(22) 守りたいもの・上
屋敷を出て数分。無言だったのに耐えかねたヒカリが声を上げた。
「無言で出てきて良かったのか?」
「別に。私たちがいたところで邪魔なだけだし、用があったらあとから連絡してくるんじゃないの」
「ふーん。まあ、目的……目的って何だっけか。ああ、そうそう『虹色のダイヤモンド』を返してもらう予定だったんだけど、無いならしょうがねぇよな。どうしよう」
「どうしようも何も、明日盗みに行くからいいじゃない」
「……行くのかい?」
不思議そうな顔で風羽が言ってくる。
唄は前だけを見て、淡々と言葉を吐いた。
「失敗したように見せかければいいのよ。そうすれば、暫く『虹色のダイヤモンド』も狙われなくなるんじゃない」
「確かにね。もともと人食いと言われていた宝石だったこともあるからね。少なくとも三流の盗賊は手を出さないだろうね」
「逆に好奇心が出たやつが狙うんじゃね?」
「それならそれよ。『虹色のダイヤモンド』に飲み込まれなければ……もっと強い異能力者だったら、死ななくって済むでしょ」
「まあ、誰が犠牲になったところで、僕たちには関係ないしね」
思わず風羽を見る。彼は無表情だった。
唄はため息をつき、少し足を速める。「わわ」と言いながらヒカリが慌てて横に並ぼうとするが無視をする。
後ろからは変わらない速度の足音がついてきていた。
「どうしたんだよ、唄ぁ」
「ヒカリ。今、何時か知ってる?」
「え? 今? うーんと……。あっ! もう夜中過ぎてんじゃん!」
「そうよ。私はもう眠いの」
「ああ、だから急いでんのかぁ。じゃあ走っていこうぜ!」
「疲れるじゃない」
一蹴するとヒカリが項垂れたかのように肩を落とした。
その姿を見て唄は思う。
(やっぱり、精霊を扱うことに長けているだけあって体力余ってるみたいね、ヒカリは)
なんだか馬鹿らしくなり、唄は速度を弱めた。
(それに比べて、少し歌うだけで私は……)
まだ力をうまく扱えてないのだろう。唄は眠さも相まって、体中怠かった。
後ろから風羽の声が聞こえてくる。
「じゃあ、僕は少し水練のところに行ってくるよ。きっと成果を聞きたがっているからね」
「そう。わかったわ」
とんッ、と足音がして風羽が走り出す。水連が住んでいる廃墟マンションに行くのだろう。
唄は前を向いた。
(家まで、あと十分かしら。……お父さんに外に出たのばれてないといいけど)
両親に何も伝えず外出したため、帰ったら怒られるかもしれない。母は微笑んで許してくれそうだけど、父は理由を言わずに外出すると怒るのだ。
(窓から入れば大丈夫かな)
どうにかなるかもしれないと思って、唄は足を速めた。
「おっと」と言いながらヒカリもついてくる。
唄はチラリと流し目でヒカリを見ると、空を見上げた。秋の空は綺麗だ。
隣から「腹減ったぁああああああッ」という声が気にならないほどには。
◇◆◇
「ふーん。そうなんやぁ」
だらしなく白衣を着た水練は、回転いすをくるりとして振り向くと、風羽を見た。眼鏡をくいっとさせて、風羽は軽くため息をつく。
「明日は……まあ、水練も頼んだよ」
「おっけー。今日はあたしの出番なかったし、警察をけちょんけちょんにしてやろうかぁ」
水練が意地の悪い笑みを浮かべる。
(どうせまた外に出ないんだろうけどね)
彼女はめったなことでは外に出ないらしい。確実なことはわからないが、前に学校に来た時も一週間ぶりだと言っていた。不登校で引きこもり、その上この寂れた廃屋に一人で住んでいる。いろいろと疑問があるものの、聞かないでいた。というより教えてくれないだろう。その気になれば兄に頼んで調べてもらえるかもしれない。けれど風羽はあの人が正直苦手だ。
風羽は一歩下がる。
同時に水練が声を上げた。
「どころで、風羽? あたし、前からあんたに聞きたいことあったんやけど」
「……聞きたいこと?」
「そう。――どうして、風羽は唄と一緒にいるの?」
思わず目を見開く。
「ずーっと不思議やった。あんたと出会ってまだ一年ぐらいしかたってないけど、だいぶ前にも一回聞いたことあったよね? はぐらかされたけど。今回はどんな手を使ってでも聞くからね」
「何で? 前にも行ったと思うけど、それを君に教える必要は」
「ある。あたしら仲間やろ? けどなぁ、あんたは少しどころやない。結構、隠し事してるでしょ? あんたのお父さんが警察だということも隠してたし……正直、信用できないんや」
「……だからと言って、僕が唄の傍にいる理由を教える必要はないだろ」
「何回いうねん。じゃあさ、一ついい?」
水練は視線を逸らそうとせず、机の上に手を置いて一枚の紙を取り出す。
「警視総監――喜多野風太郎」
その見覚えのありすぎる名前に、思わず目を見開いてしまった。
どうして、彼女はその名前を。
「あんたのお父さんやろ?」
「……ああ」
答えるしかない。彼女は確信をもって言っている。はぐらかしきれない。
「警察の、すっごーい偉い人なんやねぇ」
「そうみたいだね」
「どうして隠してたんや」
「別に隠してないよ」
「これ、明日唄に教えようと思ってるんだけど、どうや」
意地の悪い笑みだ。
水練は脅している。これを教えないで欲しかったら、唄の傍にいる理由を教えろ、と言っているのだろう。
(できれば隠したかった)
隠した状態で、唄の傍で彼女を守ろうと思っていた。
この自分の気持ちはあまり他人に理解できないだろう。ヒカリが聞いたら絶対に顔を顰めて起こるはずだ。彼は本当に唄のことが好きなのだから……。
「唄を守るためだ」
「なぜ? なぜ唄を守りたいと思ったんや?」
「……昔の話をしてもいいかい」
気づいたら声が出ていた。もしかしたら、そろそろ誰かに話したかったのかもしれない。
「僕には幼馴染がいた。彼女の名前は言えないが、彼女は僕の所為で死んでしまった」
「幼馴染……。死んだ……。ふーん。で、それが唄を守ることとどう関係あるんや」
少し深呼吸する。息が詰まりそうだ。
「彼女と唄は、そっくりなんだ。髪や瞳の色は全然違うけれど、目つきとか、雰囲気が似ている」
「へぇ」
水練が声を上げる。
風羽は気にせずに続けた。
「一年半前、唄を見たときに、びっくりしたよ。あまりにも彼女に似ていたものだから、生き返ったのかと思った。けどそんなことはあり得ない。死人は生き返らないんだ。別人だとすぐに気づいた。それでも気になって、兄に調べてもらったんだ。そうしたら怪盗という危険んなことをしていることを知ってね、僕を仲間に入れてもらった」
転入してきてすぐ、唄の近くの席を通った時、思わず足を止めてしまうほどに幼馴染に似ていたことを思いだし、風羽は拳を強く握る。
「だから、守ろうと思ったぁ、と」
「そうだ」
唄に幼馴染を重ねているなんて、やっぱりヒカリは怒るだろうか。
それでも、自分ができる最大限の力を使い、あの時に守れなかった彼女の代わりに、絶対に唄を守り切って見せると心に誓っていた。
本当は自分の中に一生隠しておくつもりだった。こんな歪んだ感情は、あまり他人に理解してもらえないのだから。
先ほどの陽性のことを思い出す。
(僕は、どこまで自分を犠牲にして唄を守ることができるのだろう)
ここ一年、唄と一緒に怪盗をやってきたものの、命を掛けるほどの危険はなかった。これからもしかしたら唄と風羽のどちらかしか生き残れない、そんな状況に陥った時、迷わず自分の命を捧げることができるのだろうか。
想像すらできない。したくなかった。
それでも守りたい。
「なんとなくわかった。あんたはおかしいんやね」
水練の声で我に返る。
こめかみを押さえて目を開き、風羽は前を向いた。
「そうかもしれない」
「まあ、唄を守りたいという気持ちは本物みたいや。あんたは裏切りそうにないね」
「唄を守るためだったら何でもやる」
「そうか。とりあえず、今からこれをヒカリに教えてやろうかなぁ」
意地の悪い目でチラチラ此方を見ながら水練がスマートフォンを手にとる。
冗談だとわかったが、風羽は眉を潜めた。
「やめてくれ」
「嘘や。やらへんよーっだ。あはは、まあ、あたしはすっきりしたからもういいや。風羽は帰ってええよ~」
「……じゃあ、また」
「ばいばぁい」
風羽は壁にかけている時計に目をやった。
時刻は、深夜の1時を告げようとしている。
ああ、あと数話で終わってしまう……。