(5) 屋上での対立・上
一時間目開始のチャイムが鳴ったのにもかかわらず、ヒカリは中庭の大きな噴水前にあるベンチに腰掛けていた。そこには、ヒカリ以外誰もいない。
はーっと大きくため息をつき、ヒカリは両手を組み合わせるとそれを膝に置き屈み込んだ。
「ったく。イライラするぜ」
小さな声で呟く。
九月下旬に吹く風は、少し冷たさを伴っていて肌に気持ちいい。
ヒカリはそのままの姿勢で目を瞑った。神経を集中すると、なんとなく辺りの〝気配〟を探り始める。
冷たい気配、温かい気配、花のイメージができるのや色のイメージが出来る気配など、色々な〝気配〟がある。中でも強力な〝気配〟は、先生や極一部の生徒のものだろう。
「…………」
ヒカリは、手中させていた気配をなんとなく屋上に向ける。
そこには――恐らく、生徒のものと思わしき人物の気配を感じ取ることができた。
それは、チョコレートのように甘くて苦い〝気配〟――。
「ッ。こ、これって!」
ヒカリは顔を上げると、咄嗟に立ち上がった。風が頬を撫でる。
険しい表情でヒカリは屋上を見た。ここからでは、人の姿を見ることはできない。でも、気配を感じ取ることはできる。チョコレートのような気配を。
(アイツの言っていたこと、コイツなら知ってるかも……いや、確実に知ってるはずだ!)
脳裏に、ついさっき琥珀が保健室を出て行く間際に言った言葉が浮かんでくる。それと同時に、ヒカリは走り出していた。六階のそのまた上にある屋上に向かって――。
ただ、走って行く。「なんだ」と見てくる生徒や、「廊下を走るんじゃないッ」と叱咤してくる先生など気にしないで、ヒカリは屋上に向かって走って行く。
屋上から感じる、チョコレートのような気配に向かって。
昨日、風羽から届いたメールの情報が正しければ、そこには――『風林火山』の水鶏がいるはずだ。
◇◆◇
「風、気持ちいな……」
後ろで一つに結われた黒髪を風に靡かせ、水鶏はメガネを取った状態で、屋上のフェンスに寄りかかり腕を組んでいた。中庭とは反対の運動場側のフェンスである。背中から、体育をやってる生徒達の元気のいい声が聞こえてくる。
それをなんとなしに聞きながら、水鶏は再度呟く。
「ホント、気持ちい……」
秋に吹く風は、若干冷たく爽やかで気持ちいい。
水鶏は気配を消していなかった。消すこともできるが、ここ――幻想学園には、色々な気配を持っている者達がいるので、それに紛れてあいつらには気づかれにくいだろう。そう思っていた。
(気配を消すのにも体力を使うしね)
軽くため息をつくと、水鶏は空を見上げた。空には真っ白な雲が綿菓子のように流れており、その上には太陽が元気よく輝いている。
「……計画は、今のところ順調」
呟き、水鶏は目を閉じる。
(後は、日曜日を待つだけ。その日にすべてが決まるんだ)
「流石に、昨日は疲れたかな。あんな人数をたったの二人で相手をしたんだからね」
だが、自分の力を最大限に使えない分、琥珀の方が倍は疲れているだろうが、それは水鶏には関係なかった。
「さて、陽性の手紙で、アイツらはどう動くんだろうね」
ため息混じりに呟く。
「陽性は、どうするんだろ……」
アイツは、と言って言葉を切ると、くいなはフェンスから体を離し、屋上の入口に向かって行った。
その時――。
閉まっていたはずの扉が勢いよく開き――
一人の男子生徒が姿を見せる。
◇◆◇
「何よ、コレ」
椅子に座りなおし、もう一度手紙を読み直した唄は、先ほどと同じ問いを目の前にいる風羽にする。
「手紙だよ」
当たり前のように、風羽は答えた。
眼鏡を直し、無表情の風羽が尋ねてきた。
「で、どうするんだい?」
「どうするんだい、じゃないわよ。やるに決まってるじゃない。怪盗は――怪盗メロディーは、一度盗むと決めたものは盗む。それが、怪盗の美学なんだから!」
そう息巻き立ち上がる唄。
風羽はいつもの無表情のまま唄を見ると、口元にうっすらを笑みを浮かべた。
「そうか……いや、君ならそういうと思ってたよ」
そして目を反らし笑みを消すと、歌に聞こえないように小さな声で囁いた。
「……心配して損した」
◇◆◇
――バンッ。と音をたてて屋上に上がりこんできたのは、見たことのない一人の男子生徒だった。
癖のついた茶髪を振り乱し、来ている制服は着崩されている。
眼鏡をかけなおそうとしていた手を止め、驚愕に目を見開き、水鶏は素養念を見た。彼の顔には、明確な怒りが浮かんでいる。
少年は無言で睨んでくると、ツカツカとこちらに歩み寄ってくる。
「な、なにっ……」
ジリッと、水鶏は一歩後ろに下がる。
視線で水鶏の目を射抜くかのように睨みつけてきながら、早歩きで歩み寄ってくる。
それに釣られ、水鶏は一歩一歩後ろに下がって行く。
(誰、コイツ)
いまいち状況を掴むことができない。
少年が近づいてくる。
ジリッと水鶏は一方後ろに下がる。そして――
ガシャッと音がして、背中がフェンスに当たった。
水鶏はチラリと後ろを見て、小さく舌打ちをする。前を見て、少年を鋭い視線で睨みつけた。
少年は右手を突き出してくると、水鶏の顔の横にあるフェンスを掴み、口を開いた。
「……言え」
低い声だった。
「は?」
「言え」
「だから、何をッ!?」
右手に力を入れ、水鶏は声を荒げた。
前にいる少年を睨みつけると、彼の気配を少し探り始める。辛子みたいなピリ辛の気配を感じるが、ところどころ激辛の気配も醸し出している。
だが、探ったところで、少年のことは何も知らない。顔を見たこともないし、気配も初めて感じたものだ。
水鶏は彼のことを全く知らない。
「言えっと、言ってるだろッ!」
今度は少年が声を荒げた。それが、水鶏には逆ギレされているように思えてならない。
軽く舌打ちをすると、水鶏は右手に力を込めた。少年は気づいていないようだ。
「何を、よッ! それと、アンタ誰!?」
水鶏は大きな声で叫ぶと、右手を少年の右手にさり気なく当てた。そして、込めていた力を解き放つ。