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フローズン・ウィザード  作者: 伊森ハル
Chapter 01 -Der Apostel-
21/66

21 それでも少女は凛然と刃を構え

「――スライア、あなたとはここでお別れよ。できるだけ早くこの国から逃げなさい」


 極限にまで高まった恐怖と緊張の中で聞いた母の言葉は、いまでもよく覚えている。


 草木が茂りきった、道とも呼べないような森の隘路あいろ。冷たい冬の空気は肌を刺すように鋭く、白み始めた遠方の空は、しかし一部分だけが朝日とは別の赤に彩られていた。

 ここまで走って来た方向がぼんやりと不自然な明るさを保っているのである。

 原因はわかっている。自分たちの家が燃えているのだ。既に炎そのものは見えないほどにまで遠ざかっているが、消し去られた薄闇は火勢の強さを無言で物語っていた。


 それは、いまからおよそ半年前の記憶。


 アポステルの登場後、帝国で急速に台頭し始めた勢力――真人正統派キュイア・ヒュマネスと呼ばれている人々にスライアとその両親は追われていた。

 亜人種デミスの女と結婚した真人である父に他国との密通の嫌疑けんぎがかけられたのだ。もちろんそれは濡れ衣に違いなかったのだが、殺す側からすれば事の真偽はどうでもよかったのだろう。

 混じり物である亜人種は穢れた存在。――駆逐し、根絶せしめるべき存在。

 それこそが彼ら真人正統派の主張であり、揺らぐことのない信条であった。


「逃げる……? お別れ……? い、嫌……。そんな、母様かあさま。そんなこと……」


 だからこそ、ここで母と別れることの意味を、スライアは十分に理解していた。

 まず間違いなく両親は殺される。それならばいっそのこと――。


「スライア」


 そんな考えを透かし見たのか、母はいさめるように自分の名を呼んだ。


「この国はもう、どうしようもないほどに狂っている。皇帝はおろか、国民でさえも……」


 みずからの肩に手を置く女性の姿を、呆然と見つめる。

 全身が体毛に覆われており、その顔は人間というよりも獣――猫に近い。両の肩に触れている手も、父や自分のそれとは違う鋭い爪が収まっていることを、スライアは知っていた。


 セルネリィア・ソルデユルザ。旧姓をヘリェルテリアという。


 獣人スロウプ。あるいは総括して亜人種デミスと呼ばれる存在。自分とかけ離れた数々の特徴を有しているが、琥珀色の瞳と黒に近い深褐色の毛は確かに彼女から受け継いだものであった。

 目の前の母は自分を安心させようとしているのだろう。恐怖はあるだろうに、それを微塵も感じさせない穏やかな表情をしていた。

 優しげに、慈愛に満ちたまなざしで自分を見つめる母。

 それが穢れた生き物だと、人として扱われるに足らない存在だと()()は言う。

 真の人とされるヒュマネスとは異なる耳に、尻尾という獣の象徴。遙か祖先に人が獣と交わったことの忌むべき証明。家を襲った人間と思想を共有する者たちは、声高にそう主張する。

 だが、スライアにとってこれらの特徴は誇りこそすれ、恥や嫌悪の対象ではなかった。


「セリィ、これ以上はまずい。あまり留まっていると……」


 壮年の男性が、そう言いながら二人に近寄ってくる。父だ。

 彼はスライアと同じく、透き通るような白い肌を有していた。帝国の人間に多く見られる特徴である。長身でありながらも痩躯という印象は無く、むしろその身体はよく鍛えられていた。


 獣人の娘と恋に落ちて兵役を退き、親の反対を押し切ってまで結婚したという彼の物腰は、かつて戦場で剣を振るっていた男とは思えぬほどに柔らかい。焦りに表情は硬くなっているものの、人格の根にある繊細さはその程度ではぬぐい去られていないようだ。


「わかってるわ。……すぐ、済むから」


 母は父に向かってそう言うと、こちらに視線を戻した。


「これを着けていなさい。昔の神様が残したというお守りよ。教会の教えなんて、もはやなんの意味もないけれど……これはいつかあなたを助けてくれるかもしれない」


 彼女はみずからの腕に着けていた白色の輪を外し、スライアの手首にはめた。

 古来から母の一族に受け継がれてきたある種の『宝』であるらしいそれは、〈遺産〉であるという来歴とは裏腹に、まるで歴史を感じさせない光沢を放っていた。あるいは、一切の汚れに染まることがない故に、宝として伝わり続けることができたのかもしれないが。


 いとおしむようにこちらを眺める母に、父がおずおずと問いかける。


「なあ、なにも私についてくることはないだろう? せめて君だけでも、スライアと一緒にいてやってはくれないか?」

「私は無理よ。この見た目じゃすぐに見つかってしまうもの。でも、獣の血が薄いこの子なら、きっと……。それに、一緒にいるべきという話をするなら、あなたの方が――」

「……それ以上は言うな。言わないでくれ」


 うつむいて弱々しく呻く父。彼のこんな姿を見るのは、初めてのことだった。


「スライア……これを、渡しておこう。どこかで売れば、路銀の足しくらいにはなるだろう」


 そう言って父が自分に手渡してきたのは、自身の腰に吊っていた細身の銀剣だった。かつて戦場で彼と共に幾多の死線をかいくぐってきた業物わざもの。どれほど困窮しても、父が唯一最後まで手放さなかった物だ。


 父の隣に立つ母が、呆然と立ち尽くす自分の頭をなでた。


「これからきっと、たくさんの辛いことがあなたに襲いかかってくるでしょう。……けれど、これだけは覚えていて。私たちはいつまでも、あなたの中に生き続けるわ」

「それ、って……。どうして、そんな言い方……」


 なぜ、二人がそれぞれの持ち物を――それも、なによりも替え難い大切な品を自分に託したのか。スライアはその意味がわからないほど幼くはなかったが、かといってそれを素直に受け入れられるほど成熟しているわけでもなかった。


「泣かないで、スライア。……と言っても、無理な話よね。私の子だもの」


 力なく笑う母の目には、うっすらと涙がにじんでいた。

 理性と感情のせめぎ合いをどう処理して良いかわからず逡巡している間に、事態は進展してしまっていた。両親は自分に逃げ道を指示すると、その場から離れたのだ。

 ふらふらとした足取りで、それでも言われたとおりに緩やかな斜面を登る。人里離れた山間部に居を構えていたため、逃げるには少なくとも小さな山を越える必要があったのである。


 小一時間も登ったところで、ふと嫌な予感に駆られて後ろを振り返る。

 木々が視界を遮ってはいたが、これまで逃げてきた獣道に加えて、幅の広い主要道を一望することができた。

 いつの間にか、かなりの距離を登っていたらしい。

 暁の陽光が全てを包み込んでいた。草木も、空も――なにもかもが柔らかな暁光に染められ、この世とは思えないような美しい風景がそこには広がっていた。

 普段ならば心躍る絶景と感じていただろうが、いまやそんな余裕はどこにもない。


「……っ、あれは」


 息を呑む。

 遠方の広道に、ひときわ目立つ群衆があったのだ。

 掲げているのは特徴的な象徴印シンボルの描かれた旗――教会の一派たる真人正統派キュイア・ヒュマネスの一団だ。


 その手前に、二つの人影が見えた。


 目をこらして見るまでもなくその正体はわかっている。両親が自分達を追いかけていた教会の信徒らに対して、その身をさらしたのだ。


「そんな……父様、母様……っ!」


 悲鳴を上げる間もなく、その瞬間はやってきた。

 無数の矢が二人を貫き、槍の穂先で突き裂かれ、それでもなお気丈に立ち続けていた父も剣に斬り伏せられ――二人は互いをかばい合うようにして、紅い血だまりに倒れ伏した。


 そこから先は、よく覚えていない。


 一心不乱に駆け続け、逃げ惑って――気がついたときには、日が暮れていた。

 それからはただひたすらに逃亡の日々だった。教会の手から逃れるべく家名を偽り、追っ手の影に怯えながら日々を過ごした。

 幸いと言うべきか強盗などの明確な悪事には手をそめていないが、警備の目を盗んで遺跡に潜り込み、〈遺産〉を盗掘しては路銀に換え、およそ半年にわたって西進を続けた。

 そうしてたどり着いたのがこの遺跡だったのだが、やはり運命というものは最後まで自分を見逃してはくれなかったらしい。


「――逃げて逃げて、逃げ続けて。……最後の最後で、結局はこうなるのね」


 みずからを睥睨へいげいする()()()()()をにらみ返しながら、彼女は自嘲気味にそう独りごちた。



   ●



 ――レイジが神像に乗り込んで走り去った後。スライアは彼が向かったのとは別の神像の元へと急行した。

 そこで彼女が目にしたのは暴虐の限りを尽くす神像と、それから逃げ惑う人々の姿だ。

 遺跡の建造物を破壊し、人に向かって凶刃を振り下ろす巨人。その恐ろしさを目の当たりにしたスライアは、先刻までの決意が薄れていくのを感じた。

 だが、彼女はそこで気付いた。気付いてしまった。


 ――神像の進行上に、逃げ遅れた人間の影があったのだ。


 それは、獣人の少年――昨日、山賊に襲われたとき人質にされていた子供だった。彼は逃げる途中で転んだのか、地面に倒れ伏していた。


「なっ……!? 早く、そこから――」


 逃げなさい、と言いかけて、止まる。

 少年は迫り来る神像を見て、恐怖にすくみ上がっていた。

 ここで声をかけても彼の耳には届かない。

 気付いたときには、自分はもう動きだしていた。どうするのかを考えるよりも早く、少年に向かって駆け出してしまっていたのだ。

 警告を発する理性とは裏腹に、自分の身体はまるで止まろうとしなかった。


(――どうしていまになって、あの日のことが浮かんで来るんだか)


 幼い少年と神像との間に立ちはだかったスライアは、両親が殺された当時の光景をぼんやりと思い出していた。これが死の直前に訪れる走馬燈という奴だろうか、という発想を、不吉だと一笑に付すことはできなかった。


 あのとき自分が逃げずにいれば結果は変わったのかもしれない。

 そう考えたのは一度や二度のことではない。しかし、それでもやはり半年前の自分は非力な少女で、逃げろという両親の言葉に従うより他に選択肢はなかった。

 そして、その事実は半年程度では揺らがない。いくら剣の腕を鍛えたところで、スライアはいまもって一人の少女に過ぎなかった。迫害から逃れるために帝国を出たのだって、自分に力がないからだ。


 そんなことはわかっている。十分過ぎるほどにわかっている。


(けれど、それでも――)


 それでも自分にできることはいくらでもある。それこそ、背後にいる幼い子供が逃げるための時間を稼ぐくらいのことなら。

 神像を睨みつけたまま、彼女は声を張り上げる。


「逃げなさい、早く!」

「で、でも、猫の姉ちゃんは――」

「いいから、私に構わず安全なところへ行きなさい!」


 有無を言わさぬ気迫のこもった叫びに、獣人の少年はすぐさま踵を返して走り出した。都合の良いことに眼前の神像はそれを追おうとしなかった。


『貴様は逃げないのか? ……まさか、その身一つでこの神像に刃向かおうというつもりではあるまいな?』


 揶揄やゆするような問いかけに、スライアは決意のこもった瞳で答える。


「私は、逃げない。……ここで退いたら、私の両親はそこで死んでしまうもの」


 父と母が身をもって教えてくれた。

 たとえ自分が死する危険を前にしても、他者を生かすために立ち向かうこと。

 また、理不尽に殺されようとしている命を守るために、行動を起こすこと。


 もし二人が聞けば、そんな思いでお前を逃がしたわけじゃないと怒られるのかもしれない。都合の良い解釈で二人の望まない行動をとっているのかもしれない。


 しかし、ここで逃げることはできなかった。


「私の中に、父様と母様は生きてる。……二人を本当に殺してしまうのは、私が私自身に嘘をついたとき」


 それは、自身の中に存在する両親を真の意味で殺す行為に他ならないから。


「私はもう、私のせいで誰かが死ぬところなんて見たくない。それを止められるのなら、私はどんな相手が立ちはだかろうと戦う。そう、決めたわ……!」


 ここで逃げてしまえば、これまで生きてきた時間が――両親に育てられ、多くを教えられてきたかけがえのない時間が、全て無に帰してしまうような気がしたから。


「私は戦うわ、たとえここが死地になるとしても。……誰に恥じることもなく、私は、父様と母様の娘なんだから!」


 自身の三倍近い身長を有する鋼鉄の巨人を真っ向から睨み据えて、彼女は力の限りに叫び、腰に帯びた細身の剣を抜きはなつ。――父から受け継いだつるぎを、まっすぐ敵に向けた。


 彼女が構えるのは、機動兵器を相手にするにはあまりにも貧弱な武器。それをあざ笑うかのように、眼前の神像はみずからの得物を構え直した。


『そうか。――ならば死ね。死して世界の秩序を正すいしずえとなれ』


 金属の擦れる重々しい音と共に向けられたのは、人を殺すにはあまりに大きな剣。

 あまりの威圧感に、膝が笑い始める。


「私はスライア・ヘリェルテリア……いいえ、違うわ。私の名前はスライア・ソルデユルザ。――剣を振るう者(ソルデユルザ)よ!」


 それでも彼女は剣を握る手に力を込めて、声の限りに名乗りを上げた。


 単純に自分へ興味を覚えたのか、あるいは、生身の人間などいつでも殺すことができると高をくくっているのか。神像は剣を手に持った体勢のまま、声を発する。


『ソルデユルザ……? かの時代遅れの一門か。かつてはその名を帝国へ轟かせたこともあったというのに……獣と交わるほどにまで堕ちていたとは、嘆かわしいことよ』


 時代遅れ。その言葉に偽りはない。

 アポステルの登場後――神像が兵器として利用されるようになって以来、生身で剣や槍を振るい戦ってきた家門の者たちはほとんどが一様に没落した。

 生き残ったのは神像を下賜された、国教に従順だった一部の家のみである。多くは辺境の部隊に飛ばされるか、あるいは傭兵に身をやつして生きることになった。

 もともと宗教に熱心でなかったスライアの係累も、没落した家門の一つだ。両親と自分は人里から離れた森の中でつつましやかに暮らしていた。そういう意味でも、目の前にいる()()の言葉は正しい。


 だが、


「――黙りなさい」


 時代遅れとわらわれ、凋落した家の者とあざけられようとも、彼女は毅然として剣を構え続ける。


「獣の血が混じっていようと、私はそれを恥だなんて思ってない」


 追っ手を恐れて本来の家名を偽ることも、死を恐れて自分に嘘をつくこともなく。両親の志を受け継いで。

 せめて気高く、誰かを守り、その名の通りに剣を振るって死ぬのならば。


 それは、きっと――


「私はなんら恥じることのない人生を、これまで送ってきたわ」


 ――きっと、正しい生き方であるだろうから。


「それを否定することは、たとえ神であろうと赦しはしない!」

『戯れ言を。穢らわしき獣に払う敬意など、持ち合わせてはおらんが……生ける者への情けだ。せめて一刀のもとに終わらせてくれよう』


 これ以上の会話は無駄と悟ったか、相手は剣を天へ掲げるように振り上げた。


 自分は正しく、自分自身に正直に生きられただろうか。


 いままさに自分へ落とされようとしている巨大な剣を見据えながら、少女はどこか他人事のように思う。

 死を目前にして、胸中へ浮かんだのは一人の少年の姿だった。数日前に出会ってからこの遺跡に至るまでの記憶が断片的に脳裏をよぎり、消えていく。

 なぜ、こんなときに――。

 急激にわき上がってくる未練にも似た感情に、戸惑いを覚えた、その瞬間である。



 ――ずん、と。



 小さな、しかし確かな震動が、地面から伝わってきた。

 地震にも似たその揺れは幾度となく発生し、加速度的に強さを増している。

 まるで、()()()がこちらへ近づいているような――。


『これは……!?』


 眼前の神像がたじろぐように動きを止め、頭部を右方に向けた。つられてスライアもそちらへ目を向ける。


 その、視線の先。



『スライアアァァァァァァァァァ――――――ッ!!』



 遠雷のようにとどろく少年の叫びを伴って、群青色の神像が現れた。


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