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フローズン・ウィザード  作者: 伊森ハル
Chapter 01 -Der Apostel-
9/66

9 消え得ぬ過去に追想を

「――こうして、()魔術師(ウィザード)は世界を覆う死の霧を退け、迷える人々を導き続けました」


 空気中に染みいるかのような、低く柔らかな女声(じょせい)が部屋の中に響いていた。


 居間は十人も入り込めば埋まってしまうような、さして広くない間取りである。木々を主な材料として建築した小さな家。針葉樹が多い帝国東北(とうほく)部では、こういった丸太小屋がよく見られた。

 壁際に配された煉瓦(れんが)造りの暖炉で燃える炎が室内を柔らかく照らし、反対側の壁に二つの人影を映し込んでいた。


 一方は壮年の女性、他方は少女。


 両者とも椅子に座っているが、女性はゆったりと深く腰かけ、もう一人の少女はといえば、乗り出すように背を丸め、膝の上に(ひじ)を乗せる形でほおづえをついていた。


魔術師(ウィザード)は襲い来る艱難(かんなん)を人々と共に乗り越え、百穀(ひやっこく)をうるおす春雨(はるさめ)を願い、豊穣(ほうじょう)を祝い、神々の(のこ)した偉大なる祝福によって、世界はかつての姿を取り戻します」


 (はる)か昔から口伝えに受け継がれてきた一種の神話。それを語るは壮年の女性である。全身が体毛に覆われており、その顔は人間というよりも獣――猫に近い。

 獣人(スロウプ)。あるいは総括して亜人種(デミス)と呼ばれる種だ。

 その対面に座っているのは、これまた猫のような耳を頭から生やした半亜人(クオルタ)の少女である。彼女は母である眼前の女性をじっと見つめ、身じろぎひとつせず声に聞き入っていた。


「やがて天には光が満ち、大地で多くの命が(せい)謳歌(おうか)する時代が訪れ、私たちがこうして()る、いまこの時へと繋がるのです」


 朗々とした語り口で、女性は目の前に座る少女へと物語を聞かせていた。ゆっくりとひとつまばたきをすると、優しげな表情で少女を見つめる。


「これで、おとぎ話はおしまいよ、スライア」


 食い入るように聞いていた少女、スライアはそれで母の語る話が終わったことに気付く。

 少女はそれまでの体勢から一転、ゆっくりと背を椅子にもたせかけ――ほう、と息をついた。上等の食事を口にしたときのような、深く静かな吐息だ。


 その様子を見て、女性が(ほが)らかに笑む。


「……本当に、あなたはこのお話が好きね」


 古来より親から子へ、子から孫へと伝えられてきたとされる神話。かつて世界を襲ったという災厄である〈死の霧〉の脅威と、それに敢然と立ち向かい人々を救った英雄――〈魔術師(ウィザード)〉と呼ばれた男の物語だ。


「もう何度、これをあなたに聞かせたかしら」


 優雅さをたたえた柔らかな声で、どこかおかしがるような口調で言う。それを聞いた少女は、お返しとばかりにいたずらっぽく笑いかけた。


母様(かあさま)もでしょう? このお話をするときの母様、とても楽しそうよ」

「あら。……そう?」

「もしかして気付いてなかったの? 声だっていつもより弾んでるじゃない」


 母、セルネリィアは口元を手で覆う。かすかに目を見開いており、意表を突かれたという表情だ。彼女は手をそのまま頬にやって、娘から目を逸らした。


「普通にしているつもりだったのだけれど……そう言われてしまうと、少し恥ずかしいわね」

「そんなことない。私、こうして母様のお話を聞くのが好き。いまとっても幸せな気分よ」


 少女の言葉に偽りの色は無かった。気品さえ漂う笑みを浮かべて、スライアは母を見つめる。それとは対照的に、母は小さくため息をついて表情を硬くした。


「それにしても、大きくなって少しは色気づくかと思えば……真っ先に始めたのが剣術の稽古(けいこ)だなんて。まったく、誰に似たのかしら」

「……母様?」


 急に重々しい口調で話し始める母に、戸惑ってしまう。セルネリィアは背もたれから身を起こして娘の頬を優しく撫でた。


「お願いだから戦場(いくさば)に出るなんてことだけは言わないでね、スライア。ルスラムは――あなたのお父様(とうさま)は確かに剣士だったけれど、いまも昔も平和を愛する人よ。あの人や私を悲しませるようなことだけはしないで頂戴(ちょうだい)ね」

「別に、私だって戦いが好きなわけじゃないわ。ただ、こんなときだから……自分の身くらいは自分で守れるようにしておきたいってだけよ」


 帝国にアポステルと名乗る奇異な男が現れて以後――亜人種(デミス)に対して憎しみにも近い感情を抱く人間が急増している。獣の血が混ざっているという理由で、少女のような半亜人(クオルタ)でさえも〈(けが)れ混じり〉と呼んで露骨な嫌悪の情を見せる者もいた。

 ()の男が現れる以前から、真人正統志向(キュイア・ヒュマネジエル)というものは確かに存在していた。

 だが、あくまで少数派に過ぎなかったはずの同思想が国の中枢にまで入り込んだのは、やはり彼の存在によるところが大きいだろう。ここ数日の情勢は、特に不穏だった。


「あなたにも苦労をかけるわね……。本当なら、恋の一つもしている年頃だっていうのに」

「なっ――なに言ってるのよ。いきなりそんな……このままで私は十分よ?」


 暗くなりかけた空気を払うように、努めて明るい声で笑いかける。

 ここに越してきてもう半年ほどになる。それまで暮らしていた家に比べれば狭くて便利とは言い(がた)い。しかし、スライアにとって住居の大小など些細(ささい)なことに過ぎなかった。

 母がいて、父がいて。二人と共に暮らすことができている。確かに生活はつつましやかではあったが、それ以上に望むものは無かった。


 不意に耳へ入ってきた()()()()という音に気を取られ、視線をそちらへ向けてみれば、閉じきった窓の板戸が揺れていた。風が強まっているのだろう。

 以前に住んでいた家とは異なり窓には硝子(ガラス)がはめ込まれていないため、屋外の様子をうかがい知ることはできなかったが――この分だと、あるいは雪が降っているかもしれない。


父様(とうさま)は大丈夫かしら。随分遅いようだけれど……」


 彼は日用品の類を調達するために近くの村落まで出かけていた。この家は人里離れた山あいに位置しており、村なり町なりへ行くには多少の時間が掛かる。

 とはいえ、もう日も沈んでいた。買い物に時間がかかっているのか、あるいは――


「……すまない、遅くなった」


 そんな心配をし始めた矢先、出入り口の分厚い木扉が開く。寒風と共に中へと入ってきたのは壮年の男性だ。


 ――ルスラム・ソルデユルザ。


 透き通るように白い肌と、短く切りそろえられた硬そうな金髪。かつて前線で武勇を誇ったという彼の立ち姿はしっかりと背が伸びており、厚手の素材で作られた防寒着を纏っていても一目でそれとわかる。『剣を振るう者(ソルデユルザ)』の姓を背負う彼はみずから兵役を退いてなお、衰えることなき剣士であった。

 ただ、いまの彼はどこか様子がおかしいように見えた。普段は優しげな微笑を浮かべている口元は硬く引き結ばれ、眉間には深いしわが刻まれている。

 彼は思い詰めたような目つきで二人の姿を認めると、すぐさま口を開いた。


「――セリィ、スライア。……すぐにここを離れる。準備してくれ」

「ええっと、お帰りなさい。父様。離れるって……どういうこと?」


 言われていることの意味がわからず、おずおずと問う。しかし父は余計な問答をしている暇など無いと言わんばかりに彼女の脇を通り抜け、奥の部屋へと向かった。


「父様? ねえ、一体なにがあったって言うの? ……父様?」


 それを追いかけながら、彼女は父の背中になおも問い続ける。母が黙って荷物をまとめ始めてからも、彼女はひたすらに疑問を重ねていた。





「父様……っ!」


 目を開くと、木造の天井が視界に広がっていた。消えかけたランプの明かりがあらゆる物にぼやけた輪郭を与えている。

 平素から野宿を繰り返している身からすれば、違和感を覚えるほどに寝ている場所は柔らかかった。スライアは自分の置かれている状況に困惑して――数瞬後に納得する。そういえば、珍しく宿を取ったのだった。

 ベッドの上でもぞもぞと身体を動かす。胸の内がひどく切なかった。まるでぽっかりと穴が空いてしまったかのような虚しさだ。


(なんだろう、とても――)


 とても悲しい夢を見ていたような気がする。内容がどうにも思い出せなくて、頭を悩ませながら視線を横に向けた。



 そこには同行者の少年の寝顔があった。



「な、どっえほ、えほっ!」


 なぜ、どうして。驚きにうまく言葉が形を作ってくれない。思わずむせ込んだ音に反応してか、少年は顔を上向けてから目を開いた。緩慢な動作で身を起こすと、近くを見回す。


「ん、む……? ああ。まだ、どうにも慣れないな。起きたときの風景が違うってのは」

「な、ななななな……っ」


 未だ明瞭な(てい)を成さない吃音じみた声に気付き、レイジはこちらを見た。少しの間考え込むようなそぶりを見せる。


「……いつの間にか、あのまま眠ってたのか。――ん?」

「なにを――」

「静かに」


 隣に寝ていたことについて問いただすよりも先に、口元へ人差し指がたてられた。


 黙れ、ということだろうか。


 下手なごまかしかと一瞬だけ勘ぐったが、彼の横顔は真剣そのものだ。おとなしく口をつぐむ。

 一体どういうつもりなのか。半眼になって少年を見つめるが、彼はそれに気付く様子さえ見せない。


 そんな折。――ふと、耳が鈍い音を捉えた。


 足音だ。位置と大きさから察するに階段を上ってきている。ただし、奇妙な点があった。

 音の数がやけに多いのである。少なくとも五名はいるだろう。

 加えて、客の眠りを妨げないための配慮か、音の立ち方が非常に小さかった。はじめは店主が二階で済ませるべき用事でもあるのかと思ったが、それにしては人数が不自然だ。


「……これって」


 小さく漏らす。傍らの少年も既に気付いているらしく、苦々しげにうなずいた。


「問題は無い、と思ってたんだが……。どうやら、面倒なことになりそうだな」


 眠りを妨げたくない相手は確かに()なのだろう。ただ、その目的はとうてい平和的な物ではなさそうだった。

 心当たりならばある。宿を取るためにレイジが店主と話していたときだ。あのとき、店主は頭巾の中身を覗くようにして話しかけてきた。少年がそれを制止してくれたこともあり、あまり気にはしていなかったが、どうも自分の正体がバレていたらしい。


 となれば――


「……まず間違いなく、教会がらみね」


「ここは国境近くの町だって聞いた気がするが……こんなところにまで教会の人間がいるのか」

「いまどき、どこにだっているわ。どんなに小さい村にだって一人はいる」

「あの店主め……さっきは完全な逆恨みだが、さすがにこれは恨むぞ。――荷物をまとめろ。すぐに逃げる」

「でも、逃げるって言ったって、ここは……」


 昼に比べて幾分か膨らんだ背嚢を負いつつ、自分たちの置かれている状況を見る。追手(おって)が階段を上ってきている以上、扉を開けて逃げることはできない。


「窓から降りられるだろう。――メル、完全接続(フルリンク)の用意を」

『了解』

「窓からって……正気?」


 確かに二階だからできないことはないが、一階の天井が高く取られているこの建物では窓の位置は意外と高い。自身の身長のおよそ三倍、神像の体長と同じくらいはある。

 しかも地面は石畳だ。柔らかな土であれば怪我の心配も薄れるが、これでは危険性が格段に高まる。

 それらの問題を目の前の少年がわかっていないはずはない。まさかこれもわざわざ説明する必要があるのだろうか、そう逡巡していると――


「迷ってる暇はない。この程度の総重量なら、どれだけ高くても大丈夫だ」


 ――ひょい、と彼に身体を抱え込まれた。


「うえ!? えぇとちょっとなにしてっていうかなにまさかこのまま降りるつもりじゃ――」

「静かにしろ。気付いてることに気付かれると面倒だ」


 うろたえるスライアを意に介する風でもなくレイジは言う。窓を開け放ち、枠に足をかけた彼は迷いもせず空中に一歩を踏み出した。




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