24 魔術師は神域を侵し
「……う、ぐ」
身体が自分の物であるという実感が湧かない。奇妙な浮遊感と倦怠感が同居した状態で、彼は小さなうめき声を上げた。
自分の身になにが起こったのか、すぐには理解できなかった。
『……告。機体左……傷。――炉吸入口の半損により……動力、四割低下――』
「――ジ、……レイジ!?」
全身が感じているべきであるはずの痛みすら遠のいて、朦朧とする意識の中。かろうじて耳に届いていたのはメルの機械的な警告音声と、慟哭にも似た悲痛な叫び声。
「あいつ、まだ、……逃げて、なかったのか……?」
ぬるり、という感触が頬を伝う。手をやると、掌にべっとりと血がへばりついた。痛覚が戻り始め、脇腹にも傷を負ったらしいことがわかる。
沈みそうになる意識を無理やり奮い立たせる。あの男を、アポステルを止めなければ。
「まだ、戦える……! ……なっ!?」
損害状況を確認しようと視線を上に向けたところで、レイジは我が目を疑った。
そこには空が広がっていた。――機体の左肩から搭乗席の一部にかけてが、ごっそりと抉られていたのである。装甲の破片が突き刺さった脇腹以外に深刻な怪我を負わなかったのは幸いと言うほかなかった。
「ぐ……、電離気体投射砲、いや……装甲を貫ける初速となると、電磁加速砲、か……?」
装薬の関係で〈蒼雷〉が装備していた旧来の火器は使えなかったが、電磁砲はその限りではない。兵器そのものに問題がなければ、あとは飛翔体を撃ち出すのに必要な電源さえ確保できれば良いのだから。
そして、周囲に存在するあらゆる物質の質量をそのまま莫大な電気的エネルギーに変換することのできる歩行戦車にとって、電磁兵器はこれ以上ないほどに相性が良い。
「余波……じゃ、ないな。弾が、かすったのか……なんて威力だ」
『弾体の一部が電離気体化しているのでしょう。実際の弾丸は数十グラムに過ぎないはずです』
「左腕は、全部もっていかれてる、か……。まともな戦いじゃ、勝ち目は無いな……」
『連射されなかっただけでも幸いというべきでしょう。本来の電磁加速砲がもつ性能ならば、すでに当機は蜂の巣です』
「聖歌とか、なんとか……言ってたが、あれが関係してるの、かもな。なんにしろ、首の皮が一枚、つながったって、わけだ……」
震える指先でいくつかのスイッチを操作し、状態を再確認する。機体は左腕と胴の一部が損壊したものの、システム自体は生きているようだった。
機体は動かないわけではない。
しかし、問題なのはその搭乗者――レイジの方である。
「わざわざ古代兵器を、宗教と絡めやがって……ぐ、うっ!?」
刺すような痛みを感じて、額を抑える。頭痛がひどい。
頭を打ったというだけの理由ではないだろう。おそらく死への恐怖が引き金となって無意識のうちに皮質回路を限界以上に酷使してしまったのだ。
敵機の突撃を迎え撃ったときに感じた、緩やかな時間の流れ。情報の超高速処理による相対的な時間感覚の緩慢化――限界突破だ。
処理容量を超えた副脳の使用による反動は、脳へのダメージという形で顕在化する。
一般的な拡張臓器はそういった危険な機能にリミッターが掛けられているのだが、軍人を初めとする一部の人間が有する物に限っては例外的に制限の解除が認められていた。当然ながら、レイジもその例に漏れない。
機体に膝を着かせ、胸部装甲を開放する。搭乗席から這い出たレイジは立ちあがることこそできたものの、もはや息も絶え絶えといった状態だった。
「レイジ! っ、こ、これ……!?」
スライアが慌てて駆け寄り、肩を貸してくる。脇腹から染み出る血に気付いたのか、彼女ははっと息を呑んだ。
「どうして、ここに、いる……? 逃げろって、言っただろう」
「そんなこと言ってられる場合じゃないでしょう!? そんなにぼろぼろになって、血だって出てるのに……! 立ってるのだってやっとのくせに、強がってる余裕なんて……」
説教のような内容に反して、声に力は感じられない。視線だけで彼女を見ると、その目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。
どうして、彼女は泣いているのだろう。
もやのかかった思考の中、そんなことを疑問に思う。口に出して問おうかとも思ったのだが――アポステルの苛立たしげな声がそれを遮った。
『まだ生きていたのか。どうしてなかなか、しぶといと見える』
展開した電磁加速砲を元に戻し、白銀の機体はゆっくりとした足取りで近づいてくる。それを見たスライアが、沈痛な面持ちで口を開いた。
「このままじゃ、二人とも殺されるわ。だから――」
「だから、お前が囮になる、か? ……ふざけるな」
「でも、もう勝ち目なんて私たちには……」
「いいや。逆に、いまが好機だ……!」
いくら歩行戦車の内蔵炉が優秀だと言っても、短時間で生成することのできるエネルギーには限りがある。そして、これだけの威力を発揮する電磁砲を発射するには、当然ながら相応の電力を供給してやらねばならない。
「ほんの数分。数分だけではあるが……エネルギーを武装に集中させる特性上、機体そのものの動きは、多少なりとも鈍るはずだ」
「でも、そんな怪我じゃあもう――」
戦えなどはしない。そう言いかけたのであろう彼女の口元に、人差し指を立てる。彼女の口から諦めの言葉は聞きたくなかった。
『万策尽きたようだな。……神を愚弄した罪、身をもって贖うが良い』
「黙ってろ。二度も、言わせるな。……俺は、お前を止める」
『幼稚な理想論だな。理想だけでは、状況は好転せんよ』
「それには、同意するよ。……けどな、理想も掲げられない人間が、逆転するなんてことも、またあり得ない話なんだよ、アポステル」
『戯れ言を。ここから勝つ見込みがあるとでも、本気で思っているのか?』
「少なくとも、ゼロじゃない。……まだ、方法は、残されてるんだからな」
『……気でも狂ったか』
「おいおい……お前も、歩行戦車乗りだっていうなら、わかるだろう?」
面を上げる。敵の機体を見上げる彼の顔には、不敵な笑みが浮かべられていた。
「誰が、これはもう動けないなんて言った……?」
『――っ、貴様』
アポステルが何事か言いかけた、刹那。
それまで待機姿勢にあった〈蒼雷〉が突として地を蹴った。
『なんだとッ!?』
隻腕の巨人が二人を跳び越え、驚愕の声を上げる相手に向かって猛然と疾駆する。
レイジが眠る直前――文明崩壊前では、総合補佐機器をはじめとする多くの機械類が副脳を用いた操作に対応していた。それは歩行戦車とて例外ではない。
副脳による人機一体。歩行戦車が人型たる所以の一つである。
そして操縦者と機体との接続は、搭乗席内のみに限った話ではない。直線移動や設定した目標への攻撃といったごく単純な動作だけならば、遠隔操作での運用も可能だ。
しかし、それには当然ながら皮質回路の使用が必須である。
ろくな休憩も挟まないまま人工副脳を限界以上に使い続ければ、脳への負担は大きくなる。ことによっては死ぬ危険すらあった。
――だが、それがどうした。
ここで使わずしてどこで使う。どうせしくじれば死ぬだけだ。
ならば、せめて最後まで抗うべきだ。
〈蒼雷〉に突撃を敢行させながら、レイジは行動を開始する。
「ちょ、ちょっとレイジ……! いま動いたら――」
「死ぬよりは、マシだ。……すまないが、歩くのを手伝ってくれ」
「――っ、わかった」
覚悟を決めた表情でスライアは同意してくれた。
激痛に耐えつつも移動する。そうする間にも隻腕の機体は急速に敵機へ近づいてゆく。
『その程度で……勝てると思うな!』
敵機は即座に剣を手にし、振るう。
「くそっ――、防げ……ッ!」
本体への直撃は避けられたが、外からの操作であるために一瞬だけ反応が遅れる。〈蒼雷〉の右手に握られたナイフがその一撃で弾かれた。唯一の武器である短剣が空を舞う。
衝撃を殺しきれず、たたらを踏むように数歩だけ後ずさったが――機体は前進をやめない。構わず地を蹴り続ける。
『武器を失ってもなお刃向かうというのか。だが――』
相手は既に次撃の用意を済ませていた。あの機体が持つ性能ならば、半壊した歩行戦車など一刀のもとに両断できるだろう。
だが、それは当たればの話だ。
いまの一撃で既に距離感覚は掴んでいた。
「……そこだッ!」
遠隔操作を受けた〈蒼雷〉が、相手が持つ得物の射程に入り込む寸前で踏みとどまる。果たしてアポステルの放った必殺の斬撃は虚しく空を切り――そこにわずかばかりの隙ができた。
『なに……っ!?』
向かって左の脇から反対側の肩にかけてを腕一本で押さえ、背後の建物に叩きつける。すぐに抜け出されてしまうだろうが、それで十分だ。
片腕を失った時点で、まともなやり方であの機体を倒せるなどとは思っていなかった。
「ったく。方策としちゃ、下の下だな……」
言いながらも、レイジは足下に落ちている巨大な剣を見下ろす。先ほど撃破した二機目の〈御劔〉が使っていた物だ。突撃で敵の気を引いている間に、ここまで移動していたのである。
「どうにか、もってくれよ……!」
祈るように独りごちる。レイジは剣の柄を両手で握ると、警鐘のごとく痛覚情報を駆け巡らせる頭にも構わず、脳内でコマンドをぶち込んだ。
――重力制御機構、起動。
「メル! 最大出力だ……!」
『了解』
疑似斥力場生成座標の演算を開始した途端、視界に雑影が走る。先ほどの限界突破で不調が生じたのか、メルとの接続も不安定になっていた。演算領域が拡張されていない。
「ぐっ、う……! この……っ!」
「レイジ!? そんな、このままじゃ――……ぁれりぅす、てゅれいらぎあ!」
一時的に視界の電子拡張を解除し、翻訳機能を停止し――〈蒼雷〉を操作するために必要のない機能を全てなげうって、予備演算のみに心血を注ぐ。
――速く、速く。
ただそれだけを思う。限界に近い皮質回路の高速稼働は思考を加速させ、またも目に映る時間の流れが緩慢化する。
――壊れても良い。
時間が足りないと見るや彼は脳本体の一部を副脳に委譲した。本来の主従が逆転した状態で過剰稼働を続ける。過負荷に晒された脳が熱を帯び眼球が充血する。
――自ら護るべきと感じたものを護ることができるなら、構いはしない。
視界が明滅する。鼻からぼたぼたと垂れる血を拭うことさえせず(――速く)全ての演算領域を(――もっと速く)駆使し脳細胞が電流に喘ぎ混濁する思考を奮い立たせ(――これじゃあ足りない)肉体から乖離しかけた意識を(――速く速く速く速く!)無理やり引き戻し人としての反応速度を遙かに超越し――
演算が、完了した。
「動、けえええええッ!」
直後、レイジの前方にある空間に陽炎のような歪みが生じ――人間が振り回すにはあまりに長大な剣が、持ち上げられる形で宙に浮いた。
長く太い刀身は、標的たる白銀の機体にまっすぐ向けられている。
「ぐ、が。あぁ……ッ!」
時間感覚が元に戻り、針で刺されたような鋭い痛みが幾度も脳に走る。これまでとは比べものにならない激痛だ。消耗が想像以上に激しかった。
巨剣を支える手に力が入らない。いくら重力制御機構の補助があるとはいえ、この後のことを考えると保持にこれ以上の出力は使えなかった。――このままでは失敗する。
「くそっ、あと一歩の、ところで……!」
情けなくも漏らした言葉の直後――剣の柄に、もう一本の腕が添えられた。
驚いて右を振り向く。そこには少女の真剣な横顔があった。
「っ、スライア……!?」
「レイジ! うぃるがふる、どりすてら! ふぇむの、えりん、えりん……あるすてぃら、いんくぇりす!」
彼女はアポステルの駆る機体を見据えながら大きな声で何事か言ったようだったが、翻訳を切ってしまったために意味が通じない。
だが、彼女のやろうとしてくれていることは十分に伝わった。
「スライア! こいつで、あのいけ好かない巨人をぶち抜くぞ……!」
傍らの少女も自分がなにを言いたいのか理解したらしい。こくりとうなずいて、レイジと共に巨剣の柄を固く握りしめた。
剣先に沿う形で、空間の歪みが伸びる。
「疑似射出レール、生成……照準、固定!」
――ここだ。
「いっけええええええええええええええええええ――――――ッ!!」
両腕を突き出す形で剣を押し込む。咆哮に呼応するように、スライアも手に力を込めた。
二人が全力で剣を押しだし、直後に行われた局所的な重力子の極限集中が巨剣に爆発的な加速を与える。その様はさながら巨人を屠るための大型弩砲。風を切る音さえ置き去りにして、銀の閃きが空間を貫いた。
狙うは胸部装甲の更に奥。大悪の座する搭乗席。
『卑しき犯罪者風情が、舐めた真似を……ッ!?』
ようやく拘束を解いた白銀の機体が、苦々しげに吐き捨てる。しかし、目前に迫った凶刃を回避する術は彼に無く、反射的に突きだした左腕の装甲さえも剣尖が突破し――
「お前こそ舐めるなよ、狂信者風情が……!」
――巨剣によって胴体を射止められた機体は、そのまま二度と動き出すことはなかった。
後に残るのは、凪。耳に痛いほどの静寂が、その場に充満していた。
「ははっ。やっ、た……」
安堵の息をつく。スライアの方を向こうとするのだが、全身に力が入らない。
ぐらりと揺れて暗転する視界と共に、意識もまた闇に落ちた。




