35 魔術師は同族の影を認め
気づけば、返り血と緩衝材にまみれたまま、建材の散乱した床に倒れ込んでいた。
痛覚を半ば無理やりに無視して、レイジは身体を起こした。
時刻を確認する。気を失っていたのは数分のことらしい。
幸いにして骨は折れていない。しかし、全身の打撲は免れなかった。
「……うぐ」
一歩を踏み出すたびに痛みが走る。
倒れ込みそうになりながら、ほとんど気力だけで足を動かす。小走りで搬出口へと向かう。
幸いにしてドームの周辺はまだ完全には火に包まれていない。火の手に退路を塞がれる前に、せめてこの場を脱する必要があった。
(他の連中はどうなってる? スライアやフェムは無事なのか?)
状況がわからない。〈宿木〉との通信は途絶していた。ことによると、彼の持ち場である本陣にも危険が及んでいるかもしれない。
皮質回路の通信帯域を全開にし、情報の取得を試みる。
ひとつの反応を見つけ、そちらに向けて送話を行った。
《……聞こえるか? 状況は?》
《――レイジ? ……どう、なったの?》
途切れがちな言葉が返ってくるが、ノイズではない。通信は明瞭だ。
《スライア!? 無事なのか!?》
《神像を倒して、はぐれの歩兵と、やりあった。大丈夫。このくらいなら、平気。……そっちは?》
《敵の頭は叩いた。けど、こっちの機体も大破しちまった。敵の歩行戦車――神像はまだ残ってるのか?》
《少なくとも、こっちにはいないはずよ。一体は私が、もう一体はヤドリギが倒したわ。けど、ヤドリギはそのあと、持ち場を離れたみたい》
《〈宿木〉が? どういうことだ、アイツはろくに動けないんじゃなかったのか?》
《なんとも。住人がそう言ってるのを、聞いただけ、だから》
《お前、本当に大丈夫か? すぐにそっちへ――》
《私よりも、フェムの方へ》
送話を遮るように、少女が答える。
《だが、そっちにも歩兵が行ってるんだろう!?》
《正確には、本陣にね。私の方には来てない。それに――たぶん彼らは、単なる雇われよ。貴族たちが死んだとなれば、退いていくはず》
《馬鹿な。奴らの亜人種に対する嫌悪は、思想に根ざした病だ。指揮官が死んだとなれば、それこそなりふり構わず殺しにくるだろう》
《いいえ。さっき、ひとりと戦った。賊くずれだったわ。彼らは、必ず金で動く。得が無ければ、逃げるわ。それだけよ》
彼女の言葉を咀嚼する。正当性を秤にかける。
自分は現代の文化に疎い。死生観も、おそらくは彼らから離れているだろう。一人で旅を続けていた彼女のほうが、動きの予測には長けているはずだった。
スライアの言葉はもっともだった。そちらが正解だと自分でも理解はしていた。しかし、彼女の安全が絡むとどうも冷静になれない。
《……わかった》
《黒い神像の乗り手が死んだことは、私からも伝えておくわ》
《頼む》
行動を決める。里の中心たる大樹木へ向けて走り出す。
動きの鈍い身体とは裏腹に、焦りだけが加速していた。
フェムの〈耳〉はいまだに通信対象に見つからない。先ほど聞こえた彼女の悲鳴が、悪い方向へと想像を広げさせる。
仮に彼女が無事であったとしても、敵に歩行戦車が残っているなら状況は最悪だ。
生身でも囮くらいはこなせる。しかし、まともな武器も無いまま敵機を撃破できるとは思えなかった。
時間が惜しい。情報が足りない。
肩で息をしながらも、レイジは必死に西へと向かう。
そのさなか、耳慣れない声紋による通信を傍受した。
《――聞こえていますか? ワタクシの声は届いているでしょうか?》
念話通信の帯域に送話されている。微弱ながら環境音も混じっているところをみると、おそらくは物理マイクを備えた通信機の類だろう。スライアが所持しているのと同じような物だ。
《どなたかどなたか。聞こえているならば、返事をいただきたく存じます》
降伏の勧告にしてはお粗末だ。もとより敵はこちらを殲滅するつもりのようだった。だとすれば、そもそもこんな呼びかけに意味は無い。
機体の反応から頭目の死が伝わり、それによって方針を変更した可能性はある。しかし、限りなくゼロに近いだろう。スライアの言葉を信じるならば、降伏を勧めるなどという面倒なことはせずに逃げていくはずだ。
――声の主は敵ではない。少なくとも、今のところは。
そう判断してレイジは呼びかけに応じた。
《誰だ》
《おお、まさか本当に返事があるとは。やはり、先にこちらへ向かって正解でしたな》
《質問に答えろ。……所属は? 現在位置は?》
《――ああ、いま目の前に出ます》
返答の意味を推し量るよりも先に、近くの茂みを突き破って馬車が躍り出た。
「……な、あ?」
「よーしよし、どうどう、どうどう」
馬車が止まり、御者がこちらを向く。そこに座っているのは、大柄な白熊の亜人種だった。いや――よく見れば、右腕だけが人間と同じ形を有している。どこからが明確に半亜人と呼べるのかは知らないが、獣としての割合が随分と高い。
こちらの姿を認めた熊が、歯を剥いて破顔する。
「耳長のほかにも魔術師がいると聞きました。……アナタのことで間違いありませんね?」
そう問いかけてくるのを前に、レイジは呆然とうなずくことしかできなかった。
●
「さあ、お乗りください、さあさあ! アナタもお急ぎでしょう? そうに決まっています、その方がいい」
親指で示されるまま、荷台へと乗り込む。そこには予想外の人物がいた。
「……先生、からだじゅうべとべと。顔だけでも拭くといい」
なぜか先客として乗り込んでいたルゥが、布を差し出してくる。
「あ、ああ。すまない」
走り出した馬車の振動に難儀しつつも顔を拭い――そこで、彼女以外にも見知った顔がいることに気づく。
フィニスにリギィ。生徒として自分が受け持っていた子どもたちだ。また、怪我でもしているのか、ジルコが奥で横たわっている。
そして、その傍ら。ひとりの童女が彼の様子を見守っていた。
乗員たちの間を縫って、彼女――フェムの元へとたどり着く。
「良かった。無事だったか」
「……ぁ?」
声をかけると、それでようやく顔を上げた。
しかし、彼女の目はこちらを向いてこそいるものの、焦点は定まっていない。
「フェム? おい、どうした?」
顔の前で手を振る。しかし反応は無い。
「……」
とりあえず頬をつねってみることにした。
「えあ、……あ、だ、だだだ痛いのですッ!? なにしやがるので、す……?」
「気づいたか」
「――レイジ?」
呆けたように名前を呼び、その双瞳に光がともる。同時に、彼女の〈耳〉が通信可能機器として出現した。
「無事だったらしいな。良かっ――痛っえぁ!?」
言い終える前に、こちらの頬がつねられた。それも全力で。
「乙女の柔肌に傷をつけようとは良い度胸をしているのです。これは当然の報いなのです甘んじて受けなさいこの蛮人」
「おいやめろ! 血が出る血が! 今のは確かに俺が悪かった! 悪かったからやめてくれ!」
「まあ、良いでしょう。これに懲りたら今後はしないように。次は本気でねじ切ります。頬の肉をちぎり取ってやるのです」
「いや今のは明らかに本気だったぞ」
ひりつく頬をさすりつつ、恨み言を口にする。しかし、フェムはツンと顔をそむけたまま、意に介する様子も無い。
「……ところで、〈宿木〉が本陣を離れたって聞いたんだが、何か知ってるか?」
問うた瞬間、露骨にフェムの表情が曇った。黙したまま、視線を床に落とす。
まずかったか、と悔いる間もなく、彼女はぽつりと答える。
「……いえ、わたしは、知りません」
《主様は、もう……。いえ、しかし、それを今言っては、この男は気に病むに決まっているのです。あとでいいのです。すべてが終わってからで――》
とりあえず脳天に軽く手刀を落とした。
「あだ」
彼女は驚きもあらわに、頭を押さえてこちらを見上げる。
「な、なな、なにを……!?」
「余計な気を回しすぎだ、お前は。……もう聞こえたよ」
「……あ」
「まあ、けど、ありがとな。おかげでちょっとだけ、気が楽になった」
笑いかける。フェムは意外そうに目をぱちくりとさせたあと、ふい、と面を伏せた。何も言わず、膝に顔をうずめる。
――そこで、思考を切り替える。
戦いはまだ終わっていない、感傷に浸っている余裕は無い。
「……で、敵戦力――特に歩行戦車はどうなってる? 誰か知ってるか?」
「ご神体なら、みんな壊れちゃったみたいだよぉ?」
「ふ、フェムが倒してくれたんだと、思う。主様も、固まったまま、動かなくなっちゃったけど……」
リギィとフィニスが疑問に答える。どうやら最悪の状況は回避できたようだ。
「となれば、あとは歩兵だけってことになるが……」
「――火を消す必要もあります。しかし、まずは戦いに片をつけなければいけませんなぁ?」
御者台の方から声が飛んでくる。
またも乗員の間をくぐり、レイジはそちらへと移動した。
「まずは礼を。助かった。正直、あのまま徒歩で移動するのも無理があると思ってたところだ」
「いいえ~? ワタクシとしても、都合がよかったので。取引先の方々が窮地に陥っている以上、見捨てるわけにも参りませんしね?」
そこまで話をして、自己紹介も満足にしていないことに気づく。
「レイジだ、早川怜治。名前が後に来る」
「ワタクシ、ルスト・トシュレ=リーグレイル=アヴァランチァと申します。よしなによしなに。こうも早く巡り会えるとは……いや、さすがはワタクシ、さすがは天才といったところでしょうな」
「……商隊の人間か? で、お前が魔術師ってわけだ」
「おや、ご存じで? ワタクシの正体までも?」
「〈宿木〉から聞いてた。名前までは知らなかったが。通信の声と同じだったしな。人数はどうあれ、〈遺産〉の心得があるってんなら心強い」
「なるほどなるほど、実に結構。……では、加勢に向かうといたしましょうか」
「ああ。本陣は向こうにある。廃墟を避難所にした形だ。途中に一人、拾っていきたい奴がいる。可能なら手当ても頼みたい」
「よいでしょう。急ぎます」
ルストは簡潔に答え、鞭をしならせる。
加速を全身に感じながら、一同は戦場へと向かった。




