(ねくすとぷろろーぐ)
コツンッ、とハイヒールが打ち鳴らす足音に、男性は振り向いた。
「どうですか? お気に召したでしょうか?」
「ああ。素晴らしい」
声をかけてきた女性から目を逸らし、男性は先ほどまで見ていた絵画に目をやる。
色とりどりの絵だった。人物は描かれておらず、だけれど風景画というにはいささか不気味すぎる。明るい色が使われていないそれは、中心に向かって渦を描いており、渦は色とりどりの、それも不気味な色で描かれていた。
それを再び眺めて、男性は口元に笑みを浮かべる。
「これは、いくらだったかな」
女性が絵画の値段を言う。男性はずっと笑みを浮かべていた。
「買おう」
「ありがとうございます」
懐から切手を取り出して値段を書きこむと、男性は女性に渡した。恭しくそれを受け取り、女性はきっちりとしたお辞儀をする。
男声はそんな女性を今やっとまともに見たというようにまじまじと眺めた。
黒髪はふんわりと後ろに一つでまとめてあり、茶色のスーツをピシッと着ていた。一見してそこまで美人に見えない。彼女の鋭い獣……それも鳥のような瞳に男性は委縮しそうになった。けれど威厳を保ち、動揺を悟られないように女性を見る。
「君は、何て名前だったかな」
「袋小路、と申します」
「そうか」
女性は当り障りない笑みを浮かべている。まるで機械のような。
コホンと咳をすると、男性は部屋の入り口に向かって行った。
「今日中に届けておくれよ」
「かしこまりました」
部屋の中。女性が一人取り残される。
クスリ、と響いた笑い声は誰のものか。女性は口を開いた。
「お買い上げいただき、ワタクシは嬉しく思います。喜多野風太郎様」
それから数日後。
幻想学園の文化祭まで残り三週間となった頃。
喜多野家に、風羽宛の電話が鳴り響いた。喜多野風羽は電話をお手伝いの女性から渡されて、受話器を耳に当てる。
「はい。風羽です」
「風羽?」
懐かしい声のような気がした。だけど気のせいだ。そんなこと絶対にない。あるはずがない。
「誰?」
「わたし? わたしの声、分からない?」
くすくすと高い笑い声が。懐かしい。けどありえない。
「誰、なんだい?」
「相原乃絵」
ガチャンと電話が切られる。
受話器に耳を当てたまま、風羽は石化したかのように固まった。呼吸ができなくなる。
聞くだけで胸が苦しくなる名前だった。
お楽しみに。