33 揺り籠を振りほどいて
『――どれほどのものかと思えば、この程度とは』
黒色の敵機が細剣を振り下ろす。それにこちらの剣閃を合わせる。至近で近似周波の干渉による衝撃波が発生する。
「ぐ……ッ!」
爆風に機体を煽られながらも、空いた左手で地面を殴りつけて杭を打ち込む。それを楔として後退を防ぎつつ、強引に手番を奪った。
主導権を握り返すなりレイジは前へと踏み込み、最速の動作でブレードをたたき込む。
だが、それも早々に弾かれた。今度は爆発に抵抗せず大きく後退。ワイヤーを用いて一気に距離を空け、追撃を断念させる。
『威勢の良さは買うが、それだけだ。まるで猛犬よ』
「……犬か。ある意味、軍属にとっては褒め言葉だな」
これまでに打ち合った回数はすでに二十を超えていた。手を替え品を替え、致命傷を与えんと奮闘してきたが、いずれも防がれてしまっていた。
レイジはブレードを構え直し、次撃の契機をうかがう。
――しかし、有効打を放てるイメージがまるで浮かんでこなかった。
(どう攻める? どう崩す? ……それ以前に、保つのか、俺は?)
あるいは、と考えかけて――浮かんだ弱気を振り払う。これではいけない。だが、それこそが正直な感想ではあった。
剣を交えるほどに、圧倒的な実感を伴って『死』が迫ってくる。
たとえ属するべき組織が消え去っていたとしても、自分は軍人の端くれに違いない。比重は高くないが、〈学校〉でも総合武術の訓練は受けていた。近接格闘の心得はある。
だからこそ、わかる。わかってしまう。
眼前の敵機――〈スプリンター〉の乗り手と自分の間には、明確な力量差が存在している。
歩行戦車の操縦技術にはこちらが長じている。それは確かだ。おそらくは相手も皮質回路に準じる拡張臓器を有しているのだろうが、だとしても動作の端々には粗さが目立つ。人機間同期が甘い証拠だ。
しかし、そんな優位性を簡単にかき消してしまうほどの溝が両者を隔てていた。
言うなれば、剣術というモノに対する才覚と、経験の差。
正攻法では絶対に勝てない。かといって、安易な搦め手に嵌まってくれそうな相手でもなかった。
ならば、採るべき手段など限られている。
正道を行き、同時に意表を突く。あくまで相手が得意とする『剣での戦い』という領域に留まりながら、相手の予想を飛び越える。
現実の肉体に汗が滲むのを自覚しながら、少年は機体のカメラを介して相手の動きを注視していた。
『……ふむ、手が止まったか?』
グラムはつまらなさそうに言い、腰を落とす。
『――ならば、そろそろ手じまいとしよう』
そうして、一直線にこちらへ飛びかかってきた。
床が割れる。端材が飛び散る。暴風と化した黒色の機体が、一瞬で距離を詰めてくる。
圧倒的な恐怖を噛み殺しながら、レイジは高速念話通信を介して相棒たる総合補佐機器へと呼びかけた。
《――メル! まだか!?》
《否定。依然、試料が足りません。さらに何度か打ち合えば、あるいは》
《簡単に言ってくれる!》
《同意見です、レイジ。貴方が私に下した指示について、という意味ですが》
《黙って作業を進めろ! お前に構ってる余裕は無い!》
《了解しました》
会話を終了し、意識を現実に引き戻す。迫り来る相手の斬撃にブレードを当てる。爆風に重心が崩れかけ後退するが、相手は構わず追撃を放ってきた。
完全なる防戦。二度、三度と剣戟を交わし合い、そのたびに自機が後退する。
そして、四度目の衝撃波に煽られた直後。背に、壁が当たった。
『終いか。――まあ、愉しくはあった』
「……く、そぉッ!」
相手が間合いに入った瞬間、右手でブレードを振り落とし、左手で腰部武装固定点から高硬度ナイフを抜き放つ。
両者の得物が触れあわんとする直前、メルが通信を寄越してきた。
《――報告。当該兵装〈振动宝剑〉新規ドライバの作成が完了しました》
《――ッ、実行しろ! 今すぐにだ!》
《了解》
返答の後、こちらが持つブレードの振動が、わずかに変化する。
二本の細剣がぶつかり合う。高く澄んだ音が反響する。
――そして、振動音が完全に消失した。
両者の刀身は震え続けている。しかし、まるで無声映画のワンシーンのように、静謐が場を支配していた。
――この武器が発生させる高周波の振動は、刀身に共振を引き起こし分子間結合を強固化させるためのモノだ。起動後のブレード同士が触れた際に発生する衝撃波は、近似位相の振動が引き起こした一種の共鳴現象だ。
戦闘の最中、幾度か打ち合う内に気づいた。
異様なまでの切れ味を実現させている原因が振動波であるならば――逆位相の波をぶつけることで、刀身の効果を相殺することができる。
ただし、単なる逆位相波では不可能だ。かち合わせる際の周波は必ず無遅延でなければならない。それが問題だった。自分が持っている兵装は敵機と同一ではあるが、わずかな個体差、クセはどうしようもなく存在する。
敵が持つブレードの周波変動を完全に見定める必要があった。メルがドライバの作成に手間取っていたのはそのためだ。
かなりの時間と危険を代償とした。――だが、それだけの価値はあった。
結果として衝撃波は発生せず、あたかも通常の物理剣同士が衝突した時のように、つばぜり合いにもつれ込んでいる。
『何――』
相手の驚声にも構わず、レイジは左手のナイフで敵機の胴を狙う。しかし相手は咄嗟に右の肘を落とし、こちらの突きを防御した。
放電が発生する。右腕がねじ切れ、地面に落ちる。
『くはっ! まだ牙は折れておらんか!』
敵機は嬉しそうに叫び、背に負った長剣を左手で取り、勢いに任せて振り下ろした。
「く……ぅッ!」
体をずらす。ブレードを持ったこちらの腕が半ばから断たれ、空中に舞い上がる。相殺しきれなかった余勢のままに首がねじ切れる。
サブカメラが画面を復旧させるよりも早く、レイジは胸部前面装甲を解放した。
そこに見えたのは、剣でこちらの胸を突かんとしている敵機の姿だ。
「おい、嘘だろ……ッ!?」
ハーネスを外し、迷わず機外へと飛び出す。
その直後、剣が身体の直近を通過し、一拍遅れて風圧が全身を襲う。
先ほどまで身を収めていた搭乗席が貫かれ、基幹伝達系を破壊された自機が沈黙する。
身体が重力に引かれ、落下を始める。
(死ぬのか、俺は?)
過剰稼働状態に陥った皮質回路が時間感覚を鈍化させる。その中にあって、レイジはぼんやりと考える。
自機は大破。敵機は健在。戦力差が明確なこの状況で勝利をもぎ取れると思えるほど、自分は夢想家ではない。
そう諦めかけた――そんな時だ。
――う、ぁぁ……っ!
声が、聞こえた。
か細く小さな、しかし、確かな悲鳴。
(……フェム?)
間違いない。その声は〈里〉中心部の守りに向かった童女のものだ。
彼女も戦っている。声を聞く限り、窮地に立たされているのかもしれない。
(――俺は、まだ終われない)
即座に弱気を振り払う。負けを受け入れつつあった自分を叱責する。
自分は確かに〈宿木〉と約束した。この場を任せろと童女に言った。
戦場に立つ人間の中で、誰よりも幼い子供に剣を持たせた。人を殺させることを選び、彼女はそれを承諾した。
ならば、この敵を斃すのは自分の役目で、それが己に課した義務だ。
守るべきモノを失った自分が、唯一守らんとした約束さえ果たせぬのなら――きっと、自分はついに何者でもなくなってしまう。
意識を切り替え、次の一手を考え続ける。
そこで視界が捉えたのは、こちらに落ちてくる一つの物体。
焦点が合う、明確な像を結ぶ。その正体を脳が理解する。
――腕ごと弾き飛ばされた、高周波ブレードだ。
それに向かって、必死に手を伸ばす。柄に触れる。
瞬間、少年は力の限りに叫んだ。
「――メルッ! 全力で、俺を飛ばせッ!」
『了解』
――重力制御機構、起動。
直後、四肢がちぎれ飛ばんばかりの衝撃が全身を襲った。
「ぐっう、お……おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――ッ!」
視界が揺れる。激痛が走る。それでも剣は手放さない。
こちらの動きに気づいた敵機が長剣で進路を阻む。しかし、その程度で防御がかなうはずもない。
姿勢を制御し、剣を断つ。
その先にあるのは敵機の胴部だ。
『――くはっ、成る程。これは、なんとも愉快な』
一発の弾丸と化した少年は、敵機搭乗席を切り裂いた。
●
主である〈宿木〉が敵機を屠り、どうしたわけかこの場を離れてしまった後。
仲間が拾ったスライアからの通信が予告していた通り、大量の敵兵がこの本拠へと押し寄せて来ていた。
「――いいですか!? 絶対に戦線を押しとどめるのです! 子供らを傷つけさせてはなりません!」
《北東に敵兵を多数視認! 〈布〉持ちの射手を何人かくれ!》
《猟犬に矢を持たせてくれ! 手持ちの分じゃまるで足らん!》
「まずいぞ、まだ火が消えてない!」
「それよりも敵だ! 先にそちらを片付けねば!」
「落ち着きなさい! 敵は多くない。撃退は可能です! しかる後、消火にあたります!」
物理的な怒号と、〈耳〉を介して飛び交う無数の声。
それらの渦中にあって、小柄な栗毛の少女――フィニス・スウテフィークは、ひとつの〈声〉を受信した。
細く弱々しい、悲鳴じみた声だ。
「――っう、……痛ぁ……!?」
ごく小さな大きさの音声だ。であるにもかかわらず、なぜか頭に痛みが走り、思わずその場にうずくまる。
誰もが戦いに緊張しきっている中、真っ先に気づいてくれたのは二人の友人だった。
近づいて、こちらの顔をのぞき込んでくる。
「……フィニス、どうしたの? 頭が痛い? 薬草は戦う大人たちに優先。けど、少しだけなら、くすねて来ることもできる」
「ルゥさあ、そういうのは内緒話で言いなよぉ。大人に聞かれたら面倒くさいからさあ」
「む」
二人のやりとりも、薄膜を隔てているかのようにぼやけてしまっていた。
「具合が悪いのなら、せめて休むべき」
「ち、違う、違うの……! そんな場合じゃないの!」
「でもさあ、苦しそうだよ。一体どうしたのさ」
疑問げな二人を前に、フィニスは答える。
「あの子の……フェムの声が聞こえたの! 悲鳴だった。フェムが叫んでた!」
「――フェムが?」
指示を飛ばしていたジルコが、耳ざとくそれを聞きつけた。
《――テイラッド、前線は貴方に任せます。リクスは射手を三人連れて行ってください。交代しつつ、前線の維持に努めるようお願いします》
その通信を聞いた仲間が、にわかにざわつき出す。
「おい、ジルコ! お前、ここを離れるつもりか!?」
「主様もいなくなってしまったんだ、ここでお前がいなくなれば、戦線が破綻するぞ!?」
「それは……」
苦い顔でジルコは言葉を濁す。
「――いいや、お前はすぐに行くべきだ、ジルコ」
そこに、数人の男たちが割り入った。
ドームから戻り、準備を整えていた面々だ。
「なに、敵はそう多くない。〈布〉もある。俺たちに任せて、フェムを助けに行ってくれ」
「そうだ。あの子は、身を張って俺たちを助けてくれた」
「情けない話だ。戦いを子供に任せることしかできなかったとは」
「……せめて、大人の役目ってもんを果たさにゃいかんな」
その言葉を受けて、ジルコは意を決したようにこちらへと向き直った。
「……私が行きます。案内してくれますか、フィニス」
●
がきん、がきん、がきん。
どこか遠くで、そんな音が響いていた。
同じ強さで、等間隔に鳴る金属音。変化に乏しく、ともすれば冗長な音の連なり。
「――ん、ぅ」
それらに手を引かれるように、童女は意識を覚醒させた。
目を開ける。視界には薄闇が広がっていた。
どれほど気を失っていたのか。あるいは、これはすでに死したあとの世界なのだろうか。
手を伸ばし、自分の肉体が形を保っていることに安堵する。機体が四肢を潰された際の幻痛は未だに尾を引いていたが、なんとか手足を動かすことはできた。
掌に触れる感触から、自分が依然として巨人の中にいることを知る。見たところ、機能を完全には停止していないようだが――〈糸〉は繋がない。少年から教わった方法を思い出し、手動で装甲を解放する。
差し込んできた陽光のまぶしさに目をすがめ――そこで、音の正体を知った。
『抵抗を確認。再攻撃を推奨』
がきん。
『ひっ』
『抵抗を確認。再攻撃を推奨』
がきん。
『やめ、やめろ』
『――抵抗を確認』
がきん。
『もう……もう、やめてくれえっ!』
先ほど自分を殺さんとしていた群青色の機体が、仰向けに倒れ込んでいた。その上に馬乗りとなって何度も短剣を突き立てているのは、灰白色の機体だ。
胸には痛々しいまでの亀裂が走り、白色の液体を血のように滲ませていた。
『――撃を推奨。攻撃を、こう、ささい、さ、再度の攻撃を推奨』
声が聞こえる。長らく親しんできた平坦な音声を、聞き間違えるはずもない。
これまで座したまま、自分たちの営みを見守ってくれていた主――〈宿木〉が、変わり果てた様子で、武器を握っていた。
――がきん。
『ひっ、ひぃ……ッ!』
刃が落とされ、一拍遅れて悲鳴が上がる。群青色の機体は両腕を盾とすることで搭乗席の損傷を避けているものの、両の手指はズタズタに切り裂かれており、武器を持つことはできそうもなかった。
反撃の手段を失った彼に、もはや打つ手は無い。
下敷きとなっている巨人は胸を開き、両手を広げた男が出てくる。その顔は涙にまみれ、見るからに憔悴しきっていた。
「こ、ここっ、降参する! もうたくさんだ! 私は――」
――ぐしゃり。
「……え? ッ、ぎああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!?」
絶叫が響き渡る。
短剣の切っ先は狙いが逸れたのか、男の片腕を縦に削ぎ斬っていた。
自らの血にまみれ、男は自機の中へと倒れ込む。
『生体反応、有り。搭乗席の破壊を推奨』
「や――やめ……ろ……! 来、るなァ……が、来る、んじゃ、ない……!」
懇願も巨人に届くことはなく。
再度、生身の人間に向かって刃が落とされた。
耳に届いたのは、やけに水っぽい肉の破裂音。
悲鳴はもう、聞こえなかった。
『敵機動力炉の不活性化、確認できず。再起動の恐れあり。攻撃を推奨』
沈黙を破ったのは、主たる〈宿木〉の声だ。
『ああ、そうだな、そうとも。立ち上がられては困る。少尉を守らなければ、そうでなければ私の存在意義は推奨をへの撃を搭乗推奨を再攻撃を推奨。搭乗席への再攻撃を推奨』
〈彼〉は返り血が拳と胸を染め上げても手を止めることはなく、執拗に短剣を敵機の胸へと突き刺し続ける。
『――ああ、わかっているとも。少尉は妙なところで抜けているからね。私がしっかりと支援してやらなければ再度の攻撃を推奨の、推奨再さ、再攻撃を推奨』
腕についた杭を幾度も打ち込む。狂気的なまでの正確さで丁寧に装甲を貫き砕いていく。殴打と刺突に晒された胴部は、もはや原型をとどめていなかった。
『対象の完全な沈黙を確認。索敵を開始』
「あるじ、さま……?」
呆然と、呼びかける。
その声に応じるように、〈彼〉が――否、その機体が、ゆっくりとこちらを向いた。
視線が絡まる。
両者が硬直する。
『――ああ、なるほど』
何かに気付いたようなそぶりで、そう言うと、〈彼〉はナイフを構えた。
『貴様も、私の敵か……!』
明らかに様子がおかしかった。音声からは平坦さが失われ、ひどい雑音が混じっている。まるで人間の肉声であるかのようにも感じられた。
『赦せない。赦せるものか。私から少尉を奪ったこの世界を、悲しむことさえできない内に、悲しみを与えた貴様らを。他ならぬ〈私〉が、断じて赦してなるものか……!』
「何を、一体何を言っているのです、主様!?」
『いいや、私は……? 彼女は、少尉は既に死んでしまったじゃないか。何を言っているんだ。――敵性反応有り。いや、あれはフェムだ。私は、少尉は、私は彼女は敵では攻撃を推奨します対象への攻撃を高硬度ナイフの使用を推奨――』
緩慢な足取りで、〈彼〉はこちらへと近づいてくる。
「や、やめるのです。やめてください、主様……!」
制止の声はまるで意味を成さない。〈彼〉はそのまま得物を振り上げる。
(聞こえていない!? なら、無理にでも……!)
思わずフェムは視界を切り替え、〈糸〉を視認。
そこで、息をのむ。
数百どころではない。数千、万に届こうかという数の光糸が〈彼〉の身体から伸びていた。それはまるで機影を覆い尽くす繭。赤子をおさめる揺り籠のように、〈彼〉の周囲を漂っている。
一度〈外れ〉を引けば、そこで終わる。
そんな確信じみた予感が、明らかな死のイメージが脳裏をよぎった。
『提、て、てて、提案、ナイナの使用フを硬度を推推推すすすすすす――』
細切れの音声が発せられる。まるで関節が錆び付いているかのように、ナイフを持つ〈彼〉の手が震えていた。
そこで、気づく。
ご神体から伸びる〈糸〉が、急速に数を減じさせていた。
『――フェム』
空中で手を止めていた〈彼〉は、いつもと変わらぬ平坦な声で呼びかけてくる。その間も光の繭がほどけていく。
「……主様?」
『私、を、殺せ』
「な、なにを」
『早くしろ。でなければ除をします敵歩兵の排除を提案――たしに自死の機構は組み込まれていない。だから、早く私に接続を――実行』
〈彼〉が言葉を紡ぎきる前に、その巨人は短剣で少女を突き殺さんとする。
だが、刃は空中でわずかに軌道を変え、少女の真横に落ちた。破砕した部品が飛び散り、肌に傷を残す。
『生体反応あり、再度の攻撃を、攻撃をををすすすす、て、て……』
短剣が引き抜かれる。持ち手を頭上に振り上げ、巨人の目がこちらを射貫いた。
『提案提案ていてい、てて、……こ、れが、最後の、機会だ』
「え……ぁ……でも、それでは、主様はッ!」
『――今すぐ私を殺せ、フェム!』
叫びと共に、短剣が落ちてくる。
「……う、ああああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――ッ!!」
迫り来る刃が身体を貫く直前、彼女は不可視の手で唯一残った〈糸〉をたぐり寄せる。
自身と〈彼〉とを繋いだ瞬間、頭中を大量の映像と音声が高速で駆け巡った。
――よろしくね、〈宿木〉
――なんだ、つまらないなあ。
――さすが私の〈宿木〉。やるじゃん。
――ねえ、あんたは、人を助けるための存在でしょ?
――これが、私からの最期の命令だよ。
――なんてね。君にできるわけ、ないか。
あたかも圧縮された記憶を一挙に流し込まれたような感覚。とめどなく送り込まれる情報の奔流に、〈自分〉という感覚そのものが崩壊しかける。
(……ぁ、私は、彼女は〈私〉は、〈彼〉がこの反応が推奨する敵機の提案を拒否し――いや、ち、がう。違う。違うのです。わたしは、わたしは、フェム。フェム・スウテウィーク)
千々に乱れる自我を必死でかき集め、つなぎ止め、保ちながら、彼女は自分を動かしている力の源を探した。
(どこか、どこかにきっと、ある、はずなのです)
胴ではない。これは人間が収まるべき場所で、別な位置に力を伝える〈線〉があるはずだ。
(――見つけた!)
背骨――延髄の下にあたる部位。そこに力が集中しているのを知覚する。
(ごめんなさい、主様……!)
祈るような思いと共に、彼女は首へとナイフを突きたてる。
刃先が力の流れる線へ触れた瞬間、〈彼〉との接続が切れた。
●
この身体を操る〈私〉は、すでに私から離れつつあった。
『私は、何を……?』
撮像素子が捉えているはずの景色が像を結ばない。何もかもが判然としない。白飛びした空間の中、状況を把握せんと人工の感覚器たるセンサー類に注意を払う。
そこで、気づく。
〈私〉の直下に、ひとつの生体反応があった。
思わず下を向き――そこで、驚愕する。
『少……尉……?』
視界に映ったのは、かつての主。
はにかむような彼女の笑みは、柔らかな陽光にも似て。
『危険です、少尉。はやく、こちらへ』
気付けば私は、彼女を迎え入れようと胸部装甲を開放していた。
思考が割れる。自我が砕ける。雑影が走り雑音が混じり雑念が〈私〉を崩してゆく。
――ああ、これこそがきっと、死というやつなのだろう。
細分化した私の一片が、冷静に思う。その〈私〉も、すぐに消え去ってしまった。
『ああ、わからない。わからないのです、少尉。これが本当に正しかったことなのか、私が歩んできた道が、果たして合っていたのか』
自身が無へ溶け去ろうとする中、私は彼女へと視線を向け続ける。
『それでも、せめて。――報告、します。天野律音少尉』
私は伝えねばならなかった。たとえ、これが最期の言葉になるとしても。
『――私は、貴女の命令を、果たしてみせました』
――うん。お疲れ様、私の〈宿木〉
遙かな過去に聞くことのかなわなかった、慰労の言葉。
その声は、きっと、私の願望が生み出した幻聴に過ぎない。
それでも、構いはしなかった。
●
少女の視線は、眼前の『ご神体』へと向けられていた。
まるで神を見つけでもしたかのように手を伸べて、こちらを見下ろす一体の巨人。
割り開かれた胸は、さながら天に心臓を捧げる生け贄のごとく。
その中を見たフェムは、かすかに眉をひそめた。
そこにあったのは、朽ち果てた布と崩れた人骨。骨はところどころ砕けてしまっているが、おおよそ一人分だ。
布もおそらくは服だったのだろう。推察するに、座に腰掛けるような姿勢だ。
今しがたの〈彼〉は、明らかに挙動がおかしかった。自分を誰か別な人間と間違えているようでさえあった。その動きは、死者が最期に見せるせん妄の症状によく似ていた。
――〈糸〉を繋げた瞬間、確かに視えた。
今とは異なる風景の世界。そこで屈託なく笑う黒髪の女性。親しげに話しかけてくる表情は、まるで母のような慈しみを伴っていた。
不思議と懐かしいような、自分に母がいたら、きっとこんな人だったのだろうと思ってしまうような――そんな、温かな笑み。
おそらく〈彼〉にとっての大切な女、だったのだろう。
「――嗚呼。なんて、なんて哀しいヒトなのでしょう、あなたは」
〈彼〉の内で死した彼女が、〈彼〉へと託した思い。
それに応えんと、幾百年の孤独を過ごした〈彼〉。
「主様。あなたは、それでよかったのですか?」
その経緯を知る者は、もはや自分以外にいない。
たとえわずかな断片であっても、たとえ意図的な行為ではないとしても、自分は彼から記憶を継いでしまった。
「主様。――いいえ、今はこう呼ぶべきなのでしょう」
ならばせめて、弔いの言葉を投げるのは自分の役目だ。
「お疲れ様でした。――〈宿木〉」




