗る車の右ヘッドライト辺りにめり込んでいる。
バシッバシッ、と何かが窓に当たる。多分、銃弾が防弾ガラスに弾かれた音。
「相手には発砲許可が出ているのか。厄介だな」
xxはギアとハンドルを操り、急加速でバックすると、続けて前方に急発進させて、凹んだ白いバンの横をくぐり抜ける。
後ろから追ってくる気配――。
「しつこい奴らだ」
xxは小さく呟き、何かを口ずさむ。小さく、けれど力強い何か。途端、後ろから轟く爆発音。
「もう大丈夫ですよ」
頭を上げ、後ろを振り向くと、赤い炎と黒い煙を上げたバン。それはどんどん小さくなっていき、景色と同化する。xxはもう、何事もなかったかのように、車を運転する。
「今の、何? すごい!」
「魔術とも、魔法とも呼ばれるものですよ、お嬢様」
「ま、ほう……?」
燃えるように赤い髪を携えた男は言った。これが、私が初めて魔法を目撃した日。
夢だけれど、これはきっと私が忘れてしまっていた記憶の一部。ちょっとだけだけれども、今日も少しだけ思い出せた、大切な記憶。
* * *
「あ、ナツノちゃん、起きた?」
しゃりしゃりとりんごを食べるマドカがいた。女子っぽいゆるふわな私の友人。
「マドカ、来てたんだ。今何時かしら?」
「8時半。ナツノちゃん、ぐっすり寝てるみたいだったから、りんごむいて待っていたの」
「ないみたいだけれど?」
「あまりに起きないから食べちゃった。てへ」
「てへ、じゃない」
「もう一個、持ってきたから大丈夫。ちゃんと剥いてあげるよー」
「じゃなくて。ここにはあまり来ない方がいいって言ったでしょ?」
私といると命の危険さえある。
「気にしないで大丈夫だよ。それに、こんな人の多い病院で何も起きないよ」
「むしろ、人が多い方が危険なの。人ごみに紛れて襲ってくることだってあるんだから」
「人混みなんてないよ? もう面会時間過ぎてるもん」
忍び込みました、と戯けたように付け加える。
「言っていること矛盾しているわよ。尚更、ダメじゃないの」
病室の入り口にはボディーガードがちゃんといるけれども。それでも、彼らじゃ頼りなく感じてしまう。
「はい、あーん」
「1人で食べれるわよ」
言いながら、フォークに刺さったりんごを一口かじる。
「あーあ、もう。もったいないなぁ。ナツノちゃんの黒髪姫カットロング好きだったのに」
マドカがため息をつく。
「仕方ないじゃない。毛先の方、チリチリになっちゃったんだもの。私はこれも気に入っているけど?」
身長の半分ほどのあった髪の毛もあいつのせいで焦げてしまった。あのバカが炎の魔法しか使えないのが悪い。
仕方ないから、肩ほどまでバッサリ切った。
…………。
私はあいつのことを『あのバカ』と心の中で悪態ついていた、そんな記憶がぼんやりとある。名前も思い出せないから、あいつの名前なんて『あのバカ』で十分ね。
「それで、愛しのボディーガード様のこと、少しは思い出せた?」
「っ――! 誰が愛しのよ!」
「えー、前、かっこいいとか頼りになるとかいろいろ言ってたよー?」
「知らないわよ、そんなの。適当なこと言わないの」
全く記憶がない。そうだったかもしれないけれど、記憶がないものはない。
不思議なことに、両親や他のボディーガードに聞いてみても、そんな人は知らないという。マドカだって会ったことがあるはずだ。それでもマドカの記憶からも、あのバカのことだけすっぽりと抜け落ちている。
あのバカは、皆の記憶から失踪えてしまった。
「あ、そうだった。忘れる前に、ナツノちゃん、これ!」
マドカの言葉で考えるのをやめさせられた。差し出された紙袋には大きくM&Hのロゴ。
「それは何?」
「この間、着替えが少ないって言っていたでしょ? ふふふー、買ってきたのー」
確かにこの間、そんなことをマドカの前でぼやいた気がする。この子は基本、気がきく。
「マドカ、ありがと」
「うん。あ、それより見てみて! 気にいると思うの!」
なんだかマドカのテンションが高い。紙袋を受け取り、中に入っているものを取り出す。出てきたものは、白のワンピース。
「丈が短過ぎるような気がするけれど、マドカ?」
「ナツノちゃん、足、すらっと細くて長いからそういうの似合っていいよねー。羨ましいなー」
「聞きなさいよ」
褒められてもアレなので文句を言う。ついで、紙袋の中に手を突っ込む。
「そっちはね、ボディーガードさんと再会したとき用ー!」
「? ――って、ちょっ!」
マドカのセリフも相まってカーッと体温が上がるのを感じる。手にしたものは、シルクの白のブラと、紐パン。
「マドカさん……?」
思わず『さん』付けになる。
「えー、何? 気に入った? 気に入った? 高かったんだよー。今月残り30日もあるのにピンチになっちゃった」
「ピンチになるなら買わなくていいから!」
マドカはニマニマと笑っている。このやろう。
「えー、でも好きな人に会う時は、下着のコーデも大事って、前にナツノちゃんが言ってたんだよ??」
「いや、あのバカのこと、す、好きじゃないし、意味わからないし。そもそも、あれは雑誌に書いてあった一般論よ」
顔も覚えていないあのバカのことなんか知らない。名前すら思い出せないんだもの。きっと、好きなんかじゃないわ……。
マドカが帰った後、ナツノは、ぎゅっと枕を抱きしめた。
完結済みですが、挿絵を追加中(6/17~)。