タイムカプセルを埋めよう
一日の授業は滞りなく終わり、部活に精を出す。頭がこんがらがっている時は運動するに限る、と今日ほど思った事は無い。汗を流せば余計な思考も一緒に流れ落ちて、頭の中がクリアになってくれる。雨が降ったり止んだりの中途半端な天気の中、無心でボールを追いかけてラケットを振った。
部活が終われば途中まで圭介と龍雄と一緒に帰り、流れ解散。朝からずっと漂っている梅雨らしい湿気を多く含んだ空気を切り裂くように自転車で走って風を受けるのが火照った体に心地よい。天気予報によると、これから夜中にかけて晴れ間が出てくるそうだ。
自転車を漕いで走らせ、そして俺はまた例の神社にたどり着く。今日は今までのふらりと立ち寄るような物ではなくて、最初からここに寄ろうと決めていた。昨日この神社で出会った人の言葉がやけに頭に残っていて、あの言葉が俺にそうさせた。
自転車を降りて、じっと鳥居を見上げる。
俺は多分、何か大事なものを見失っている。もしくは、迷っている。その事を決して途中で放り出したりしないから、どうか悪い方向に転がらないように見守っていてほしい。
そんな心づもりで、一礼の後鳥居を潜り抜けた。
俺の事を奇特な人間だと思った同級生たちは、もし俺が神頼みする姿を見たらさらに引いてしまうだろうか。心配されるだろうか。それでも良い。このモヤモヤとした矛盾のある夢から早く醒めてしまいたい。その一心で今日も参拝をする。
薄暗い神社の中にたった一人でいると、なんだか五感がすごく研ぎ澄まされるような気がする。古い木の匂いや、ピリピリと肌を刺すような張り詰めた空気に触れて、夏の虫の鳴き声や木々のざわめきが耳を震わせ……そして。
「白い……キツネ……?」
神社にある、山へと入るための小さな入口。そこに、真っ白なキツネが鎮座し、こちらをじっと見つめていた。夕暮れ時でも銀色に輝いて見える白く美しい毛並と、遠くから見ていてもわかる、強い意志が宿っているように見える青い瞳。古ぼけた神社の中にあって、その存在はまるで浮彫にされているかのようで、それと一度目が合うと何故か眼が離せなくなった。
――その神様のな、この山に伝わる昔話があって……
頭の中に、そんな言葉が鮮明に流れた。聴きなれているような、でも初めて聴いたような、自分でも表現していて意味不明なのだがとにかくそんな声が、言葉が、流れ込んできてますますその白いキツネに目を奪われてしまう。キツネはすっと立ち上がり、振り返って山の入口へとゆっくりと歩いていく。数歩歩いて、そして立ち止まり、顔だけこちらに振り向いた。まるで、付いてこないのか?と尋ねるような青い瞳。
その時俺は、何故だろうか何も考えることが出来ず、まるでエサに吸い寄せられるかのように、ほぼ無意識でフラフラとその白いキツネに歩み寄っていた。キツネはそれを確認すると、こちらが見失わない程度に前へ進んでは振り返り、前へ進んでは振り返り、山へと続く道を歩いていった。
「一体、何処に連れて行くつもりなんだ……?」
話しかけても狐が答える筈もなく、十数歩先の距離を開けて淡々と歩いている。10分か15分か、山の中は風の通り道が幾つもあって、自宅よりも涼やかなのは間違いないのだが、しかしこの時期に山道を歩いていれば当然汗ばんでくる。額に浮いてきた汗を手の甲で拭うと、そのせいで一瞬だけ視界は閉ざされて、そして手の甲をどけると、白い狐の姿は見えなくなっていた。
「え?」
その一瞬の消失に、思わず声を出してしまった。いくら俊敏な野生動物でも、この1秒の間に音もなく姿を消すことは出来るのだろうか。辺りを見回しても、あの目立つ白い狐はどこにも見えない。最近記憶があやふやで自分でも頭がおかしくなったとは思っていたけれど、まさか幻覚まで見始めたのではないだろうか、と少し心配になってきた。
はあぁ、と大きくため息を吐いて、この状態をどう着地させるか考える。しかしもうそろそろ完全に日が暮れそうだ。昔はこの山をよく駆け回っていたとはいえ、電灯も殆ど無いこの山中で夜を迎えるのは嫌だ。来た道をさっさと戻ろう。そう思って振り返った、その時だった。
「っ!?痛っ!!」
右手に激痛が走り視線を手に下げると、なんと自分の右手に白い狐が噛みついていたのだ!一体どこに隠れていたのかはわからないが、あまりの痛みに狐を引っぺがす事しか考えられなくなり、叩き払おうと空いている左手を振り上げる。だが、それをするまでも無く狐はすぐに右手を離し、何事も無かったかのように穏やかな表情で地面に立ち、青い瞳で見上げてくる。
「いったぁ~……」
噛まれた右手を摩っていると、なんだか徐々に視界のピントがぼやけるようになってきた。腕とか指とかと地面との境界線が滲んで曖昧になる。
「……え、なに、これ……」
平衡感覚も怪しくなってきて、どすんと尻餅をついてしまう。痛みは無い。頭がやけに重たくて、汚れるのも気にせずに砂の上に寝そべってしまう。
もう……瞼を持ち上げている事すら辛くなってきて……。
俺の意識は、真っ暗闇の中へずるずると引きこまれていった。
*
――タイムカプセルを埋めよう、と言い出したのはどちらからだったか。
多分向こうの方かな。ドラマかアニメか、わからないけれどテレビで見て、面白そうって言って、20歳の自分達に贈り物をすることになった。鍵がついた箱をおばあちゃんが買ってくれて、その中に今考えるとどうでも良いようなキャラクターものの鉛筆とか、おもちゃとか、学校の漢字のプリントとか絵とか、……あとは、20歳になる自分への手紙を書いて入れようって言ってた。とにかくお互い、好きに選んだものを入れた。
誰にもばれない場所に埋めようって思って、家から近くの山を選んだ。2人で箱とシャベルを持って山を登って、埋めやすい場所を探したんだ。大きな石とか木の根っことかに邪魔されながらも、頑張って穴を掘って、タイムカプセルを埋めた。
「20さいになったらあけようね」
と小さな約束をした。箱を開錠する為の鍵は一つだけしかなくて、その鍵をどっちが持っておくかって話になった。
「はやてがもってたらなくしちゃいそうだから、わたしがもっとく」
特に異論は無かったのか、反論するのが面倒だったのかな、今となってはわからないけれど、結局鍵の管理人はそんな風に決まった。
だけど私はその日、帰ってからちょっと間抜けなミスをした事に気が付いた。
私は彼に内緒で、20歳になった三嶋颯様宛にと手紙を書いていたのだけれど、沢山の封筒で宛名の練習しすぎて、ついつい手紙が入っていない空の封筒をカプセルに入れてしまっていたのだ。
あぁ、何てことだ、帰ってからその机の上に放置された手紙入りの封筒を目の当たりにして、自分の不注意さにわなわなと怒りが込み上げてきたのだった。
今日中にこの手紙を箱に入れなければ気が済まない!そんな気持ちで封筒を握りしめて、日も落ちかけだったのに私は家を飛び出した。
・・・
あー、眠い。まだ目を開けたくない。
やや強い風が吹いて、木々や葉がこすれあってざあざあと音を響かせる。髪の毛が揺れて頬をくすぐり、鬱陶しくて左手で髪の毛を元の位置に戻す。
ちょっと待って。あれ?私は今、どこで寝ている?
恐る恐る目を開けると、飛び込んできたのは鮮やかな数百種類の緑色。相変わらず風が吹いて緑の波が巻き起こり、木漏れ日が僅かに降り注いで……あぁ、なんだか贅沢な寝覚めだなぁ、これ夢か、なんて考えて目を手の甲でそっとこする。夢にしては寝起きの口が渇いた感じがリアルで、「んん……」と小さく呻く。すると私がもたれかかっていたものがもぞもぞと動いた。
「ん~~??」
もたれごこちが良いそれは一体何者なんだと視線を横にずらすと、私の意識は一気に覚醒した。
「はっ、はやてっ……!!!」
なんで、なんで、なんで……?!頭の中でその3文字がひたすらマシンガンのように放たれ続けた。
どうやら幼馴染の肩と腕にもたれかかって居眠りしていたらしい。そしてその彼もどうやら眠っている。しかしこれは一体どういうイベントだ。何故二人きり、こんな大自然の中で私はこの人と二人で仲良くお昼寝してるん!?思い出せ、思い出せ……。
「んぐ……」
唐突に訪れたこの状況に頭が回るはずもなくただただ顔を真っ赤にしてテンパっていると、隣で寝ていたこの男も目が醒めたらしい。薄く瞼を開けて、険しい表情のまま目の前に広がる豊かな緑とにらめっこして固まっている。もしかしてこの人も私と同じように突然この状況に送り込まれたクチなのだろうか、もしそうならそういうリアクションしちゃうよね、わかる。超わかる。私は恐る恐る、声をかけてみることにした。
「お、おはよ~、ございまーす……」
すると、シュバッと音が鳴りそうな程素早い動きで首を回して、顔をコチラに向けてきた。控えめな笑顔と、手振りの挨拶をプレゼントしてやろう。
「…………。は!?」
人の顔を見るなりこの一言である。は!?って言いたいのはこっちだってそうだ。
「な、なんか、イマイチ、状況がつかめないんやけど……私達、何してたんやっけ……あはは~……。はやて?」
目を開いてこちらの顔を見つめたままフリーズしているので、名前を呼んでみるが解凍される兆しはなし。10年以上の付き合いでも、なんだか貴重な表情な気がする。
「……。夢?」
「多分違う」
「じゃあどれが夢なんや……」
「知らんわっ」
はやては未だに信じられないと言った様子で私の顔をまじまじと見つめている。アレだな、これは多分まだ寝惚けてるな。隣で自分より寝惚けている人を見ると、だんだん自分は冷静になってくる。でも、夢?って訊きたくなる気持ちはわかる。私自身何をどうしていて二人で仲良く森林浴する流れになったのか欠片も思い出せないし、夢で片づけるのが一番手っ取り早いだろう。すると突然、がっと右肩を掴まれた。
「わっ、な、なんやの急にっ」
「ほんまや……夢ちゃうな……夢じゃない……」
「どんな確認の仕方よっ、普通自分のほっぺたつねるやろっ!」
「……」
そんなツッコミを入れてみても無言のまま私の肩を掴んだままだ。また無言での見つめ合い、もといにらみ合いがスタート。じっと見て、じっと見られて、……………………いつまで続けるん、これ……。うわぁ、照れる。
しかしそこに変化が表れるのに時間はかからなかった。徐々にはやての目は充血し、目じりにはうっすらと光る物が……。何か彼が傷つくような事をしてしまったんだろうかとも思ったけど、このにらめっこで泣く要素は無かった筈。私、もしかしてすごく怖い顔してた?
「はやて。なんで泣いてんの?嫌なことあったん?」
出来るだけ優しくゆっくりとそう問いかけると、彼ははっと何かに気付いたようでびくりと肩を震わせて腕で乱暴に目をごしごしと拭った。あぁ、そんなん、逆に目にゴミ入るで。
「泣いてへんわっ」
いや、絶対泣いてたぞ。絶対泣いてた。
「もしかして、怖い夢でも見た?」
「お前、ほんっま……!意味わからん!!なんなん!!?なんなんお前!!」
「ええ!?なんなんってなによっ、私は私やし!!」
「急におらんくなるなや!びっくりするやろ!!」
「お、おらんくなってないし!勝手にびっくりせんといて!」