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曖昧な記憶

「ミーティングは以上!明日の練習試合は各自課題の解消を念頭に置いて挑むように」


「「「「「「はいっ」」」」」」




 部活を終えてへとへとになった俺は、一刻も早く帰宅するべくさっさと着替えて帰宅の準備を整えて駐輪場で自転車を拾い圭介と龍雄とともに帰路についた。今日は校門前でいろはが待っているということも無くて、夕焼け空の下パンパンに張った脚でグイグイとペダルを漕いで前進していく。なんとなく例の神社の前を通る時に鳥居の向こう側に目を凝らしてみたけれど、不気味に感じるほどの静けさだけがそこに鎮座していて、結局その厳かな雰囲気に威圧されて素通り。無事帰宅した。



「……ただいま」


「お帰り。洗濯物と弁当箱出しなさいよ」


「うん」



 学校から帰った時のお決まりのやり取りを母親と交わし、割り当てられた家事当番をこなし、夕食を食べて、風呂に入って、ベッドにダイブ。



「試験勉強も、そろそろせんとな……」



 口で言うのは簡単。しかし文武両道の道は険しい。身体がまるで自分のものではないと感じるほどに言う事をきかない。明日は日曜日で授業は休みなのだが、一日中部活の練習試合が組まれている。……確か朝9時学校集合だったか……ちゃんと動けるかな……そんな事を考えながら微睡んでいると、身体と同じく布団の上に放り出していた携帯電話がブルブルと震えた。



「んー…………」



 携帯電話を見ることすら億劫で、何とか部屋の電灯の紐に手を伸ばして掴み取って二度引き消灯して、そのまま瞼を降ろした。



 そんな感じで早く眠りについたお陰で、朝7時にはスッキリと眼が覚めた。カーテンを開けて窓の外を見ると、本当に梅雨明けしてないのか?って天気予報士に訊きたい程の、腹が立つくらい素晴らしい快晴である。セミがうるさい。



「はぁ、今日も暑そう……」



 独り言ちて、携帯電話を確認するけど、しまった、充電が切れていてうんともすんとも反応しない。まだ家を出るまで1時間程あるし、今から充電すればフルとはいかないかもしれないが十分足りるかな。そう思って充電器と携帯電話を接続して、朝食を摂るため自室を出た。


 朝の時間は貴重とはよく言ったもので、それなりに早起きできたからと言ってのんびりしているといつの間にやら予定時刻10分前、となっていたりする。バタバタと練習着やら帽子やらを詰め込んだカバンを背負い、携帯電話を充電器から引き剥がし、いってきますと大声で家の中に一声かけてから自宅を出発した。



 自転車をスイスイ走らせて学校のテニスコートに辿り着くと、既に1年生が練習試合の為の準備をあれこれと行っており、上級生たちはストレッチをしていたりノートを読んでいたり、試合に備えている。



「おはようございます」


「おはようございますっ!!」



 部員たちと挨拶をかわしつつ部室へ行くと練習着に着替えて帽子を被り、疲労対策として入念に日焼け止めを塗る。これを怠ると夜には身体が火照って眠れなくなるからかなり重要だ。ラケットを取り出していざ準備運動を、と思った所で、ちらりと携帯電話の事を思い出す。昨晩何らかの着信が合ったな、一応練習に出る前にそれを確認しておこう。カバンのポケットから携帯を取り出すと親指で電源ボタンを長押しして、起動させる。待つこと1分で待ち受け画面が表示され、見立て通りメッセージを受信した旨を報せる通知が表示されていた。うん、記憶は間違いなかった。



「ん……?」



 メッセージの送り主は、西依いろはだった。そのメッセージの内容は、端的なものであった。



「わたし、あのカギと封筒、知ってるかも」



 記憶の隅に追いやろうとしていた事柄について、強引に思考の中心へとねじ込み直してくる一文を送ってきやがった。そもそも俺宛に届いた手紙だというのに、なんでお前が知っているんだよと言ってやりたい。というか、まさかこの封筒を作ってポストに投函したのはこいつなんじゃないだろうな、手の込んだイタズラなんじゃないだろうな、と単純な疑惑が思いつく。しかし一昨日の口ぶりを考えるとそれはあまりに不自然で、あんな演技があいつに出来るとも思わないし、そもそもポストに手紙が入っていたのは木曜日、つまり三日前で、木曜は俺もいろはも学校に一日中居たのだから投函するのは不可能だ。



「どういうことかわからん、詳しく書いてくれ」



 とりあえずそうメッセージを送った。数十秒待ってみたが既読はつかない。ため息を吐いて携帯電話をカバンにしまい直すと、今度こそラケットを手に部室の外へと出た。


 結局その日は3試合組んでもらって、2勝1敗。その2勝も勝つには勝ったのだが凡ミスだらけで、顧問兼監督に酷く説教されてしまった。あぁクソ、携帯電話なんて見るんじゃなかった。



 練習試合が終わったのは夕方で、双方にとって有意義な物となった。ミーティングが終わり解散の指示が出ると、全身を汗でべたつかせながら水飲み場に直行し、頭から水を丸かぶりして、顔を洗い、顔と髪の汗を流す。こういうことが出来るのが男子の特権だな。蛇口から流れてくる水の冷たさに爽快感を感じていると、隣から声をかけられた。



「颯、お前体調悪かったんか?」



 濡れた髪を両手で思い切り掻き上げて声がした方を向くと、圭介が同じように冷水を頭から被っていた。



「いや、そういう訳じゃないけど……」


「そうか。お前にしては珍しいミスばっかしてたから体調不良かと思ったんやけど」


「いや、今朝いろはが意味わからんLINEを送ってきて、妙にそれが気になって……」


「……?お前、まさか彼女できたんか」


「かっ、……!なんでそうなる、ただの幼馴染!」


「お、おう……幼馴染ね……はいはい」



 そう言いつつニヤニヤしながらこちらを見てくる圭介に少々苛つきながらも、後ろがつかえていたので頭と顔をタオルでゴシゴシと拭いて水洗い場を後にした。


 部室に戻り、カバンを開けて携帯電話を取り出す。あのおせっかい女め、一日中余計なことを考えさせやがって。ディスプレイをつければ当然いろはからLINEの着信が来ているものだと思っていた。けど、来ていたのは母親からの「帰る前に連絡よろしく」というメッセージだけだった。



(……返事返せよ、気にさせるだけ気にさせといてっ)



 せめていろはが自分からのメッセージを読んでいるかどうか確認しようと、彼女とのトーク画面を開くために連絡相手の一覧を見る。



(ん?)



 ところが、いくら探してもいろはとのトークが見つからない。友達一覧を見てもいろはという名前は無い。間違えて消してしまったのだろうかと考えたが、そんな簡単に消してしまえるような仕組みでは無い。アプリ自体のバグか、それとも極度に疲れているせいで注意力散漫になっているのだろうか。どれだけイジろうが解決しないので一旦諦めて、もう帰ろう、今日は本当に疲れた。明日からまた学校だと思うと憂鬱だけど、手紙の件については明日いろはに学校で直接尋ねれば良い。なにせ、席は前と後ろ。いくらでも訊くタイミングがある。情報を出し渋るようなら、昼休みまるまるみっちり尋問でもしてやろう。


 トークが消えていたことにそれほど大きな疑問を感じることはなく、俺はよろめきつつもなんとか帰宅して、そこからあまり覚えていないけどなんとか身支度を済ませて泥のように眠り、一日を終えた。



 翌朝。


 教室に到着して自分の席につく。いろははまだ来ていないな。顔をあわせた瞬間色々問い質してやろうと思っていただけに肩透かしを食らった気分だったけれど、気を取り直して奴が登校してくるのを待つ。しばらくすると、見知らぬ顔が教室内に入ってきた。田舎町の為子供の人数もそう多くなく、同じ学年にどんな顔のやつが居るかなんて大体は把握している。それでも、何度思い返しても知らない顔だった。何だ?誰だ?転校生か?しかし転校生が来るなら事前に説明があるだろう、しかもこんな期末の時期に転校してくるなんてケースがあるのか?いろはの事から、思考が完全にその見知らぬ顔の生徒に奪われてしまった。



「あ、カナちゃんおはよう」


「おはよう」



 クラスの女子生徒に親しげにカナちゃんと呼ばれたその女子生徒は軽やかに返事をして、迷うこと無く教室内を進み、そして何故か自分の真ん前の席、つまりいろはの机に手提げカバンを置いて、椅子に腰掛けた。



「おはよう三嶋君。なんだかしんどそうだね、部活キツかったの?昨日練習試合って言っていたもんね」



 そして自分に対しても軽やかにかつフレンドリーに話しかけてきた。しかもえらく丁寧な言葉づかいで。勿論間近で見ても面識が無いものは無いし、昨日が練習試合だなんて報告した覚えもない。しんどそうなのは多分間違ってないけれど。



「……えぇーっと……あなたは、転校生?なんで俺の名前知ってんのか知らないけど、座る席間違えてるぞ」


「え……??」



 出来るだけ柔らかく伝えたつもりだけれど、心底ショックを受けたような表情で、目を見開いて手で口を抑えて固まってしまっている。隣りにいた栗原が「三嶋君どないしたん!?喧嘩したっ!?にしてもひどいやろ今のっ!すぐ謝り!!」と驚き半分怒り半分といった表情で詰め寄ってくる。何が酷いのか全く理解できない。クラスの他の連中もなんだなんだと不安げな表情でコチラの様子を伺っている。



「ち、違う、喧嘩じゃない、普通のことを言っただけ!ここはいろはの席やろっ、俺の知らん間に席替えしたんかっ?そして俺はこの人を知らん、紹介してくれ!!」


「カナちゃんやんか!佐伯香菜ちゃん!そもそも、あんたの言ういろは?っていうのが誰よっ、そっちこそ紹介してっ」



 今度は怪訝な表情で訊いてくる。この瞬間から、嫌な空気がもくもくもくもくと心のなかに凄まじい勢いで立ち込め始めた。なんであいつの名前を出しただけでそんな表情が出来るんだ。いつもあんなに仲良く一緒に昼飯食ってただろう、他でもないお前が。



「……っ、いろははいろはやろっ、栗原、お前だって、土曜も昼間だって仲良さそうにあいつと喋ってて……!」


「土曜の昼って……それこそ私カナちゃんとずっと喋ってたけど」


「それが違うって言ってるっ、俺はっ……」



 更に反論しようとしたその時、騒いでいるのを聞きつけたのか予鈴よりも早く担任が教室に入ってきた。



「おいお前ら、何を朝から大声出しとんのや」


「先生、何か三嶋君が変なこと言ってます」



 クラスのどこからか、そんな報告が上がる。誰だおい、違う、変なことを言っているのは俺じゃない!



「おい三嶋、何をぎゃーぎゃー騒いどんのや」


「先生、西依はどうしたんですか!?このクラスにいますよね!!」


「にし、こり?」


「西依ですよっ、西依いろはっ!教え子の名前忘れたんですかっ!?」


「西依、いろはって……。いや、そんな奴クラスにおらんぞ」


「はぁ!?」


「おまっ、先生に向かっては!?とは何やは!?とは。名簿見せたろか」



 視界がぐるぐる回り始めた。相変わらず栗原は険しい表情でコチラを見ているし、佐伯香菜と呼ばれた見知らぬ女子生徒はいかにもショックだという表情で固まっている。圭介も龍雄も、流石に擁護できん、という表情で気まずそうにこちらから視線を逸らす。


 なんでだ、なんでっ……!



「ド、ドッキリですよね、これ……俺を驚かせて、あいつ、どっかに隠れてるんですよねっ、手の込んだ事をして」



 しかし周囲の、俺をまるで問題児を遠巻きに見るような態度は変わらないまま。



「……何が、どうなって……」


「とにかく、もうすぐホームルーム始めるから、静かにしとけよ」



 担任はそう言って、面倒くさそうに教室を後にした。途方に暮れて、立ち尽くしていると、見かねた圭介と龍雄がおずおずと歩み寄ってきた。



「おい颯、お前どうした。どっか悪いんか?昨日から変やったけど」


「……俺が、おかしいって思うか?」


「あぁ。おかしい。めっちゃくちゃにおかしい」



 状況が理解できない。意味がわからない。つい一昨日まで、俺の目の前に座って授業を受けていたアイツの事を、誰も知らないっていうのか。



「……、ちょっと顔洗ってくる」


「おう、行ってこい行ってこい」



 どうやら俺が寝ぼけていると思っているらしい。快く送り出され、手洗い場へと歩いていく。



 バシャバシャとわざとらしく音を立てて何度も何度も顔を洗う。これは夢か。夢ならさっさと醒めて欲しい。だが何度顔を洗っても見える光景は同じ。俺はちゃんと起きている。そして奇妙な事に、あの佐伯香菜とかいう女子の存在を徐々に頭が認め始めている。そう言えば、あんな子が居たような、佐伯、居たような気がする。確か、東京から事情があって編入してきた転校生で、成績優秀、美人だし、佇まいも落ち着いていて、クラスの男子連中で騒いでいた、ような……。



 濡れた顔をハンドタオルで拭い、まとまりきらない思考のまま教室に戻ると、やはり自分の席の前には佐伯香菜が座っていて、教室に入ってきた俺のことを心配そうに見つめてくる。とにかくヒドい事を言ってしまったという自覚はあって、こういう時はすぐに謝ったほうが良いと判断できるくらいには考えがクリアになっていた。自分の席にゆっくりと戻ると、佐伯に小さく頭を下げ「ごめん、なんか寝ぼけてたみたいで」と伝えると、彼女は微笑んで「ううん、驚いただけだから気にしてない」と返してきた。俺は安心してほっと一息を吐いて席に着く。さっきは目を吊り上げていた栗原も、テニス部友達の圭介と龍雄も、このやり取りを見て安心したようで、表情を緩ませていた。



 さっき俺が起こした騒ぎもまるで無かったかのようにいつも通りの授業が始まって、板書を懸命に写したり、隠れて居眠りしていたり、クラスメイトそれぞれが思い思いの授業時間を過ごしているけど、未だに何か腑に落ちない感じが胃の辺りをムカムカとさせていた。原因は、この眼の前で姿勢正しく授業を受けている女子生徒、佐伯香菜だ。


 居た気がする、居た気がするが、こんな背中に既視感は無い。黒板よりも、ずっと目の前の背中を凝視している。



 あんたは一体何者なんだ……。この違和感は何なんだ……。



 そうやって念をぶつけてみるも返事はあるはずもなく。凝視している間に、気づけば人差し指で彼女の背中を突いてしまっていた。その瞬間ただでさえピンと伸びていた彼女の姿勢は更にぐんと伸び、それから、恥ずかしそうに半身でこちらに振り向いて無言で首を左右に振るジェスチャーを見せてきた。授業中にちょっかいかけるなと言いたいのだろう。自分でも何故指でつついたのかわからないが、それによってわかったことは、彼女は確かに目の前にいる生きている人間だということ。


 そんな当たり前の事しか、わからなかった。

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