(6) 陰陽師・下
「ッ。これは……!?」
風羽が、御札のように墨で模様の描かれている紙を拾うと、驚愕した声で呟いた。
それを見て、唄は彼の見ている紙を覗き込む。
(――御札? ……いや、違うわ。これはいつか授業で習ったことがある。確か……)
「これは、式。――式神だぜ。前授業で習ったことがあったよな? たしか、陰陽師というやつらが使う奴だっけ?」
唄が今考えていたことを先取りして、隣から覗き見していたヒカリが大きな声を出す。
――――そう、これは陰陽師が使う式神という物。
だが、唄は陰陽師のことを昔話みたいに思っていた。妖しげな宗教かトリックのあるもの……。そんなふうに唄は思っていたのだ。
ため息をつき、唄は今一度紙を見つめる。
目の前にあるのは確かに式神だろう。人間が紙になったので、これはただの紙ではない、筈である。
(でも、まさか本当に存在するとは……ね)
その時、じっと無言で式神を見ていた風羽が、だれにいうでもなくいきなり呟いた。
「もしこれが式神だとすると、操っているもの――陰陽師はこの近くにいるんじゃないかな」
「そう、じゃあ、〝気配〟でも探ってみるわね」
――唄たち四人の能力は、一応上級クラス。同じ能力者の気配を感じとることができるのである。
唄はわざとらしくため息をつくと、目を瞑った。そして神経を集中させる。
神経を集中させて最初に感じたのは、近くにいる三人の気配だ。真空の風の様な掴みどころのない気はいは、喜多野風羽。氷の様に冷たい気配は、七星水練。ピリッとした辛い辛子の様な唄が大嫌いな気配は、中澤ヒカリ。
そして、外の方に神経を集中させた直後、唄の頭の中に紫色の様な邪悪な気配が入ってきた――。
「ッ……」
唄は慌てて目を開けると、胸に手を当てて口を開く。
「たしかに、外に変な気配を感じるわ。……でも、これは今まで感じたことがない、邪悪で恐ろしい気配よ。私は、あまり関わりたくないわ……ッ」
そういうと、今まで水練が座っていた椅子に、唄は座り込んだ。
「うっわぁ……。唄の言うとおり、外にいる奴の気配はとてつもなくヤバイ。吐き気がしてくるぜ」
「……確かに、やばい」
「なんや、コイツ……。バケモノか?」
三人とも気配を感じ取ったのか、それぞれ感想を漏らす。
それを唄は聞きながらゆっくりと立ち上がると、窓に近寄って行った。
「なぜ、ちょっかいを出してくるのか、聞かなくっちゃいけないわね」
「んなっ。ちょ、無茶だ、唄! 俺は行かねぇぞ。何があるか――――」
「貴方はほんっと、弱虫ね。……昔から変わってないわ。もっと自信を持ちなさい。何があっても、私たちが力を合わせれば、乗り越えられないものはないのよ!」
トップクラスの実力を持つ私たちが力を合わせれば、敵わない相手なんているわけがない。
ヒカリに向かって、だが自分にも言い聞かせるように、唄は力強く言う。
「そ、それもそうだな、唄。……俺も全力を出すぜ!」
「あたしは相手が誰であろうと、関係あらへん。だから大丈夫や」
「僕はヒカリみたいなグズじゃないからね。何も言わなくっても、君は分かってるだろう?」
聞いてもいないのに水練と風羽が口を開く。風羽にいたってはさらりとひどいことを言ってるが、ヒカリには聞こえていないようだ。自分を勇気付けるかのように、拳を握り締めて自分の世界に入っている。
そしてゆっくりと深呼吸すると、ヒカリは何かを唱え始めた。
「光の精霊ルナよ、私に力を貸してください。私は光の守護者、中澤ヒカリです――――」
すると――。
ヒカリが徐に上げた右手に、光り輝く杖が現れていた。
それを軽く振って確認すると、さっきのうろたえ様が嘘かのように、ヒカリは元気いっぱいに大きな声を出した。
「俺も用意できたから、早く行こうぜ」
(……なんや、急にやる気が出てきたみたいやなァ」
呆れたように水練が小さな声で呟く。
唄はそれを満足そうに眺めると、窓に近寄った。
その後ろに、風を纏った右手を構えた風羽、光り輝く金色の杖を弄んでいるヒカリ、水で作ったらしき鞭をダラリと垂らしている水練が続く。
そして――――
「さあ、行くわよ!」
唄のその一言で、皆は窓の外に出て行った。
――――クスッ。クスクスクスクスッ……。
外に出ると、不意に笑い声が響いた。
唄が訝しげな顔をしてその声がした所を見る。
そこには、木の枝に座った十三歳ぐらいの少年がいた。黄色のおかっぱっぽい髪形をした彼は、無表情で灰色の瞳をこちらに向けている。着ている服は、平安時代の人が着ていたようなものを、半袖半ズボン風にアレンジしたもののようだ。
その姿はまさしく、
「――陰陽師」
「まさに、アニメや漫画に出てくるような格好をした、陰陽師やなァ、唄」
口元に妖しい笑みを浮かべながら水練が呟く。
唄はそれを冷めた目で見ると、一歩前に出た。そして少年を少し睨みつけながら口を開く。
「貴方は誰? 私たちに何の用なの?」
「何の用、か……。別に、今は用は無い」
「はぁ!? 用はないって、どういうことだよ! 変な式神を使って、俺らを襲ったじゃねぇか!」
「変、な……ッ」
ヒカリの言葉に、少年は眉をひそめた。その瞬間、彼の無表情だった顔に、明確なる怒りの色が浮かんだ。
「貴様っ。いま、なんて言った! ボクの大切な式神を侮辱したな!!」
許さない、許さないッ……。
少年は呪詛のようにそう吐き出すと、懐に手を入れた。
「どうやら新しい式神を取り出すみたいだね」
風羽の呟きのとおり、懐から取り出した少年の手には、一枚の紙が握られていた。
それを見て、風羽はため息をついた。瞬間、その姿が掻き消える。
「風羽?」
唄は訝しげな顔で誰もいなくなった空間に呼びかける。
そのとき、渦の巻いた風が少年のところに向かって行った。その風は少年の座っている枝をクルリと一週すると、枝の上で弾けた。そして、その中から風羽が現れる。彼は少年のいる枝の一つ上方にある枝の上に立っていた。
少年が驚愕に目を見開く。
「き、貴様ッ」
「君は何をしに来たんだい? 言わなければ、力ずくでも聞き出すよ」
冷たい目で見下ろされた少年は、口を引きつらせながらも強気な顔をすると、式神を持っていないほうの手を口元に構えた。
「できるものならやってみろ。――――は」
「やめなさい、琥珀」
まだ若い、男性の声がその場に響いた。
ボッと赤い火の玉が琥珀と呼ばれた少年の近くに点る。それを見た瞬間、琥珀の顔が蒼白に染まった。
「何……?」
下から風羽たちの様子を見ていた唄が小さな声で呟く。
「よう、せい……ッ」
唄の声に重なるように、琥珀が震える口を開いた。
彼の顔に怯えの色が浮かぶ。
だが、次の瞬間、それは憎悪の表情に変わった。
「陽性! 貴様ッ、何しにきた!」
呆れた男性の声が火の玉から響く。
「何って……。アナタを止めにきたのですよ、琥珀。勝手なことをしないでください」
「貴様なんかに、そんなことを指図されたくない! ボクに指図していいのは、姫様だけだ!」
「……その、姫様が帰ってきなさいって言っているんだよ」
優しそうだった男性の声が、冷たくなった。
「だから早く帰ってきなさい、琥珀。あの人が待っていますよ」
男性の言葉が終わると同時に、火の玉は徐々にしぼんでいき消えてしまった。
それを近くで見ていた風羽は、無表情のまま徐に口を開く。
「帰るのかい?」
ビクッと、琥珀の肩が震えた。彼はウロウロと目を動かした後、キュッと口をきつく結ぶと、口元に薄らと笑みを浮かべた。
「今回はそうしておくよ。……けど、今度会った時は容赦はしないぞ!」
「容赦はしない、か……。それはこっちの台詞だけどね」
風羽の皮肉げな言葉に琥珀は少し眉をひそめたが、ゆっくりと枝の上に立ち上がった。そして持っている式神に向かって呪文らしきものを呟くと、その姿が掻き消えた。
後には、誰もいない。
今まで彼がいたところに、一枚の木の葉が舞い落ちる。
「アイツ、何しにきたんだろうな、唄」
「知らないわよ。それと気が散るから私に話しかけないで」
「えっ、ちょ、唄! どこ行くんだよ!」
「家に帰るのよ」
唄はそう完結に吐き捨てると、歩き出した。その後ろを慌ててヒカリがついて行く。
琥珀という少年が立ち去った木の下、唄とヒカリはそれぞれの家に向かって行った。
その後姿を面白そうに見ていた水練は、いつの間にか木から下りてきていた無表情の風羽にチラリと視線を向けると、ため息をついた。そしてさっきまでの笑みを消し、気だるそうに呟く。
「あ~あ。窓の修理費、出すのめんどいわァ」
「……僕がどうにかするよ」
「へぇ?」
思っても見なかった言葉に、水練は少し目を大きく見開いたが、すぐいつもの様な悪戯っぽい笑みになると、「おおきにな」と囁いた。
空は、夕暮れから本格的な夜に移り変わろうとしていた。