11 異形の証
――絶対に見つからない、とはよく言ったものだ。
リクリエラの自宅は地下にあった。
いや、正確には『自宅』のうち、ほんの一部だけが地面から露出していたのだ。その突出部は念入りな迷彩が施されており、見た目には倒壊した小屋の一つにしか見えなかった。
少女に「ここから入れるようになってるの」と言われたとき、時間を無駄にしたと半ば本気で後悔したほどである。
「まさか、あれがカモフラージュだとは……っと、視界が悪いな」
リクリエラに続いて中へと入りこんだレイジは、ぼやきつつもミニライトを取り出して明かりをつける。
「わあ。すごいねーあかるいねー。おにいちゃん、まほうつかいなの?」
「秘密だ」
「えー、ずるいなあ」
歓声を上げるリクリエラの質問へ適当に答えて、ライトで中を観察する。
照らされた内部は、外見からは想像もつかないほどの広さがあった。海上輸送用のコンテナと同じかそれ以上の体積が確保されている。
内壁は黒灰色の金属で形作られているが、奥には採光用のごく小さな窓が作られており、生活上の不便はあまり無さそうだった。
「こんな地下室を、卑民街の住人が作ったっていうの……?」
最後に入ってきたスライアが驚きを隠せないといった様子でつぶやく。
「いや……これは多分、ここらの住人が作った物じゃない」
「……どういうこと?」
「これは――〈遺産〉だ」
レイジは内心複雑な思いでそう答えた。
根拠ならばいくらでもある。不自然な場所に配された蛇口や、電源プラグの差し込み口。採光窓に用いられている強化ガラスなど――この時代には本来存在し得ないはずの物が、部屋の各所から散見された。
これは文明崩壊以前に作られていた避難壕の一つだ。規模を考えると個人単位での持ち物だろう。日本にはあまり多く存在していなかったが――『終末に備える』という名目でこの手の物を所有する人間が米国あたりには掃いて捨てるほどいた。
元からこの場に埋められていたのか、あるいは地殻変動に伴ってここまで移動させられたのかはわからないが、本来の持ち主はとうの昔に他界してしまっているはずだ。
「終末論者、だったんだろうな。周到に用意を重ねても、結局は生き残れなかったのか」
レイジのつぶやきには、かすかに同情の色が滲んでいた。
世界の終末を想定し、なにがなんでも生き残るという信念のもとに準備をしても、それが叶わなかった人々。その姿は、自分とはまるで対照的だ。
生き残りたくなかったと言えば確かに嘘になる。だが、自分の立場はあくまで受動的だった。詳細な記憶は消し飛んでいるから確かなことはわからないが、冷凍睡眠装置に自分を入れたのはおそらく父で間違いないし、それにしたって〈弘波〉が地殻変動に巻き込まれていたら死んでいた可能性が高い。いまここにいるのは単に運が良かったからだと言うこともできるのだ。
この巡り合わせには皮肉めいたものを感じざるを得なかった。
「……だが、食糧はどうしてるんだ。まさか食事無しで生きていけるわけでもないだろう」
ふと疑問を覚えて、尋ねる。
卑民街に住んでいるという時点で、まず間違いなく食べるものには困るはずだ。この隔離区域に入り込んで一時間も経っていないが、通りにそういった店がまるで見当たらないとなればその程度の察しはつく。
「ごはん? ごはんはねえ、お水と土を入れておけば、あそこから出て来るの」
少女は奥にあけられた採光窓の近くにある、人間の頭ほどの大きさを有する物体を指さした。楕円型の球をなしているそれは上の半球が透明な素材で作られており、そこから緑色の中身を見ることができる。
その装置には見覚えがあった。
クロレラを主成分とした錠剤状の食品を作り出すことができる、一種の培養器だ。
雨水や清浄な水が無い場合でも濾過・中和装置を通せば泥水も使用でき、無機物はそこらにある土からでも採取が可能だ。光触媒式の発電機を内蔵しているため実質的に必要となるのは太陽光のみという驚異的な装置で、食糧難に陥った世界を持ちこたえさせた技術の一つでもある。
装置開発や量産に投じた金額の割には得られる総栄養量が少ないという難点があり、結局は遺伝子工学によって新たな食糧源を確保する方向に移行したわけだが――それにしても、幼い子供一人が食いつなぐには十分過ぎるほどの食糧生産能力を有している。
避難壕はともかく、こちらはよほどの資産家でもなければ容易には所有できない装置だ。持ち主がどれだけ必死になっていつ訪れるかも知れない『終末』に備えていたのかが、これだけでもよくわかった。
「あんまりおいしくないんだけどね、でもね、好き嫌いはしちゃいけないって、おかあさんがいつも言ってたの」
「お母さん? あなたのお母様は……いえ、家族はどこにいるの?」
スライアが口にした疑問は、レイジが思い浮かべたのとまるで同じ内容だった。
この避難壕の入り口に施されていた偽装といい、培養器を用いていることといい、目の前にいる少女のみでは到底用意できないであろうほどの設備が、ここには整っていたのだから。
しかし、見たところリクリエラの他に家人の影は見当たらない。
「ここにいるのはリクリエラだけだよ。かぞくはおかあさんがいるけど、いまはお出かけしてるの。……でもね、ずっと前から帰ってこないままなの」
そう答える少女の表情には、暗い影がさしていた。ここまでずっと笑みを浮かべていただけに、その差がとても大きく感じられる。
こういった時にどんな反応を示せば良いのかわからなかった。つくづく自分が嫌になる。
思わず黙り込んでしまったレイジの横で、スライアが質問を重ねる。
「ずっと? どのくらい前から帰ってこないの?」
「……わかんない。でも『リクリエラには危ないから、ついてきたらだめ』って言ってた」
忘れた、ということなのか。あるいは正確な日時を把握できていないのか。いずれにせよ、かなり前の話であることは明らかだった。
「おかあさんは『すこし長くなるかもしれない』って言ってたから……だから、リクリエラは、ずっといい子にして待ってるの」
先ほどの言葉から察するに、彼女の母親は町へと赴いたのだろう。
「っ、それは――」
言いかけたところで、スライアに視線で咎められた。確かに憶測で物を言うのは良くない。それが誰かを落胆させる内容であるならなおさらだ。
(だが……どうなったか、なんて考えるまでもないじゃないか)
胸中でそうこぼす。確信も確証も無いが――おそらく、彼女の母親はもう帰ってこない。それをスライアも薄々勘付いているからこそ、ああして自分を黙らせたのだ。
「ほんとは『誰もおうちに入れたらだめ』って言われてるんだけど……でもね、リクリエラ、さみしかったの」
目の前でそう漏らす娘は、未だ残酷な事実に思い至ってはいないようだった。
果たしてそれが彼女にとっての救いとなるのか、はたまた絶望への一歩であるのか。
どちらであったとしても、幸福だとは言い難い。真実を知ろうが知るまいが、彼女が進む道の先にあるのはひたすらな孤独だ。
自分は本当に黙っているべきなのか。
そんなことに思い悩んでいると――不意にスライアが一歩を踏み出し、リクリエラを抱きしめていた。
「……大変、だったのね」
リクリエラはほんの少し驚いたようだったが、すぐに安心したような表情を浮かべた。
「大丈夫よ。……きっと、大丈夫」
幼い少女を腕の内に抱きながら、あやすように言うスライア。その言葉はどこか、彼女自身に言い聞かせているようでもあった。
「……なんだかおねえちゃん、おかあさんみたい」
少女は困ったようにくしゃりと笑って、そうつぶやいたのだった。
●
先刻の暗い表情からは思いも寄らないほど、リクリエラは饒舌だった。
話ができる相手の存在が嬉しいのか、自分のことや町の様子など――実に様々なことを話し続けた。彼女の母親は亜人種であるらしいこと。物心ついたときから母子の二人暮らしで父の姿を知らないことなどがわかった。
地下室の中央に立てたライトの発するごく弱い光が二人を照らしている。
「ねえねえ、おねえちゃんたちはどこからきたの?」
「私は東の方よ。この国の東北から来たの。レイジ――あのお兄さんは、会ったばかりでよく知らないけれど、どこか遠いところから来たみたいよ?」
「いっしょにいるのに、しらない? なんかへんだねえ」
「そうかもね」
「そうかもー」
リクリエラは言動も振る舞いも、まるきり幼い子どものそれだった。スライアへと無邪気に笑いかける彼女からは、人としてなに一つおかしなところは見受けられない。その隣に座っているスライアもそれは同様だ。
レイジは少し離れた場所で座り込んだまま二人の様子を眺める。先ほどまでの緊張が嘘であるかのような平和さだった。
「ますますアポステルって奴の考えがわからないな。奴はどうして亜人種を憎む? 一体どんな権利があって、こんな境遇の人間を大量に生み出してるっていうんだ?」
『――亜人種は神の似姿たる真人に生み出された下等な生き物、と言っているようですが』
つぶやきに反応する形で、エネルギー節約のため手中に収まっていたメルがそう返答をよこした。
確かにスライアの話を聞く限り、使徒を自称する男はそんなお題目を掲げているらしい。
「下等な生き物、か。……なにもかも、突飛な発想としか思えないな」
『果たしてそうでしょうか?』
「……なにか、根拠があるって言うのか?」
『下等か否か、という点に関しては明確な根拠は存在しませんが――「生み出された」という部分については、ひとつの仮説が考えられます』
「言ってみろ」
『スライアやリクリエラ――彼女たち半亜人は亜人種と真人の混血であるとのことでしたが、それは真人と亜人種で子をなすことが可能であるという意味です』
「いや、そりゃあ。……まあ、そうだろうな」
なにをいまさら、という思いでメルの話に相づちを打つ。そもそも亜人種と真人の間に子をなすことができないのであれば、彼女らはいまここにいない。
「つまり、なにが言いたい?」
『つまり――』
『――亜人種は「科学技術によって作られた存在」ということではないでしょうか?』
「お、おいおい、ちょっと待て。どうしてそうなる!? いくらなんでも話が飛びすぎだ!」
『「進化の過程で離れた者同士が、もう一度繋がる」という点です』
驚くレイジに対して、メルは即座に説明を開始する。すぐさま話を続けるあたりは実に|機械(AI)らしいが、こういうところで融通が利かないのはいささか不便だった。
『基本的に生殖的隔離――染色体の違いがあまりに大きい場合、異種間では子孫を残せません。哺乳類に関しては特にそれが顕著です』
「……言いたいのはつまり、こういうことか」
説明をそこまで聞いて一応の合点がいった。右手で軽く額を叩きながら話を整理する。
「生物としての特徴や性質が大きく違っているのに、さっき見た限りでは、亜人種は共通してヒトの特徴を有している。これらが仮に自然発生したとして、多種族間――真人との遺伝子が適合するのはおかしいと」
『肯定。その通りです』
「遺伝子改変動物、いや……人の手で設計された生命。ありえない話じゃないな」
小麦や稲、トウモロコシといった主要作物の疫病が連続的に世界で蔓延して以後、食糧難に対応するために遺伝子工学技術がめざましい発展を遂げたのは世界中の知るところだ。
結果として『一から遺伝子を組み上げた人工植物』や『ある一定の形質を人為的に発現させる食肉用肥大動物』などが次々と発明された。無論、それだけで人々の食糧を一挙にまかなえるほどではなかったのだが。
そうして培われた技術によって、敵地の備蓄食料を食い荒らす戦略級生体兵器としてイナゴや蛾のような昆虫が設計開発されたこともある。
つまり、ごく小さなものとはいえ人工生命体を作り出す地盤は整っていたのだ。
「……その気になれば、人間クラスの人工生命体を設計するのも不可能じゃないかもしれない」
『さらに言えば、亜人種が「人間から進化したもの」だとするのは生物の歴史から見てあまりに不自然です。たとえ貴方の眠っていた期間が千年を超えていたとしても、自然な進化として先ほどの道で見た亜人種のような存在が生まれる可能性は限りなくゼロに近いでしょう』
それこそ人為的な改変を行わない限り、彼女たちのような存在は生まれ得ない。そうメルは主張している。
「ゼロじゃない。だが、天文学的に低い確率を論拠とするよりは圧倒的に説得力があるか」
筋は通っている。
レイジが眠ってから、遺伝子工学がどれほどの発展を遂げたのか。それを推し量ることはできないが――仮に、大型の人工生命体を作り出せるほどにまで進歩していたとしたら。
これまで幻想上にしか存在しなかった生物を作り出そうとする輩が現れてもおかしくない。
それが生命に対する冒涜だなどと批判する権利も倫理観も、レイジは持ち合わせていないが、
「なんとも、ふざけたことをしでかしてくれたもんだ」
それでも、古代の人類が犯した過ちであることは明らかだ。
少なくとも、ここにいる二人の『人間』は自分たちのせいで苦しみを背負っている。
「〈神々の遺産〉だって? こんな物は、まるきり負の遺産じゃないか……!」
差別という、人類が大昔から飽きることもなく犯し続けてきた罪過。その被害者として。
「――レイジ? ええっと……どうしたの?」
スライアに声を掛けられて我に返る。どうやら自分でも意識しないうちに大きな声を出してしまっていたらしい。
ここで勝手に憤っていても仕方がない。レイジは気を落ち着かせるために深く息を吐いた。そんな様子を見た少女は、おずおずと口を開く。
「すごく険しい顔になってたけれど……っ、もしかして逃げる途中で――」
「安心しろ、別に怪我はしてない。ちょっと考え込んでただけだ」
さっと顔を青ざめさせたスライアを手で制する。会ったときからそうだったが、妙なところで他人の心配をする娘だ。
「そ、そう……?」
戸惑うようにこちらを見る少女。その頭から生える耳は従来の人間が有する器官から大きく離れた形をしていた。彼女の隣でとぼけた笑顔を浮かべている幼子も、両腕に巻いた包帯の下から黒色の毛が覗いている。
それらは、紛れもない異形の証だ。
それを見て、レイジはしばし黙考する。
いましがた導き出した論は単なる仮説に過ぎない。だが、やけに現実味を帯びて感じられた。もし彼女たちのような存在が遺伝子工学によって作り出されたのだとしたら、一体どういった目的があってのことなのだろうか。
様々な可能性が考えられはするが、その根幹にある技術の多くが『食用の植物あるいは動物』を生み出すためのそれであることに思い至り、ぞっとしない想像が脳裏をよぎった。
(まさか――食用、なんてことはないだろうな)
レイジが冷凍睡眠装置に入る直前。技術の進歩によって大きな改善がなされたとはいえ、世界規模の食糧難は依然として人類にとっての脅威だった。
各地での小規模暴動は言うに及ばず、アジア太平洋共同体や英露欧州連合のような複数の国家によって形成された共同体同士でさえ、戦争を起こしかねないような状況に陥っていたのだ。専用の施設で貴重な天然物の種子を数多く保管していたBREUのある一国が『流行病の脅威は去っていない』として種子の提供を拒否し続けたことも、共同体間の緊張を高める一因となっていた。
飢えは人の倫理を容易く破壊する。
人工植物や小型生物兵器の開発が立て続けになされたことからもわかるように、飢餓が世界を襲った時点で倫理規定など失われたも同然だ。
しかも、一部の人工昆虫は生産性の高さから食糧への転用も視野に入れられていた。
ならば、それこそ――
「……いや、まさかな」
思い浮かんだ光景を打ち払うようにレイジは頭を大きく振る。慣れないことが続いたせいで少し疲れているのかもしれない。
「まさかって、なにが?」
「あぁいや、気にしないでくれ。こっちの話だ」
なおも不思議そうに小首をかしげるスライアだが、やがてそれ以上訊くのも無駄と感じたのか、視線を傍らの幼子へと向けた。その頭を優しげに撫でながら、彼女はぽつりとつぶやく。
「……これから、どうしたら良いのかしら」
「町からは出なくちゃならないだろうな。……それができるかは、かなり疑問だが」
採光窓から見ると、既に外は白み始めていた。
夜警から逃れるためにここへ隠れたとはいえ、あまり長居もしていられない。レイジやスライアの容姿は知れ渡っている可能性が高いし、噂というのは加速度的に広まるものだ。時間が経てば経つほど町から脱出できる公算は低くなる。
「できるだけ早く逃げたいところではあるけれど……」
「かといって、門が開くまでは外へ出ることもできないからな……。それに……俺たちが門へ行くのと連絡が届くの、どちらが先かを考えれば、おそらく正攻法じゃ出られない」
ことによると、現時点で警戒が始まっている可能性もある。門が開いてすぐに出ようとしたところで、安全に通れるという保証はどこにもなかった。
「門の他に外に出られる場所でもあれば良いんだが……」
「おにいちゃんたち、おそとに出たいの?」
「ん? あ、あぁ。外とは言っても、町を囲んでる壁のさらに外側だけどな」
妙なところで割り込んできたリクリエラに当惑しながらも、そう答える。
それを聞いた目の前の少女は、やや興奮ぎみに二の句を継いだ。
「リクリエラね、知ってるよ!」
「知ってる? って、なにを……? いや――」
話の流れを考えれば、彼女の言いたいことは明らかだった。驚きと共に問い返す。
「まさか、門以外の脱出口を知ってるってのか」
「うん。おそとに出られるばしょ、ちゃんとあるよ?」




