5 互いに素ならず、割り切れもせず
スライア・ヘリェルテリアは自問していた。
――自分は一体、何を目にしているのか、と。
半亜人の少女は額に手を当てて、自身のこれまでを思い返す。
賊から人質を解放する。そう宣言したレイジを送り出してから半時間ほどのことだ。唐突に神像が起き上がり、助力さえできないままに状況は急転していった。
合流した時には、彼は死に瀕していた。かと思えば神像は停止し、微動だにする気配も無くなってしまった。それを受けた少年はといえば、先ほどまで死にかけていたというのに、すぐさま馬車へと駆け込んでいった。
その後、『捕まった人間の救助を手伝ってほしい』と言われるままに、自分は救急用具を取りに行ったのだ。
その瞬間は、素直に嬉しかった。
『やれる範囲で手伝う』とは言ったが、内心歯がゆい思いを抱えていたのも確かだ。彼と旅路を共にし始めたのは、言ってしまえばなりゆきだが――今となっては、自分の意思でそれを続けていた。
――俺たちのせいで苦しんでいる人がいるなら、それを助けてやりたいんだ。
かつて、帝国を出た直後の遺跡で、彼はそう言った。迷うように、自分の輪郭を探るように、臆病さの混じる声音で、彼はそう告げた。
遠い過去から眠り続け、自身を知る者がひとりとして居ない世界に放り出されてなお、彼は誰かを助けたいと願っていたのだ。
それを口にした彼の表情が、あまりにも悲しげであったから。まるでそれが、彼自身の為した罪であるかのように言うものだから、とても見ていられなかった。
これを同情と呼ぶのなら、あるいはそうかもしれない。しかし、単なる憐憫と切って捨てるには、彼から受けた借りがあまりに大きかった。彼がいなければ、命を落とすことさえあったかもしれない。彼ならばきっと、お互い様だと言うのだろう。
皆が笑って暮らせる国を取り戻す。自分はそれを旅の目的とした。
その〈皆〉には、自分だけでなく、彼も含まれている。過程に差はあれ、彼は自分と同じく帰るべき国を失った。そんな彼に居場所を与えられたなら、この胸のつかえは下りるはずだ。
自分を生かすために死を選んだ父母。その挺身へ報いるために。剣を振るう者の係累として――否、ひとりの人間として、自分は、あの少年と歩くことを決めた。
だが、そこから一月と経たない内に、利き手を深く負傷してしまった。神像を討ち取ったことを考えれば十分な成果と言えるのだろうが、剣を握れない焦りは打ち消せない。
強くなりたいと言った矢先にこの様だ。ルストが分けてくれた薬は想像以上に効いているが、まだ復帰には至らない。
神像などという埒外の武力が幅をきかせている以上、剣の腕がどれほど役立てるのか。疑問は常について回った。しかし、疑念を抱くことさえ今は不可能だ。
自身の無力を、幾度となく呪った。その思いは怪我を負ったことで一段と強くなった。
けれども、嘆くばかりでは何も成せないのだ。それだけは動かせない事実だった。ならば、せめて助力の機会は逃すまい。たとえ微力に過ぎないとしても、添えられるならば意味はある。
そんな思いと共に、一種の諦めと共に、捕縛された人間の救助を手伝わんとした。
で、あるというのに――
「妙な触り方をやめ――ッぅ、おとなしくしてろ! 落ちるぞ! ッ、だから首を触るな!」
「ふひゅっ、ふひゅへへへぇ……。細身な割に力持ちなんだねレイジ様……ふひゅへぇ……あ、ぼくも首は弱いからなるべく触らないでほしいな」
――なんなのだ、この状況は。
「幸せ……これが幸せってやつかなぁ……ひゅふ……自分でもなんでこんな気持ちになるのか、ぜんぜんわからないや……いいやなんでも、ぼく幸せだし……」
「完全に脱力するのもやめてくれ。持ちづらい」
「あぁん冷たい、もっと気にして? ぼくの勇者様でしょ?」
「お前、本当に大丈夫か?」
「だ、大丈夫だよッ? 怪我もないしね? ひゅっ、ひゅふ、心配してくれて、優しいな……」
「そういう意味じゃないんだが……」
「なんなのです、あの黒髪娘……?」
捕まっている五人に、少女が含まれていたのだろう。そこまでは理解できる。理解が及ばないのは彼女――レレンの言動だった。
レイジを勇者などと呼び、緩みきった表情で密着している。いや、理解はしているのだ。彼女は両足が欠損しており、外へ出すには抱きかかえる必要があるということは。たとえ彼女がやたらと身体を少年に押しつけていようと、そこに含むところは無い――無いはずだ。
「参ったな。翻訳が不調なのか?」
『否定、彼女の使用言語は依然として既存ドライバで翻訳できています』
「つまり本当にそう言ってるってことか。やっぱり薬物でも使われてるんじゃないか?」
「くっ、薬だなんて! ぼくが扱うのは医薬品ばかりさ! ……そりゃ、使い方によっては、気分が良くなったりもするけど」
「また意味が通じてないな。連中に何かされてないかって話なんだが」
「おなかはすいてるけど何もされてないよ、傷一つないよ! いやあのほら、全然こっちを見てくれないからつい悪戯心ってやつがほら。是非ぼくにも興味を持ってもらいたいというか、どうしてこんなところで捕まっていたのかとか将来的に子供は何人欲しいかとかああでも望むなら何人でも――」
「……事情は聞きたいが、捜索が先だ。生き残りがいるかもしれない。……いずれにせよ、このビルは血まみれだからな。一旦、外で待っててもらうことになる」
「あぁつれない、つれないなぁ。それにそんな気遣いだなんて、いやすごく嬉しいけどぼくは一瞬でも長くレイジ様と一緒に居る方が――」
「頼むから、ちょっと黙っててくれないか」
「あっ、冷ややかな声っ、それもまたそれで……ふひゅへ……ありですね……」
「こいつ、どうしたら良いんだ……?」
理解はしているつもりだが、その光景を見ているとやけに胸がざわつく。苛立ちと呼ぶにはいささか弱いが、穏やかでないことは自覚できた。
しかし、あっけにとられた自分はといえば、ただ少年の背後で固まることしかできずにいる。
黒髪の少女を抱きかかえたまま、少年がこちらを向いた。自分と目が合う。
「あの、手当の道具を持ってきたわ。手助けが要るって言ってたから」
「スライアか、助かった。こいつを安全なところに――」
「や゛だ~~~~~~~ッ!」
レイジが言いかけたところで、絶叫がそれを遮った。もちろん声の主は黒髪の少女である。
「やだやだやだやだ、ぼくはこのまま連れて行ってもらうんだ。いいでしょ別にレイジ様ほらぼく軽いとはいえ一人分だし女の子にそんなの任せていいの? 良くないよね? 肩を貸すくらいなら彼女で良いけど、ぼくはこんな状態なんだから力のある男の人の方が良いに決まってるでしょつまりレイジ様ですはい決定!」
「いや、だが、まだ他の奴らが――」
「決定!」
レレンは遮るように宣言しつつ、むくれ顔で少年に引っ付いた。
場に沈黙がわだかまる。
それを破ったのはフェムだった。
「……あっ、じゃあ、わたしはあの白熊を手伝いに戻るのです。さっき、倉庫みたいな場所を見つけたと言っていたので。いえ、逃げるとかではなく。ここはわたし以外の方がよさそうなので。テイラッドあたりを呼んでおくのです。肩を貸すにも人手がいるでしょうから」
童女がそそくさと通り抜けていく。去り際、レイジの脇腹を小突いていった。予想外の一撃に軽く咳き込みつつ、彼は微かに眉根を寄せた。
「……なんだ? どうして殴られる?」
「……え、ええっと。怪我人はいなさそうだし、他の人はこっちに任せてくれていいわ」
遅れてひねり出した言葉に、レイジは気を取り直した様子で応じた。
「あ、ああ。すまない、頼む。すぐに戻る。まずは全員運び出してやらないとな」
少年が馬車を降りる。彼の姿が見えなくなってからも、胸のざわつきは続いていた。
「お嬢さん、もし、お嬢さん。できれば僕の縄をほどいちゃくれませんか? こいつらまるで使い物にならないんで。僕だけでもしっかりしないと。頼みますから」
「――あっ、ご、ごめんなさい。すぐ切るわ」
気持ちを切り替えるべく頭を振る。今は余計なことに気を向けるべきではない。目の前にいる人を助けなければ。
持ってきた小刀で拘束者の腕にかけられた縄を切り、相手を引っ張り起こす。
「いや、すみません。あとは自分でやりますんで、それだけ貸してもらえます?」
起き上がった商人――狸のような特徴を持つ獣人の男が、小刀を受け取って足の拘束を解いた。
「いちち、連中、強く縛りすぎだ。腐ったらどうしてくれるつもりなんだろうね」
男がぼやく。その隣へとしゃがみ込み、別な男の縄を解き始める。あんな騒ぎがあった後だというのに、後の三人は寝こけていた。
「彼らは壊滅状態よ。身をもって精算したわ」
「そいつは結構。きっちり全員死んでてくれるとありがたいんだが」
「ずいぶんな物言いね」
「そうかな、正当な対価だと思いますがね。にしても、隊長、今度は何があったのかな……?」
「隊長って、この中の誰? みんな寝てるけれど」
「ん、あぁ。いや違いますよ。我々を率いているのはレレンだ」
「……聞き間違えじゃなければ、今、あなた、あの女の子を隊長って呼ばなかった?」
「そうですよ。レレンは隊長。最年少ですけどね。普段から頭のおかしい人ではあるけど、今回はちょっと度を超してるというか」
「頭がおかしいって、仲間にそんな……」
「事実ですからね。彼女、仲間を仲間だと思ってないフシがあるから。その点で言えば僕もですけど。……まったく、商人ってのはみんなそうなのか、僕が変な奴らしか引き当てていないのか、できれば前者だと信じたいところだけれど」
「おかしな商人なら、つい最近、近くに実例を見たわ」
「はは、笑えない話です。ただ、おかしさという点じゃ、こいつらも負けず劣らずだろうね。まったく危機感の無い奴らだ。図太くなければやっていけないとは言うけれど、君らは度が過ぎているよ。ほら、起きるんだ」
男は同僚に呼びかけつつ、その横っ腹をぞんざいに蹴る。それを横目に、スライアは奇妙な違和感を覚えていた。
●
レレンを引きはがすのに随分と時間を食った。
戸外に連れ出すところまでは問題なかったのだが、降ろそうとした途端、子供のごとく駄々をこね始めたのだ。結局スライアと顔を合わせた時には、商人達は全員解放されていた。
拘束されていた面々はレレンに合流させ、適宜休んでもらっている。ルストを手伝おうとしたが、さすがに休むべきだと断られてしまった。解放した少女が見せる異様な好意を思うと、とんぼ返りで戻るのも気が進まない。
そんなこんなで、レイジは機能を停止した〈蒼雷〉を前に、一人黙考を続けているのだった。
廃ビルの中には、未だに血の臭いが濃く残っていた。思い起こされるのは先刻の戦闘――潜入から歩行戦車の暴走と、その停止に至るまでの流れである。
まず間違いなく死ぬ。目の前で腕を振り上げられた瞬間、確かにそう思った。しかし、そうはならなかったのだ。そして、それを『運が良かった』という一言で切り捨てられるほど、自分は単純な性格をしていない。
答えは出ない。歩行戦車の火は落ちている。起動しなければ履歴を漁れないし、そこまでの電力はメルからも供給できなかった。
「――やっぱりこの〈遺跡〉には、一人も賊が残ってなかったみたいよ」
と、そこで、聞き慣れた声が耳に入った。
「スライアか。ちょうどよかった」
「わざわざこんな場所に居座るのは、趣味がいいとは言えないわ。あなたにとっても、気持ちのいい場所じゃないでしょうに」
「調べたいことがあったんだ。結局は無駄だったが」
「なら、出ましょう。長居したくはないでしょう?」
「いや、かえって都合がいい。少し、付き合ってくれないか?」
スライアが怪訝そうに目を細めた。返事を待たずに、言葉を重ねる。
「他に話せる相手がいなかったんだ。俺一人じゃ考えに詰まりそうだった」
「ちょうどいいっていうのは、聞き役として?」
「ルストやレレンには聞かれたくない。アイツらは信用できない。少なくとも、今はまだ」
「フェムも?」
「アイツの思考は漏れる」
「まあ、確かにわかりやすいところはあるけれど……」
彼女の言うような意味ではなかったのだが、スライアは納得したようにうなずいて、こちらに向き直った。
「まあいいわ。それで、何を考えてたの?」
「……どうにも違和感がある」
「それは、この神像についての話?」
「それもひとつだ。生身の人間相手に歩行戦車が暴れたわけだからな。全滅するってのも無理はない。解せないのは、残りの連中――もともと見張りに付いてた奴らが、さっさと逃げて行ったことだな。来る途中で見えたんだろう?」
「ええ。小型の馬車が走って行ったわ」
「どうも、用意が良すぎるように思えてならない」
「それこそ無理のない話じゃない? 彼らが忠誠や情に厚いとは思えないわ」
「俺もようやくわかってきたところだが、山賊や盗賊って連中は、確かにならず者の集まりだ。お前の言うとおり、命をかけるつもりなんて無いんだろうが……」
「あなたが言いたいのは、つまり……早すぎるって?」
「ああ、そうだ。やけに見切りを付けるのが早い。歩行戦車が暴走したとはいえ、多少は迷いがあってもよさそうなもんだが……」
「まず、その『暴走』っていうのがよくわからないんだけれど」
スライアは尻尾を揺らめかせつつ、首をひねった。
「神像がひとりでに動くなんてことがあるの?」
「無いとは言い切れない。普通はあり得ないが、自律駆動機能が勝手に動いた可能性はある。なんせ800年以上経ってるんだ。起動するだけでも奇跡みたいなものだからな。いくら自己保全機能が優秀だって言っても、綻びは出る。それにしたって、きっかけは必要そうだが」
「きっかけ? レイジが近づいたからじゃないの?」
「俺が?」
「初めて動かしたときは『目を覚まして』って呼びかけていたじゃない。あなたから詳しいことを聞く前は、神像と話ができるのかと思ったくらいよ。そこのメルと同じなのかって」
よくもまあ細かいことを覚えているものだ。帝国を出た直後、アポステルらの襲撃を受けた際、確かに自分は歩行戦車へ呼びかけている。我ながら馬鹿げたことだとは思うが、あの時、自分は祈りに似た感情を抱いていた。
彼女の言葉を頭ごなしに否定することはできなかった。無論、話ができるという部分ではない。自分が近づいたから、あの機体が起動したという可能性についてである。
暴走だとばかり考えていたが、振り返ってみれば違和感はある。あの〈蒼雷〉が動き出す直前、何者かに接続されたような感覚があった。操作記録は残っていなかったが、単に中継点とされただけならば偽装する術はある。
「でも実際、あなたは規格外なのよ、レイジ」
スライアは言いつつ、倒れている〈蒼雷〉の装甲に触れた。目を細めて、遠くを見るような顔つきになる。少年の目には、その横顔が少し悲しげに映った。
「帝国が軍事利用を始めてから動かそうとした人間はたくさんいたようだけれど、アポステルから〈聖別〉を受けた像しか無理だった。限られた人間しか神像は扱えない。そのはずなのに、あなたはそれに縛られない」
「いや、それはまた別の話だ。認証を解いたことを、それらしく言ってるだけだろう。動きの精度は落ちるが、認証さえ解ければお前にでも操れる」
「……私が神像を?」
「もちろん、無改造ならそれなりの訓練が必要になるが。……いや、話が逸れた」
状況には不審な点がいくつも見受けられるが、それを解消する糸口は見つけられなかった。完全に火が落ちている以上、収穫は望めないだろう。
「考えてても埒が明かないな。レレンに事情を聞こう。ルスト達が資材や物資を集めてるはずだ。どっちにしろ、それが終わるまでは動けない」
「これじゃ、どっちが盗賊だかわからないわね」
「ま、言いたいことはわかるが。遺体を埋葬するだけマシだとは思いたい」
「冗談よ。そこまで頭でっかちにはなってないわ。これから先、それじゃやっていけないこともあるでしょうから」
動き出そうとした直後、念話通信を受け取った。フェムの声が脳内に響く。
《――レイジ、レイジ。妙なモノを見つけたのです。謎の足なのです》
《足? 視覚ログを――いや、お前には無理か》
《軽率に侮られたような気がするのですが》
《含むところは無い。それで、足って言ったか? 歩行戦車のパーツでも見つけたか?》
《それよりは小さいのです。人の足と同じくらいの大きさなので。わたしでも持てるくらいの》
《……それ、義足じゃないか?》
《あ、つまり、さっきの黒髪娘の足……?》
《よく知らせてくれた。アイツのところで合流しよう。持ってきてくれるか?》
《……わたしを小間使いか何かだと勘違いしているのです?》
《ルストに譲ってもらった干しぶどうが残ってるんだが》
《持って行ってやらないこともないのです》
通信を打ち切りつつ、スライアに視線で移動を促す。
ビルの外から、生ぬるい風が吹き込んだ。




