5 奉ずる区分の意味は絶え
倉庫の中で食事と、ごく短い仮眠を取った。
目を覚ましたのは夜もかなり更けてきた頃である。
まさかこんな状態で眠れるとは。
自らの図太さに少し呆れる。だが、傍らの少女は自分よりも深く熟睡していた。思わず毒気が抜かれたフレイヴェイは、そっと耳を澄ませる。
かすかに人の気配は感じ取れるが、そう盛大なものでもなかった。
「……うん、まあ。ここまで待ちゃ、もう動けんだろ」
隠れた時に比べれば外も随分と静かになっているし、危険は少ないだろう。リクリエラを起こして、二人は卑民街区へと動き出した。
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「……っ、だれかいる」
卑民街へ足を踏み入れてから数分。案内役のリクリエラがそう言葉を発した。
この少女は存外に耳が良い。自分には何も聞こえてこないのだが、嘘ということもあるまい。
「どっちだ?」
問いに少女は前方を指さす。
警戒しつつ進んでみれば、果たして複数の人影が立っていた。仮面を付けているところを見ると、どうやら件の自警団連中らしい。
「こんな時間までご苦労なこったぜ、まったく」
少女と共に物陰へと隠れ、様子をうかがう。相手はこちらに気づいておらず、このままやり過ごせそうではあった。
だが――奇異な点が一つ。
その集団は、明らかに装いの違う少女を引き連れていたのだ。
手縄で拘束されているその娘には、見覚えがあった。
見間違えるはずも無い。つい先ほど自分たちをかくまった、給仕の娘だ。
「あいつ、なんで捕まって……!?」
疑問はすぐに解けた。
「しっかし、こんなんで見つかるのかねえ。いくら危険人物つったって、こんな女一人、見捨てて逃げちまうんじゃねえか?」
「ま、これで釣れるなんて本気で思っちゃいねえだろ。本当にそう思ってんなら、もっと人数集めるはずだしな」
「あの畜生どもを助けてたのは事実だ」
「脅されてやった、と言ったか。だが、仲間である可能性も否定できん。油断するな」
漏れてきた会話を聞く限り、どうも自分たちを倉庫にかくまっていたことがバレてしまったらしい。あるいは、自分たちが出るところを誰かに見られていたのかもしれない。
(くそっ、面倒くせえことになっちまった。どんどんややこしくなりやがる……!)
内心で毒づくが、それで事態が好転するなら世話は無い。
「さっきも言ったじゃないか。あ、あたしは脅されて仕方なくやっただけで……きゃっ!?」
「これ以上立場を悪くしたくなければ、黙っていることだな」
手縄を縛り上げられ、痛みに顔をしかめる娘。彼女は怯えきった表情で仮面の男たちを見ていた。
そんな様子を横目に、他の連中も話し出す。
「脅されたなんて嘘に決まってらあ。てめえ、あの畜生どもの仲間だろう」
「仲間、仲間ねえ。この分じゃ、本当に真人かも怪しいもんだな」
「…………確かめてみるか?」
誰もが娘を怪しむ中、誰かがぽつりと漏らした一言。
それが空気を豹変させた。
「そりゃ、いい」
「亜人どもの仲間だってんなら、どうせ殺されんだろ?」
「……いくら使っても、お咎めなんざあるわけねえ」
一変した雰囲気に、娘の瞳が恐怖に染まる。
「あいつら……ッ!」
頭に響く歯ぎしりの音。フレイヴェイは、そこではじめて自身の怒りを認識した。
「嬢ちゃん、ちょっとそこにいろ。目はつぶって、そうだ。そのままちょっと待ってろよ」
内心煮えたぎるような怒りを抱えながらも、彼女を待機させられたのは幸いだった。
彼女を庇いながらでは存分に戦えない。
「――おい、待ちやがれ」
なにより、人が死ぬ場を見せなくて済む。
物陰から身を現すフレイヴェイに一人が気づき、慌てた様子でこちらを指さす。
「お、おいッ! あそこ!」
「俺を探してんだろう、お前ら」
激情を押さえつけるように、努めて緩慢な所作でフレイヴェイは問う。
「まさか本当に見つかるたぁな。運が良い。どうも、その娘はよっぽど大事な仲間らしい」
否定するのも馬鹿らしい。
仲間ではないと証言したところで、嘘だと切って捨てられるだけだ。
「おいおいどうしたよ。随分と怒ってるみたいじゃねえか」
「黙れ、クソ畜生どもが」
吐き捨てるように、言う。
「……人殺しが性に合わねえだなんて言ったが、こいつは例外だ」
朱に塗られた鞘から剣を引き抜く。
剣と鞘の擦れる音が思考をざらつかせる。
これで後戻りはできないぞ、と笑われているようにも感じた。
己を貴族たらしめる証をもって民草を斬る。
それは家との決別を意味していた。
だが――そんなこと、構いはしない。
どうせ顔は割れている。この一件で自分も罪人の仲間入りだ。
「お前らが善良な民だなんて思いたくもねえ」
剣を抜いたのは、この期に及んで『人殺しが性に合わない』などと言っていられない、という理由もある。
「亜人種だの、真人だの、そんな区分はどうだっていい」
だが、それ以上に――自分は知った。知ってしまった。
この世に蔓延る真の獣は、人の皮を被っているということを。
「お前らは、人間じゃねえ。お前らが人間でたまるものかよ。穢れてんのは、お前らの方だ」
聖鎧を起動する。
意味を解せない音の連なりが発せられ、上半身の動きが軽くなる。
「こいつ、〈遺産〉を使うぞ! 気をつけてかかれ!」
「〈世俗の腕〉か。来いよ。その腐りきった腕、まとめて斬り落としてやる」
怒りに熱を持つ身体とは対照的に、頭は冷え切っていた。
人を殺すと決めたとき、人間は意外と冷静になれるものらしい。
視線を巡らせる。相手の数は六。現状、増援の気配は無い。
手前から順に、剣持ちが二、農具を改造した槍持ちが三、照明の松明持ちが一人。
仲間を呼ばれるのが一番まずい。既に騒ぎを聞きつけた連中もいるだろうが、到着までは時間がある。手早く終わらせるべきだ。
「手……前ェッ! 俺たちが〈穢れ混じり〉だと!?」
「――ぶっ殺せ!」
そこまで状況を分析したところで、相手が動き出した。
剣を持つ二人が憤然と飛び出してくる。あんな口上を切られては逆上するのも無理はない。
だが、その行動はいささか迂闊に過ぎたと言えよう。
先んじて斬りかかってきた相手の剣閃に合わせ、左腕を掲げる。
「ハッ、馬鹿が!」
嘲りと共に振り下ろされた剣は、しかし、あっさりと止められた。
「馬鹿はお前だ、傭兵崩れが」
聖鎧のフレームは量産品の剣ごときで傷つけられるモノではない。盾と化した腕をそのまま押し広げて、驚愕する相手を袈裟がけに斬る。
聖鎧の補助を受けた斬撃は、人体を易々と両断した。
悲鳴さえ上げられず、男は血しぶきを上げて崩れ落ちる。
フレイヴェイは剣を振り下ろした勢いのままに踏み込み、一息にもう一人の敵へと肉薄。沈み込んだ体勢を戻しがてら、顎を殴り上げた。
ごしゃり、という嫌な感触が拳に伝わり、相手が大きく宙に浮く。
その下をくぐり抜けて槍持ちの三名へと接近。慌てて槍を構える彼らの姿は、完全に素人だった。
「やっ、やれッ!」
号令に合わせ、三本の槍が一斉に突き出される。
農夫にしては息が合っている方だが、槍の穂先は全てこちらに向いている。逃げ場はいくらでも存在した。
「――ふっ!」
呼気と共に体幹を右へずらす。滑り込むような重心の移動で槍を躱し、三本とも抱え込んだ。
「なっ」「こいつっ!?」「ひッ、ひぃッ!」
右手の剣を手放して槍を掴む。三人は揃って得物を引き抜こうとしたが、こちらも伊達に鍛えてはいない。加えて、こちらには聖鎧の加護がある。
「だぁぁぁぁぁぁぁ――ッ!」
力任せに槍を振るう。即座に槍を手放せなかった男たちは、圧倒的な馬力差で壁に叩きつけられた。三人とも呻き声を上げて動かなくなる。
残るは松明持ちの一人のみ。息もつかずにそちらへと踏み出す。
「来るんじゃねえ! こっちに来るんじゃあねぇッ!」
相手はいつの間にやらナイフを手に持って、拘束した娘の首へと当てていた。仮面の下にある表情は窺えないが、明らかに狼狽している。
「ち、ちくしょう! よよ、寄るな! この女、てめえの仲間だろう。こいつが死んでも――」
「その前にお前が死ね」
男が手に力を込めるよりも早く剣を突き出す。剣尖は勢いよく喉を突き破り、一拍遅れて吹き出した鮮血が娘の半面を赤く染めた。
剣を引き抜いて背後を確認する。立ち上がる影は無かった。
「……くそッ、やっちまった」
毒づいて、大きく息を吐く。
これ以上無いほどに一方的で、完璧に近い勝利。だが、それは『相手がただの平民だった』という事実を浮き彫りにもしていた。
剣を持っていた二人はおそらく傭兵だ。しかし、他の四人は明らかに素人だった。
身のこなしがなっていないのもそうだが、そもそも配置がおかしい。狭い路地で戦うならば槍は前列に置くべきだ。
おそらくは戦闘経験の豊富な傭兵を前に出したのだろう。
『危険な亜人種を排斥することで身を守る』という彼らの理念は、歪んでいるとしか言いようがない。しかし、組織に損害を出さないための配慮はしているらしい。
「どうしてその気遣いを別な方向にやれねえんだよ、ちくしょう」
吐き捨てつつ、剣を振り血を払う。
鞘に収めて視線を戻すと、娘が地面にへたり込んでいた。
自分の服にかかった血を呆然と見下ろしている。未だに事態が把握できないという面持ちである。
このまま放っておくわけにもいくまい。
「あー……ええと。まあ、なんだ。助けられて良かっ――」
「ちっとも良くない!」
叫びと共に、伸べた手が払われる。
「なんで、どうしてこんな。あたし、あたしは――」
少女は血にまみれた自身を見て、目を覆い隠す。まるでこれは夢だと言わんばかりに、頭を振って現実を拒む。
「こんなことなら……あんたなんか、助けなきゃよかった」
弱々しい言葉が、鋭く胸を突き刺す。
「……あぁッ! ちくしょうっ! 本ッ当に面倒くせえ」
ガリガリと頭をかいて、フレイヴェイは娘の肩を掴んだ。
「なっ、何さ。何しようって――」
「俺に殺されそうになったところを、あの連中が身を挺してかばった。……良いな? 俺はあんたを殺そうとしたが、足音に気づいて逃げていった。誰かに見つかったらそう言え」
無理やり視線を合わせ、ゆっくりと言い含める。怯えたようにうなずいているが、理解しているかは怪しいところだ。だが、他に方法も無かった。
「なんなら俺は〈なり損ない〉だった、って言ったっていい。どうせ俺は逃げる。俺のことは上手いこと使え」
確実を期すなら気絶した生き残りを殺しておくべきだが、そこまでやるつもりはない。〈世俗の腕〉からすれば自分たちを『亜人種から市民を守った英雄である』と証言してくれるのだ。利益を生む人間を殺すほど、奴らも馬鹿ではあるまい。
「すまなかったな、嬢ちゃん」
何を言われているのか、まるでわからないという様子で、娘は茫洋とこちらを見つめる。
返事を待っている余裕などは無かった。
「リクリエラ、大丈夫か!? さっさと逃げるぞ、案内してくれ」
物陰の少女を呼ぶ。ひょこりと出てきた彼女を抱え上げて、フレイヴェイは場を後にした。




