(13) 想像
部屋を出てしばらくして、向かってくる大きな気配に、シルフは気づいていた。
風になり吹いている筈の自分に、急激に迫ってくるその気配に、シルフは少し恐怖する。
(怖い……なんて感覚を、精霊であるわたくしが感じるのは、いけないことですわ)
『虹色のダイヤモンド』。一度、近くに行ったことがあるから知っている、あの異様な気配はもう目前だというのに。シルフは、めんどくさそうに「はぁ」とため息をつくと、背後から来る気配を向かい打つべくピタッと止まった。
振り向くと、「クスクス」と笑い声を上げながら実態を取り戻す。
『あらあら。わたくしを追いかけてくる熱烈なファンがいるかと思いましたら……これはこれは、とても勇ましい殿方でしたのね。しかも尻尾が八つも。だけどそれよりも、広い廊下だとはいえ、貴方に室内は少し狭すぎではありませんこと?』
優雅にそう問いかけられた八又は、シルフの問いに答えることはなく、廊下の壁に尻尾を打ち鳴らしながら、真っ直ぐにこちらに突っ込んでくる。
――――オオオオオオオオオオッ。
『うるさい生き物だこと。黙らせたいものですわ』
パッチリ瞬きをすると、シルフは右腕を横に薙ぎ払った。そこから風が巻き起こり、暫し狼の動きを止める。
すると狼の後ろから、
「〝八又〟そんなのに負けるな」
怒りを孕んだ少年の声が聞こえてきた。
――――グオオオッ!
主人の声に促され、狼はドンッと足を踏み出し、再びこちらに向かってきた。
(あらあら。これは厄介ですわ)
シルフは一歩後ろに下がり、次は両手で風を起こして、そしてもう一度右手で上から風を一閃――吹き起こされた風は絡まり、狼はその風により後ろに少し吹き飛ばされ、尻餅をつく。
「どうした〝八又〟ッ! そんな幻想の精霊如きに押し負けるなッ! ボクの〝式神〟だろうがッ!」
「〝幻想〟とは、それはまたひどい言い草だね。いや、自虐かな。君は、自分の〝式神〟のことも貶しているのだからね」
「なっ」と口をつぐみ、琥珀は振り返った。
風羽は、そんな彼を冷たい目で見つめ返す。
「前に、尾行の時、君の〝式神〟に振れて思ったんだけどね。君の〝式神〟は不思議と、あまり実態感が感じられなかった。そこで思い出したんだ。授業で、『陰陽師』は、術者本人が〝想像〟する生き物を札に封じて、この世に存在させるための実体を与えているということを。君の〝式神〟からは実在する生き物ではなく、どこかあやふやな……そうだね。僕が思う簡単な例えで言えば、〝精霊〟と同じような気配がしたからね」
あの時自分を捕まえるために琥珀が使った〝式神〟――黒い蛇に縛られた時に感じた違和感を思いだしながら、風羽は言葉を紡いでいく。
琥珀の表情がどんどん険しく、歪んでいくのはわかっていたが、言葉は止めず、風羽は続ける。
「そうすると、君のさっきの言葉は自虐だよね。〝幻想〟と〝想像〟はほとんど同じ意味なのだから」
「うるさいっ!」
おかっぱに切りそろえられた黄色の髪の毛を振り乱し、琥珀は怒りを爆発させる。
身構え、風羽は冷静に少年の動向を探りつつ、気を張った。
「それがどうしたって言うんだッ! ボクは両親を知らないッ! 施設の前に捨てられていたんだッ! そんなボクが、幼い頃からこんなよくわからない力を持っていて、誰からも忌み嫌われて、そしてッ! 自分で調べて『陰陽師』と『気打』の力が自分にあるってわかって、だけどどう使えばいいかわからなかった! だけど、どうにかして独学で使い方を覚えて! 想像で育んだボクの可愛い〝式神〟を、貴様なんかに馬鹿にされてたまるか!」
力の限り叫び、琥珀は息を整えるべく肩で息をした。
矛盾した言葉に、風羽は眉を潜める。
だけど、それを追及することはなく、風羽は琥珀が吐き出した言葉の内のただ一点――『気打』という単語に、ただ興味を惹かれていた。
(『気打』って、確か自分のを〝精神力〟を〝気〟に変える、近距離タイプの能力だったかな。……まあ今、琥珀の〝精神力〟は少し荒れているから、『気打』は使えないだろう。今は、『陰陽師』の能力に警戒しておけばいいだけだね)
風羽は琥珀から目を逸らさず、いつでも反撃できるように右手を構える。
今のところ、彼が召喚した〝式神〟は一体だ。だけど、最初に襲ってきたときや尾行の時に、カラスや人型、それから蛇の〝式神〟などを召喚していたから、同時に何体も召喚することが可能かもしれない。だとしたら、まだ別の〝式神〟を召喚してくるかもしれない。
(カラスや蛇の〝式神〟だったら僕一人でどうにかできるけど、一気に何体もかかってこられたり、今召喚してる狼と同等の〝式神〟を召喚されるときついな。ただでさえ、今はシルフを召喚していて、体力もあまり残ってないし……)
風羽は、ただ祈っていた。
(シルフ、早めに『虹色のダイヤモンド』の場所に向かってくれ)
――――グオオオオオッ。
再び立ち上がった〝八又〟がシルフに向かっていく咆哮が廊下に響き渡った。
風羽の視界の端では、シルフがゆっくりと目的に向かって後退しつつ、〝八又〟と対峙していた。
その口が笑みを刻み、引き締められる。