8 幻想は現実を侵食し
センテルリア帝国の西南。
小国連合の一国たるエルダートンに面した地域を領地とし、西南鎮台の役割を果たしてきたリアードフェルス辺境伯――グラム・ヴィエ・リアードフェルスは、自室の椅子に座りながら、手中の〈遺産〉へと語りかけた。
「……して、葬儀は如何様に執り行うおつもりか」
『望みうる限り、盛大に』
返ってきたのは、しわがれた声。
その簡素な答えに、グラムは鼻を鳴らした。
遠方との即時通信が可能なこの〈神々の遺産〉は、一部の貴族にだけ配られた特別品だ。
ごく近距離での交信を行えるモノであれば市井にもいくらか出回ってはいるが、帝国西端の辺境にありながら聖都の人間と会話ができる道具など、そうそう見つかるものではあるまい。
「アポステル様のご遺体は、回収できたのか」
問いに、通信の相手は、かすかに笑った。
デナミラス・エレ・クーリエラント。
自分以上に厳格な真人正当派の一員であり、アポステル亡き今、次期教省長の座に最も近いとされる人物だ。
『できたと言えば、できた。……ああ、曖昧な物言いを許してくれ。なにせ、原型をとどめておらんのでな』
「なんだと?」
『アポステル様が駆っていた神像〈メルカヴァ〉は、サンキルレシア東部の遺跡から引き揚げた。商隊を追い散らし、総力を挙げて回収させたとも。だが、残念ながら遺体は――いや、遺体と呼べるほどのモノは出てこなかった。骨さえ粉々に砕け散っておる始末だ』
「だが、ならば葬儀はどうする。皆が国葬を望んでいるのだぞ」
『我らはともかく、大衆に姿を見せることの無かったお方だ。そこはどうとでもなろうよ』
「しかし……」
『それよりもだ。貴公には、参列よりも重要な大役を果たしてもらいたいと考えている。此度の連絡は、その打診こそが目的だ』
「……何?」
グラムは胡乱げに眉をひそめた。年月を経て額に刻まれた皺が一層の深さを得る。
「現状、参列をないがしろにできるほどの任など、あるとは思えぬがな」
『辺境伯よ、これは好機だ。道を誤り一切を失うか、正しく動き全てを手にするか。今後の帝国の有り様は、我らの手にゆだねられたと言ってよい』
「相変わらず迂遠な物言いをする。率直に答えてもらいたい。……何をさせたい?」
取り繕うこともせず、単刀直入に訊く。
そも自分が現在の地位を得たのは、この男についたからだ。もっと言えば、この男がアポステルを神聖教省へ招き入れたことが最大の理由である。
権力のある者に付き従い、指示を忠実にこなす。そうすることでグラムは辺境伯としての地位を確たるモノとしたのだし、これからも生き方を変えるつもりは無かった。
『仇討ちの先陣を切ってもらいたい。アポステル様を殺した魔術師はサンキルレシアにいると見て間違いない。フィクセンド公もインベスタリスの長子も死したのだ。西方で彼ら以上の神像遣いとなれば、貴公ほどの適任はおるまいよ』
「事実上の開戦ではないか。我に戦端を開けと言っている自覚はあるか?」
『さて、な。どうあれ、数年以内の開戦は必定であろう。ならば、攻め入る大義を掲げられるうちに領地を奪っておいた方がよい』
(――老狐めが。下手な獣よりも臭ってかなわぬわ)
相手に顔が見えないのを良いことに、グラムは思い切り顔をしかめてみせた。
相手がいかに真人であろうと、人格的な好悪はある。
仮にも国を代表する聖職者が死したのだ。自分を信頼しているが故の振る舞いだとしても――いや、だからこそ――悲しむそぶりさえ見せないデナミラスのことを、彼は好いていなかった。
(しかし、そうでもなければ務まらぬというのも、また事実ではある)
徹底的に冷徹で、無慈悲なまでに合理的な狐。
まるで好くことのできない男ではあるが、合理性を取って彼の元に付いたのは他ならぬ自分自身だ。あるいは、同族故の嫌悪であるのかもしれない。
『返事を聞こうではないか。とは言っても、既に腹は決めておるのだろうが』
「……追加の神器を送れ。それが条件だ」
その言葉に対する返答を待たずに、グラムは通信を切った。
●
たき火の中で、ぱちりと生木が弾けた。
そばに流れる水の音を聞きながら、レイジは火の周囲に立てられた串を二本、手に取る。
木枝で作った即席の串に刺さっているのは猪の肉だ。よく焼けていることを確認してからスライアに渡し、自分の分をほおばる。
筋張っているとばかり思っていたが、意外にも肉質は柔らかい。木の実が主食なのだろう、脂からほのかに香ばしい風味を感じる。軽く塩を振っただけだが、それでも十分美味い。
傍らにあるのは、捌かれてほとんど肉塊と化した猪だ。先ほど自分たちを追い回していた、スライアの言葉を借りれば巨猪という呼び方の獣。
自分たちと一緒に、これも近場へと落下していたのである。どうやら岩に直撃したらしい。打ち所が悪かったのか、あっけなく絶命していた。
手近にあった沢を利用して捌いたが、それだけでも相当に骨が折れた。肉が特別固いというわけではないが、図体が大きすぎるのだ。
(道を外れたのは痛いが――ともあれ、食糧の心配は無さそうだ)
肉を飲み込む。次の一切れを食べながら、そんなことを考えた。
火を挟んだ対面ではスライアが一心に串肉を食んでいる。猪に追われたことについて何か言われるかと思ったのだが、怒りよりも食い気が勝ったらしい。あるいは、わざと言及を避けてくれているのかもしれないが――そうならそれで、気遣いがありがたかった。
「……歩行戦車でも使わないと楽には殺せないかもな、こいつは」
猪へと視線を移して、改めてその大きさに息をつく。
実際、突進をまともに喰らえば歩行戦車であってもよろめくくらいはするかもしれない。先ほどの猛進ぶりには、そう思ってしまうだけの迫力があった。
大きさに比して肉の量も多い。可食部だけでも優に200キロはあるだろう。
「腐らせるのもなんだ。いくらか保存しておきたいところだが……燻製や干し肉って、そうそう簡単にできるものじゃないよな」
スライアが、その言葉に顔を上げる。
「どっちにするとしても塩が沢山ないとダメね。遺跡の人たちが色々と分けてくれたけれど、余分はそんなに無いから」
「塩が貴重品ってのはこの前聞いて驚いたが、海が遠くなればそれも当然か」
「帝国の近海地方じゃ、しょっちゅう密造されてたけれどね。こっちも塩湖が近いから、横行してる可能性はあるかな」
「ま、それについては良い。携帯できる分だけでも、加工しておきたいところだが――」
言いかけて、止まる。
「どうしたの? ……具合でも悪い?」
スライアは問いつつ、押し黙ったこちらを不審そうに見る。前から思っていたことだが、この少女は異変に敏感だ。他人の不調についてはことさらに心配する節があった。
だが、黙り込んだのは別の理由がある。
妙な音が聞こえたのだ。
「いや、体調が悪いわけじゃないんだが……何か、聞こえないか?」
――っ♪
答えた直後、同様の音が聞こえてくる。先ほどよりもはっきりと聞こえてきた。
「歌……みたいな声だ。ほら、また」
それは情報伝達を目的とした言葉よりも、むしろ歌声に近かった。そこに意味の塊は無く、ただ緩やかな旋律のみが伝わってきている。
「歌?」
スライアは怪訝そうな顔でこちらを見返す。猫に似た形の耳が、ぴくりと跳ねるような動きを見せた。
見た目からもわかるように、彼女の耳は常人のそれよりも敏感だ。自分に聞こえる音が彼女には聞こえない、などということはまずあり得ない。
しかし、彼女はただ首を傾げるばかりである。
「聞こえないか?」
「全然。――聞き間違いじゃない? こんな山奥に人がいるとも思えないわ」
彼女の疑念はもっともだった。
そもそも自分たちは崖から落ちてここにいる。普通ならあり得ない経路を辿ったわけだ。当然ながら人里からは離れているはずだった。
だが、間違いなく声は聞こえる。猪の肉に幻覚作用でもあったのかと疑ったが、スライアを見る限り異常は無い。他に変なモノを食べた記憶も無かった。
(まさか――)
様々な可能性を考えて、ようやく思い至る。
自分にだけ聞こえ、スライアには聞こえない会話方法が、ひとつだけ存在する。
すなわち、念話通信だ。
通信可能な機器を視覚化。
電子拡張された視界内に表示された機器は二つ。
一つは〈LCO42 - 00001〉
メルの型式番号と個体識別番号が併記されたものだ。
もう一つの表記を見て、背筋に悪寒が走る。
〈c%/■野vid.あn+m―〉
そこには、文字化けにも似た表記があった。
《――メル》
《前方28メートル地点に発信源を探知。木陰になっていますが、間違いありません》
疑問を発するよりも先に、メルへと呼びかける。返答の内容に警戒を強めた。
思っていたよりも距離が近い。スライアに黙るよう身振りで伝え、荷物はそのままにそっと場を離れる。
ポケットにアーミーナイフが入っていることを確認。発信源へ向けて、静かに進む。
緩やかな旋律は徐々に大きくなる。通信の強度が増しているのだ。
横から回り込み、木の陰からそっと様子をうかがう。
発信源には、果たして人影があった。
太い切株に腰を落ち着けているのは、東南アジア系を思わせる褐色の肌を有した少女だ。背中へ回した長い灰色の髪を、ツタのようなモノで束ねている。
《――hm♪ ――hhm♪》
彼女は目を閉じて微笑んだまま、口一つ動かさずに『歌って』いた。
身長はレイジよりも頭ふたつぶん低い。年齢は推し量りづらいが、十を過ぎた辺りだろうか。
森の中を散策しているにしては随分と軽装だ。麻製らしい半袖のシャツと、ゆったりとした腰巻きをつけている。『ちょっと散歩をしに来た』というような風情だが、現在位置を考えるとひたすらに異様だ。
だが、それよりも目を引く部分が、もっと異様な点が、彼女にはあった。
(おいおい……なんだ、アレは?)
人から離れた形状の器官を有する者たちは、この時代では亜人種と呼び習わされている。だが、この場合も同様の呼び方をするべきなのか、レイジには判断がつきかねた。
驚きの余り、思考が逸れたことに気付く。
軽く頭を振ってから、もう一度彼女を見直す。
しかし、それでも彼女の姿に変わりは無かった。
(あれじゃ、まるで――)
レイジが向ける視線の先、少女の側頭部。
そこにある耳が、細長く尖っていたのである。
(――エルフ、じゃないか)
次話「9 歌う童女は思惟を秘めず」は 9/16(土)21:00更新です




