(3) 琥珀の夢・下
唄が保健室の扉を開けて中に入ると、そこには白いカーテンの向こう側にいる誰かを見守るかのように覗き込んでいるヒカリがいた。ヒカリが覗き込んでいるらしい人物の顔はわからない。
「あら? ヒカリが風邪を引いたわけではなかったのね。残念だわ」
皮肉交じりの唄の声を聞き、顔を上げたヒカリはチラリと風羽を見てなぜか顔を顰めると、不機嫌そうな声を上げた。
「うるせぇよ」
(ご機嫌斜めみたいね)
ヒカリとベットに寝ている人物以外誰もいない室内をなんとなく見渡すと、ヒカリに歩み寄りながら口を開く。
「ところで、貴方は誰の看病をしてるの? ……もしかして、カノ、ジョ――ッ!?」
ベットで寝ている人物を覗き込み、唄は息を呑んだ。
(なんで、この子が……)
ベットには、おかっぱぽい黄色の髪の毛を持つ人物――『風林火山』の琥珀が寝かされていた。 状況が飲み込めない唄は、しどろもどろでヒカリに尋ねる。
「ヒカリ、なんでこの子が……ここにいるのかしら?」
震える唄の声に、眉を潜めながら風羽が近づいてきて、琥珀を見て黙り込んでしまった。
「ねぇ、何でヒカリが琥珀と一緒にいるのかしら?」
「えっと、それは――」
その時、大人しく寝ていた琥珀が、小さく呻き声を上げた。
「え、ちょっと! どうしたのよ!?」
「だ、大丈夫かっ」
「…………」
唄、ヒカリ、風羽はそれぞれの反応を見せて、ベットに近寄って行く。
それが合図だったかのように、琥珀が呻き声を上げ始めた。
◆◇◆
何だ。何で、この世界が揺れているんだ?
琥珀は立ち止まり、暗い空間を見渡す。
(地震、か……?)
それと同時に、琥珀のあたりに渦巻いていた嘲笑は、壊れたスピーカーから流れ出る音のように、ノイズが混じり始めてよく聞こえなくなる。
「-―――っ。これは――ここは、ほんっとうに、何なんだよ!」
琥珀は大きな声で叫ぶ。
だが、その叫び声は虚しくも暗闇に吸収されて、消えていく。
どこにあるのかわからない真っ暗な地面が、さっきから揺れている。それはまだゆっくりで、立っていることはできる。
だが――
それはほんの少しの間だけだった。すぐに揺れは大きくなり、足元がぐらつき倒れこんでしまう。
(戻れ……元に戻ってくれよ。元の世界――現実に戻りやがれ!」
琥珀は頭を押さえ込む。
その時、ふと何かが聞こえてきた。
『――――ッ!』
それは、誓いようで遠い、そんな感じがする。
(何だ……誰、だ?)
琥珀は揺れている世界の中、倒れないように立ち上がり、辺りを見渡した。
『――――くッ!』
それはどんどんはっきりと聞こえてくる。
よく聞くと、それはどこか懐かしいような〝声〟だった。
『琥珀ッ!』
やっと、はっきりと聞こえた。
(ボクを呼ぶ声? いったい、誰なんだ?)
声がする方へ、琥珀は一歩足を踏み出す。
「誰?」
『琥珀ッ!?』
「いったい、誰なんだ」
気がつくと、琥珀は走り出していた。
早く、早く、声が聞こえる方向に向かって――。
(――誰?)
この声は聞いた事があり、どこか懐かしい。……そんな感じがする。
脳裏に数人の影が浮かんだ。
それは、ピンクっぽい影や赤っぽい影、それから――。
「――――ッ!」
琥珀が手を伸ばして何かを叫ぶと、周りの景色が、一変した。
◇◆◇
「――っくあ姫様ー!!」
右手を伸ばし、大きく叫び声をあげると、琥珀がいきなり起き上がった。
唄達は驚き、一方後ろに下がる。
「こ、琥珀……?」
小さな声で唄が呟く。
起き上がった琥珀は、あたりを驚愕の表情で見渡した。まだ頭にまで血がちゃんと通っていないのか、虚ろな瞳で唄を見つめる。
「き、貴様、は……」
何でここにいるんだ。それよりもここはどこなんだ。とでも言いたげな灰色の瞳で、琥珀が睨んできた。
椅子から立ち上がり大げさなリアクションをとっていたヒカリが、ボスンッと椅子再び腰をかけると、ため息交じりにこれまでのことを話し始める。
「あんたは、俺と出会い頭に衝突して、倒れて気絶したんだ。それを俺が保健室まで運んでやったんだ」
「フンッ……。余計な、お世話だ……」
目を逸らし、琥珀が唸り声をあげる。
(何なの、この子。光に感謝もしないなんて……。感謝することを知らないやつなのかしら?)
歌は小さくため息を漏らす。
「……ねぇ、琥珀。貴方、今〝姫様〟と叫ばなかったかしら。……それは、一体誰なの?」
「――ッ!」
唄の言葉に、琥珀が目を見開いた。だが、唇を噛み締めると、
「貴様には、関係のないことだッ」
吐き捨てた。掛け布団を押し上げると、ベットから立ち上がろうとする。だが、足がふらつくのか倒れそうになった。
「だ、大丈夫か!」
それをヒカリが支えようとするが、壁に手をつけた琥珀がヒカリの手を払う。
「余計なお世話だと、言ってるんだッ」
ヒカリを一睨みして、体勢を立て直した琥珀は、どこか覚束ない様な足取りで扉に向かって行く。
唄達は誰も止めようとはしない。したいが、できない。
「また、近い内に会えるだろう」
背を向けていた琥珀がいきなり口を開く。彼の言葉に、少し風羽が反応した。
唄は、琥珀の言葉と風羽の反応に、怪訝そうな顔をする。
「その時、ボクの力の全てを見せてやる」
チラリと鋭い灰色の瞳で唄達を見ると、琥珀は扉を開けると出て行ってしまった。
後に残された三人は、灰色の瞳に気圧され、動けずその場に留まっておくことしかできない。