2 されど人は人たるを歪め
アポステル・エレ・エクレシアルの逝去が報じられてから三日。
すっかり居座ることの増えた安酒場のテーブルで相も変わらず味のしないスープを啜り、フレイヴェイは外に一瞥をくれた。
開け放たれた出入り口から見えるのは、店先の広場で演説を繰り広げている集団だ。
「我々は、ひとえに真なる人間である我々自身を守るべくして立ちあがった! いま、帝国は未曾有の危機にさらされている。アポステル・エレ・エクレシアル様の急逝に心痛める我々を嘲笑うかのように、獣どもは反乱を繰り返している!」
彼らは一様に黒色の外套を身に纏い、仮面で顔を隠している。仮面の頬には帝国教会の聖印が描かれていた。
「無論、愚かにも神のしもべたる我々真人へ楯突く者に勝利はない。だが! 西の要衝たるこの町において、降りかかる火の粉は払い、危険の芽は摘み取らねばならない! 故に立ちあがるのだ、勇者達よ! 共に手を取り合い、この危機を乗り越えようではないか!」
揃って『獣の横暴を許すな』と叫び散らす声にフレイヴェイは思わず顔をしかめる。
「自警団ねえ。いまさらって感じだよホント」
彼らは近頃結成された自警団だ。正式名称は〈世俗の腕〉。
いまのところ組織としては教会と直接の結びつきが無いが――教会の、ひいてはアポステルの教義に恭順な真人正統派の思想を色濃く受け継いでいる。言ってしまえば過激派だ。
「――でもま、仕方ないんじゃないかい? 教会だって混乱が収まってないみたいだしさ。あたしらの身はあたしらが守らなきゃならない、ってのには賛成だね」
独り言を耳ざとく聞きつけた店員の娘がそう口にする。反論するのも馬鹿らしく思えて、曖昧にうなずいて見せた。
――自警などと銘打ってはいるが、あれは気の弱い連中が暴動に怯えているだけだ。少なくとも、自分の目にはそう見えて仕方がない。
アポステルという、現状を支えていた強大なる象徴。その消失に伴う混乱はフレイヴェイも身をもって実感しているし、町民とてそれは同じだろう。
だが事の本質は、人々をこのような行動に駆り立てた原因はそこではない。
問題はアポステルその人ではなく、彼が動かしてみせた神像にある。
神像を動かせるようになったのはアポステルの力だ。貴族達の手中にあるそれぞれの神像は未だに動いているようだが、その秘蹟――神像を意のままに操れるようにする術は、実際に神像を下賜された貴族にすら全貌を教えられてはいない。
アポステル無くして新たに掘り起こされた神像を操れないのはもちろんだが、ややもすると、彼の存在が無ければ『いま扱えている神像』さえもが動かなくなる可能性もあった。
教会がこのまま統制を失い、もし、神像という軍事の中核さえ失われたとしたら。
ろくな実戦経験も得られないまま一年の時を過ごした軍人の多くはひどく練度が落ちていることだろう。中には刀剣での戦闘訓練を欠かさない勤勉な連中もいるかもしれないが、それにしたって国家全体で見た場合、軍力の大幅な低下は避けられない。
その事実が知れれば他国、とりわけ小国連合が侵攻してくる危険性もある。
しかも脅威は外だけに存在しているわけではない。むしろ問題は内側にあった。
概して亜人種は真人よりも頑強だ。そのため近年の帝国は、亜人種たちをさまざまな場面で使ってきた。農業や石切り、採掘などといった純然たる肉体労働から、遺跡調査における罠避けなど、その用途は多岐にわたる。
おおよその場合はまともな食事も休息も与えられることはなく、彼らは怪我を負うか、それでなくても消耗し――使い物にならなくなった者から捨て置かれている。
一年で成されたとは思いがたいほどの、急激かつ無軌道な体制の変化。そして、その結果として積み上げられた屍の山。
その高さは計り知れず、亜人種の真人に対する恨みも相当なものになっているはずだ。
――彼らの仮面の内側にあるのは、きっと恐れだ。
彼らはおそらく、これまで亜人種へ成したことの反動を恐れている。
ことさらに自らの行為の正しさを喧伝する人々の姿は、フレイヴェイからすれば、恐怖に怯えているようにしか見えなかった。
(怯えるってことは、恐れるってことは――自分のやってたことが正しいわけじゃないって多少なりとも思ってたんじゃねえか。忌々しい)
嫌でも演説が耳に入ってくるここに居座っていても気分が悪くなるだけだ。
スープを飲み干したフレイヴェイは乱雑に口元を拭うと、そのまま店を後にした。
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「しっかし、どうしたもんかね。町を変えるついでに商隊の護衛でも請け負うか? 賊に出くわさなきゃ御の字だが、戦うとなると面倒きわまりねえな……」
アポステルの一件があってもなお人通りの絶えない路地をゆっくり歩きながら、青年は大きく嘆息した。
ここ三日の間も職探しは続けていたのだが、いかんせん町の場所が悪かった。収穫は無い。
これが帝都の近くともなればいくらでも道はあったのだろうが、いつぞや食堂の娘が言っていた通り、ここ〈シグレイラ〉では傭兵くらいしか働き口は無かった。それもおおよその雇い主は個人で、戦争や国境警備といった所謂傭兵の正道と呼べる仕事は皆無である。
遺跡の警備隊で仕事をしていた時はおおよそ神像に随伴する形で歩いており、その際は警戒しつつも考え事をよくしていた。いまではその関係が逆転し、考え事をするときには歩く癖がついてしまっている。
「……っと、危ねえ危ねえ。この先はまずいな」
思考に気を取られすぎると、時折周りが見えなくなる。あてもなく歩き続けている内に普段ならば寄りつかないような、卑民街の近くにまで足を伸ばしてしまっていた。
職のない亜人種が住み着いているというのもそうだが、それ以上に自警団の連中がうろついているのがまずい。それでなくとも治安の悪い地区には近寄らないのが得策というものだろう。
これまで来た道を戻るべく踵を返す。
「貴様、昼間からこんな所をうろつくなど、どういうつもりだ!」
その直後、背後からそんな怒鳴り声が上がった。
(って、あぁ……思ったそばからこれかよ)
昼間も何も、どうせ夜中に出歩いたらそれはそれで問題にするだろうと思いつつ振り返ってみれば――そこには誰もいなかった。
「……おろ?」
不思議に思って視線をさまよわせるが、やはり人はいない。
首を傾げたところで、またも声が上がった。
「怪しい奴め、貴様ら獣はアポステル様の大いなる慈悲によって生かされていたことを忘れ、町に火種を蒔くつもりだな!?」
自分が対象ではないとなると、どうにも気になって声の源を探してしまう。足音を立てないようにそちらへ近づいてみると、すぐに状況が明らかとなった。
日も差さないような路地裏の奥。
幼い少女が、黒衣の集団に取り囲まれていた。
ところどころが汚れた金髪を有する、十歳にも満たないであろう少女。なにより目を惹くのは包帯とも呼べないような、汚れた布の巻かれた細腕である。
そこからは、黒色の羽毛がびっしりと生えていた。
鳥のような羽毛に覆われた、人間のそれと同じ形をした手。ただし、彼女の手は形こそ人間のものとよく似ているが、羽毛が掌からも生えており、機能としては完全に同一とは言い難かった。
大空を羽ばたく鳥、道具を扱う人間、そのどちらにもなりきれなかった〈なり損ない〉。
獣の血が引き起こした、忌むべき穢れの発露。
「なんとか言ったらどうなんだ、ええ?」
声を荒げる大人達を前に、幼子はわけもわからず立ちすくんでいた。
これ以上見ていても気分が悪くなるだけだ。
「いやなもん見ちまった。くそっ」
フレイヴェイは吐き捨てるように言って、踵を返しかけた――その、矢先。
唐突に脳裏をよぎったのは、かつて対峙した少年の姿だった。
半亜人でさえ〈なり損ない〉として扱われていることくらい知っていただろうに、それでも彼は敢然と自分たちに立ち向かい――そして、ろくな武装も無しに三人を打ちのめした。
「……あぁ、面倒くせえっ」
独りごちて嘆息し、フレイヴェイはそちらに向けて足を踏み出す。
(くそっ、くそっ! なんで俺は、アイツらに近づいてる?)
半亜人の少女を囲んでいるのは主に非力な一般人だとはいえ、さすがに数が多かった。中には傭兵らしき武具を携えた者の姿さえ見える。
生物としては頑健な亜人種の血を引いているらしいが、それにしたって相手は子どもで、しかも半亜人でしかない。よってたかって袋だたきにされればひとたまりもないだろう。
そして、それはフレイヴェイとて同様だ。囲まれて私刑に遭えば大けがは免れない。
自ら進んで面倒ごとに首を突っ込む趣味はない。
だが――度が過ぎた横暴を黙って捨て置けるほど、人として腐っているつもりはなかった。
「――っ、何者だッ!?」
近づいてくる足音に気付いた一人が鋭くこちらに向き直り、誰何の声を発する。
卑民街の中ということもあって建物の数が少ないのか、外壁近くの空間はそれなりに広さがあった。少女は壁の側に追いやられている。
ぴりぴりと焼け付くような緊張が空間を支配していた。答えを発しないフレイヴェイに業を煮やしたのか、男は声を荒げて再度問うた。
「何者かと訊いている! さっさと答えねばタダでは済まんぞ!」
「……ちょっとは落ち着けよ。いくらそいつが〈なり損ない〉だからって、わざわざお前らが手を汚すほどじゃないだろう? 人殺しなんてやめときな、面倒くせえだけだ」
その言葉を発した瞬間――その場が、水を打ったように静まりかえった。
集団の目が驚きに見開かれているのが仮面越しにもわかる。
「……あいつ、今、この畜生の肩を持ったか?」
ぼそり、と。
誰かがそうつぶやいたのを皮切りに、黒衣の集団は動き出した。
「――もしかして、あいつも〈穢れ混じり〉なんじゃないか?」
「……捕らえねば」
「その男は、獣に与する者だ。穢れた志を抱いている」
「……あん? そりゃどういう――うっわ、ちょっとちょっと、どういうつもりだよ」
十秒と立たないうちに前方が人の壁でふさがれる。慌てて後ろに下がろうとするが、既にそちらにも人が回っていた。素人の集団にしてはどうしてなかなか統率が取れている。
「こちとら善良な市民の一人だぜ? 正気かお前ら」
「引っ捕まえろ! 尻尾か毛皮か、穢れの証を隠してるはずだ!」
「おい、俺にゃ亜人種の血は混じって――って、うぉッ!?」
弁明の暇さえ与えられず、一人が身を低くして掴みかかってくる。
フレイヴェイはそれをひらりと躱し、そのまま流れるように足を引っかけた。
「ひっ――うえぉあぁっ!?」
無様な声を上げながら相手は派手にすっ転び、勢い余って家屋の壁にぶつかり――そのままぴくりとも動かなくなった。
「…………あっ、やべえ」
あまりにも隙だらけな突進だったせいで、つい反射的にやってしまった。
恐る恐る他の面子を伺う。仮面に隠されて表情まではわからなかったが、溢れかえる怒気ばかりはどうしようもなく感じ取れた。
(どうするよ、これ……?)
たらり、と冷や汗が頬を伝う。
捕まって身の潔白を証明するという手もあったが、彼らは彼らで話が通じそうにない。命が助かるなら全裸になったって構いはしないが、怪我をするのはまっぴらごめんだった。
後ろには下がれない。
必然、壁が薄くなった前方を突破するより他に方法は無かった。
だが、剣を抜いては本末転倒だ。刃傷沙汰にまで発展すれば、こちらに弁明の余地は無くなってしまうだろう。
ならば、取るべき道は一つに限られる。
フレイヴェイは身を低くして前方にある人の壁に向けて突進を敢行。身構えた相手の間隙を素早い身のこなしですり抜け――そのまま呆然とした面持ちの少女を抱きかかえると、脱兎の如く逃げ出した。
「逃げられたぞ! 追え! 追えぇッ!」
背後から追い立てるような声があがる。
「あぁクソッ、なんだってこんな……ッ。ちくしょう、面倒なことになっちまった……!」
体力と筋力では傭兵くずれに負ける気はしない。仮にも警備兵だった身だ。それに、職探しの過程で町の構造はあらかた頭に入っていたから、『荷物』の一つや二つあったところで逃げ切るだけの自信があった。
なぜ、自分はこのような行動に出てしまったのか。わからない。まるでわからない。
わからないが――不思議と気分は晴れやかだった。
だが、問題は山積している。これで自分は、少なくともこの町に居場所が無くなってしまっただろう。
「…………また、おにごっこ?」
ことの重大さをまったくもって理解していないらしい少女を抱きかかえて走りながら、フレイヴェイはこの日何度目かのため息をついたのだった。




