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そんなに大事なの?

目標は2つ隣の駅にある図書館。おばあさんの話を疑うわけではないが、子供が行方不明となれば事件で、きっと新聞や週刊誌に記事にされている筈だ。それを実際に確かめたい。書庫に過去の新聞や雑誌のバックナンバーが置いてあるとどこかで聞いたことがある。


初夏の昼下がり、逃げ水がゆらゆら揺れるアスファルトの道を走り続ける。昨日の練習試合の疲れが今になって腕や太腿に重くのしかかるが、もうここまで来れば納得いくまでとことん走り続けてやると心に決めた。


汗だくで図書館に辿り着くと真っ先に、受付に居たスーツ姿の若い男性職員に10年前の新聞を読ませて欲しいとお願いした。高校の課題か何かの為に来たと思ってもらえたのだろう、快諾してくれて、10年前の七月初旬から中旬の新聞を数種類ずつ運び出してくれた。図書館内の人はまばらで、大きなテーブルを一人で陣取り、一番手前に置いた新聞から手に取り目を通していく。


(見つけた、これだ)


小学生女児行方不明の文字が大きく見出しに貼り付けられている。

西依いろはちゃん(7)の行方がわかっていない、と書かれた新聞の文字。幼馴染の名前と顔写真がこんな形で新聞に載っていると言う事実にどこかまだ受け入れられない気持ちが続いている。

記事には、山中で靴が見つかったとか、両親がどう言ってるとか、そんな情報ばかりが連ねられていた。

新聞の日付が進むたびに記事の大きさは小さくなって、記事の文章もそれに従い諦めムードで、……そしてもう、それ以上新聞の山を崩して読むことをしなかった。


職員にお礼を言って図書館を後にすると、太陽の位置は低くそして西へ移動していた。長めに伸びた自分の影は随分とへこたれているように見えて、なんとか姿勢を正して自転車置き場へ。

まるで苦労して手に入れたお守りのように大事に手に持っていた自分宛の中身のない封筒をまた自転車のカゴにそっと入れてサドルに跨り、帰り道へと漕ぎ始めた。行きのように力いっぱい漕ぐことはもう出来なくて、ふらつきながらたらたらと進む。


目にはじわりと涙がこみ上げてきた。


アルバム、西依家、そして図書館で見た資料。それらに疑う余地はどこにもない。疑うのは自分の記憶だけ。

もはや、今日一日自分が何を思い汗まみれで走り回っていたのかもわからなくなってきた。ただただ、10年前に幼馴染を失った悲しみを改めて再認識しただけ。


そうだ……、あいつは、10年前帰ってこなかった。

待っても待っても帰ってこなくて俺は泣いてたんだ。

今日みたいに、誰にも見られていない場所で泣いていたんだ。


もう、いろはと過ごした小学校、中学校、高校の思い出は風前の灯火で、自分で自分の思い出を信じることはできなくなっていた。目の前にあることだけが、事実だった。

自転車を漕ぎ続けて、気づけば自宅近くの神社の前に辿り着いていた。なぜかそこで止まらなければいけない気がしてブレーキをかける。


沈みかけの夕日を受けた鳥居は普段より少しだけ威厳があるように見えて、俺は吸い込まれるようにその鳥居の下をくぐっていた。



ここに棲むのは、失せ物をした時や、迷った時に手助けしてくれる神様。

いろははまだ迷っているのだろうか。

その神様はなぜ山で迷ういろはの事を手助けしてやらなかったんだろう。

そもそも何故あいつは、たった一人でこの山に入っていったのだろう。

そして……あいつは俺に、手紙で何を伝えたかったんだろう。


遠くを見据えるお稲荷様の石像をじっと見上げる。

今更、いろはを救って下さいと言っても手遅れかもしれない。それならばせめて、小学生のあいつが最後に俺に書いてくれた手紙がどこにあるのか、教えてもらえないだろうか。

拝殿の前に立ち、鈴を3度鳴らして、二礼二拍手。


この作法、どこで知ったんだっけ……。



じゃり、じゃり、と人間の靴と地面が砂を噛む音が聞こえて振り返ると、白髪交じりの見知らぬ男性がこちらへと歩いて近づいてきているのが見えた。


「珍しく鈴の音が聞こえたと思ったら、お客さんか」


最初は薄暗くていまいち表情が見えなかったけど、近付くにつれて柔和な表情を持った、年齢は50歳半ばと言ったところだろうか、見た目だけで言うならば人当たりの良さそうな人である。


「あぁ、突然話しかけてごめんね。私は一応この神社を管理している人間の一人で……、神主とかではないけどね」

「は、はぁ……」

「お参りしていたみたいだけど、君はここにどんな神様が祀られているか知ってるの?」

「なくし物とか、道に迷ったりとかした時に手助けしてくれる神様、ですよね」

「へぇ、良く知っているな。地元の年寄りくらいしか知らないような話だと思うけど、どこで知ったの?」

「どこでって……えっと」


何処で聞いたんだっけ。自分の祖父母はここの土地の人間ではない。両親もそうだ。学校だろうか?そうではなかった気がする。西依のおばあさん?あの人は確か、ずっとここに住んでいる人だ。あの人に教わったような……だけど、多分違う……何か、しっくりこない。今は、自分の記憶のどれが正しくてどれが間違いなのか、いまいち確信が持てない。


「あー、いやいや、覚えてないなら良いんだ。君みたいな若い子がこんな小さな神社にわざわざお参りしてるのが珍しくて、どうしたんだろうって、つい興味が湧いてね」

「……10年前に、この山で女の子が行方不明になりましたよね」

「あぁ、あの件か……西依さんのところの」

「はい。あいつは友達だったんです。だから……あいつは僕の“失せ物”なのかもしれません。今日、なんか急に色々とあいつ……いろはについて、考える事があって……」


そこまで言って、また涙が溢れそうになった。鼻の付け根辺りがじんじんと痛む。


「そうか。ごめんね、悲しい事を思い返させて」

「いえ……大丈夫です。ただ……」


なんであいつを助けてくれなかったんだ、という不満がモヤモヤと心の中にある。そんな俺の気持ちを、多分この人は見通していたのだろう。次にこんな事を話してくれた。


「神様はな、人生の中で起こる様々な事の、ほんの最後の最後、一押しを手伝ってくれる、……たったそれくらいの存在、なんて言ったら罰当たりだけど、何から何まで全部手助けしてくれるって事はまず無い。99%は自分次第で残りの1%を神様に願掛けをする。本来はそういうものだと思う。だから、ここに棲んでいる神様を恨んだりしないでほしいんだ。神様があの子に意地悪したりしたんじゃないって事、わかってほしい」

「……。それは……はい……。わかっている、つもりです」

「でも、もし君が本気で、10年経った今でもその失せ物を見つけたいと願うなら、そしてその為に弛まぬ努力が出来ると言うのなら……もしかしたら、神様は何らかの形で応えてくれるかもしれないね」

「……え?」


思わずその人の顔を見ると、無言でくしゃっとした優しい笑顔を浮かべていた。


「じゃあ、遅くならない内に帰るんだよ」

「……あ、はい」


その人は踵を返し、ゆっくりと神社から立ち去って行った。最後のセリフは、どういう意味で言ったのだろうか。深い意味は無いのかもしれない。だけど俺は、もう一度拝殿を見上げて深く深く一礼をして神社を後にした。





翌日登校した俺は周囲に何度か大丈夫かと尋ねられつつも当たり障りのない返答でやりすごし、授業に臨んでいた。今日は久しぶりに梅雨らしい天気で蒸し暑く、窓の外はどんよりとした曇り空が見える。今俺には、あと一つだけ確かめなくてはいけない事がある。昨晩母親に手紙の話をした時に発覚した事がある。確かに俺は、あの謎の封筒を手に入れていた。それは妄想でも夢でも無く確かな事実だった。だけど、鞄や引き出しを漁ってもあの手紙は見当たらない。ならば俺は、あの封筒を誰に渡したのか。どう思い返しても、“高校生のいろは”に渡した光景しか頭の中に思い浮かばない。10年前に帰って来なくて泣いた記憶はあるのに、つい先日西依いろはにあれを渡した記憶もある。唯一その場面だけが未だに現実味を帯びていて、整合性を求めるたびに未だに記憶が混濁している。


「……なぁ、佐伯さん」

「なぁに?」


俺は休み時間に、相変わらず真ん前に座る優等生な転校生らしいに話しかけてみた。返事の一つをとっても、はっきりした発音と透き通るような声質で返してくれる。


「このクマのストラップ。これって、佐伯さんに貰ったんやっけ?」


ストラップを指でぶら下げて見せた。佐伯はじっとそれを見つめる。


「……ん。私はそんなのあげた覚えないけど」

「そっか、うん、そうやんな。ありがとう、大丈夫」

「ほんとに大丈夫?この時間になってまだ寝惚けてないよね?」

「大丈夫やって。ほら、ちゃんと目開いてるやろ」


そう言ってわざとらしくしぱしぱと瞬きをして見せたら、彼女はくすりと笑った。訊きたいことは訊けたのでそれで話は終わったと会話を切ろうかと思ったら、今度は向こうから話しかけてきた。


「そのストラップがどうかしたの?」

「……いや、変な話やけど、これ、いつから持ってたっけなって」

「ふぅん。自分で買ったんじゃないの?」

「いや、多分こんなんは自分で買わへんし……」

「確かに三嶋君っぽくないかも」


少しぼかして返答したけど、興味は切れないようで、佐伯はそう言ってストラップを自分の手に取ろうと手を伸ばしてきた。そして俺は、反射的、というか無意識で腕を引いて、佐伯の手からストラップを遠ざけていた。触られたくないと思ったのだろうか、自分でもわからなかったが、とにかく彼女の手からクマのストラップを逃そうとした。

佐伯は俺のその行動に目をまん丸くして、空振りした自分の右手をしばらく見つめていたが、視線をこちらの目に移して、こう言った。


「そんなに大事なの?それ」

「……いや、そういう訳じゃ、ないけど……」


その時チャイムが鳴って休み時間は終わりを迎える。佐伯は、一体どんな感情を宿しているのかわからない静かな視線で俺を一瞥して、身体を前に向けた。

すごく大事だとは思わない。だけど何故だろう。このクマは、どこかお守りの様な存在となっている気がする。そして気を抜けば知らぬ間にどこかに消えてしまいそうだ、とも思った。

……ちょっと待てよ。

そもそも話を封筒に戻して考えたら。

あの封筒が小学生の頃のいろはが書いたものの内の一つで間違いないとして、そしたら、誰があの封筒をわざわざ西依家から持ち出して、さらに変なメモとカギを入れてうちに投函したって言うんだ?そんな事が出来る人間がいるのか?

そんな疑問を頭の中で回転しているうちに、先生が教壇に立っていた。委員長の低くよく通る声が、起立、という号令をかける。授業が始まる。集中していない生徒を見つけるのが非常に上手い小南先生の授業なので、これ以上の考え事は出来そうにない。



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