忘れられないレイトショー
久しぶりに映画館に来た。家で地上波の放送を見ることはあるが、就職してからは足が遠のいていた。
今日は息子が好きなアニメの映画版を家族で見る予定だ。CMが流れる度に、長男の見たいリクエストが賑やかだったな。
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ショッピングモールを抜けて映画館のフロアに入る。待合スペースに入りきらない人・人・人。飲み物や軽食、パンフレットを持って話す声に次の上映作品の開場アナウンスが重なる。
予約した映画の時間まであと30分だ。
「先に飲み物買ってくるよ。何がいい?」
「ジュース〜」
長男の大樹が真っ先に答えた。
「えっと、ジュースはリンゴとオレンジがあるけど、どっちにする?」
「リンゴ〜」
「わかった」
映画が余程楽しみなのか、朝からずっと落ち着きがない。見に来たアニメのポスターを見つけて指差すと、きゃらきゃら笑っている。
「優太は何がいい?」
「お兄ちゃんと一緒の」
「OK、優太もリンゴだな」
次男の優太は初めての場所が不安なようで、このフロアに着いてから妻の手を握ったままだ。
「私のはアイスティーでお願い」
「ん、じゃあ買ってくる」
妻が子供達とポスターのそばで待つ間にドリンク売り場に並ぶ。家族連れが多く、どの受付カウンターにも行列ができている。
左端の列を選んで並ぶと、すぐ横の壁に貼られたポスターが目に入った。ずらりと並んだ中に懐かしい文字を見つける。学生の頃に見たSF映画の新シリーズだ。
「これ、新しいのやってるんだ」
つぶやいて、ふと思い出す。
それは15年程前、一人でレイトショーを見に行った夜のこと……。
大学に入って一人暮らしを始めた。前期に受ける授業を決めて教室移動にも慣れ、週三でバイトに入る生活が様になってきた頃だった。
初めて自分で稼いだ給料を使って、好きなSF映画のシリーズ最終話を見に行くことにした。
上映時間を調べてレイトショーのことを知った。開始時間が夜遅いけど、チケット代が抑えられる。その分、見る回数を増やせそうだ。
バイトの時間は17時から20時だから、映画館に直接行けば21時10分からのレイトショーにちょうどいい。
「ありがとうございます。またお越しくださいませ」
終業前、最後のお客様を見送った。
「お疲れ様です!」
「お疲れ様。暗いから帰り気をつけてね」
「はい!お先に失礼します」
バイト先の先輩に挨拶して、ロッカールームで制服を脱ぐ。携帯と財布を入れた鞄を持って駐輪場へ急ぐ。
外はすっかり日が落ちていた。街灯と道沿いの店内からもれる灯を目に捉えながら自転車を漕ぐ。
後ろから車のライトが追い越していく。頭の片隅で前作のラストを思い出しながら進む。バイト先に行く時より体が軽く感じた。
自転車を停めて携帯を見ると20:43。予定より早く目的地に着いた。晩ご飯を食べる時間くらいはありそうだ。
いったん隣のコンビニに入って、おむすびを二つ買い、店前の端の方で袋を開ける。
バイト後の胃に塩むすびの美味さが染みる。紅シャケむすびもすぐさま平らげた。店外のゴミ箱にビニールを捨て、自転車を映画館前に移動する。
むわっとした外気で汗ばんだ顔と首筋をタオルでぬぐって、二階の映画館に上がる。上映時間の12分前だった。
先にチケットを買って、手洗いを済ませた。飲み物を注文している時に開場アナウンスが流れる。アイスコーヒーを受け取って、ゲート前に向かってチケットをスタッフに渡し、半券をもらって場内に入った。
レイトショーだからか、上映場所は館内で一番席数の少ない5番シアターだった。
前の方、真ん中辺りの席にちらほら座っている人がいる。僕は中央階段そばの後ろの空席に腰をおろした。
コーヒーを飲みながら体を休めていると場内の照明が落とされ、予告編が流れ、ついに本編が始まった。
前作で秘密の恋人同士になった主人公と姫。幸せそうなその後の二人の映像からの冒頭。だが、二人の関係が星をまたぐ争いの種をまき、主人公は心に葛藤を抱え苦しむ、というシーンで後ろから人の声が聞こえた。はっと見入っていたスクリーンから意識が引き戻される。
途中入場の人が入ってきたようだ。遅くまで仕事して最初から来れない人もいるよな、と思っていたのだが。
横を通りすぎ、中央階段を降りていったのは三人組だった。右側の背の高い大人と、左側のお腹周りに存在感がある大人に挟まれて、少年が歩いている。
左側の人は、子供を中心に人気の某アニメ映画に出てくる巨大なキャラクターに似ていた。薄暗闇の中、足元の照明が照らし出すシルエットからつい連想してしまう。
レイトショーは保護者がいれば入れたんだっけ……いや、上映時間見た時に注意書き読んだけどダメだよな。終了時間が23時過ぎなのに、未成年がその時間に映画館にいたらまずいだろう。
三人は上側の通路の真ん中で立ち止まった。
映画の音声が頭を素通りして、この三人に視線が釘付けになっていた。
「わか、どの辺に座ります?」
「おい、声でかいぞ。迷惑やろが」
某キャラクターに似た大人が「わか」と少年に話しかけ、少年から叱られた。どういう関係だ?
長身の大人は「くくっ」と背を丸めて笑うと言った。
「わかの言う通りだ。大声出すなよ。わか、前の方がいいですかね?」
三人ともよく声が通るし、僕の席から近い所で話し始めたので全部聞こえてしまう。
スクリーンでは心の迷いに抗えず主人公が荒れているシーンが映されているが、三人組の方も気になる。
スタッフはなぜ通したのだろうか。
「わか」って何だろう、何かごっこ遊びでもしているのか……なんで大人は二人とも敬語なんだ?一体どういう関係なのか……親戚、にしては態度がおかしいような……疑問が次々と浮かぶ。
「すぅえません、気をっけあす」
叱られた大人が、ぺこっとおじぎの動作をするが足元が覚束ない。体がふらふらと揺れて、短パンから出た足が右へ左へ下手なステップを踏むように動いている。
「席は人がおらんとこで……なんでそんなへろへろ動いとるん?」
少年の怪訝そうな声の後、その人は後ろにそのままバタンと倒れた。
「おいっ!!」
「大丈夫か!」
少年と背の高い大人の声が劇場に響き渡る。何が起こったのかと、僕が固まっている間に天井の照明が明るく光り、スクリーンが白くなった。
「お前、顔真っ赤じゃないか」
少年の声が再び響く中、スタッフと警備員が後方入口から駆け込んできた。
「どうされました!?」
「意識はありますか?」
三人が立っていたのは広めの通路で、倒れた大人は座席や段差に引っ掛かることなく、通路の真ん中に仰向けに横たわっている状態だった。
僕は突然のことに頭がはたらかなくなって、ただ、目の前で起こったことを見ているだけだった。
「急性アルコール……じゃないか」
「救急車、呼んできます」
スタッフと警備員が小声でやりとりして、スタッフは急いで出ていく。
照明がついたことで、大人二人はラフなシャツと短パン姿なのが見えた。倒れた人は意識があるようで手が動いている。少年と長身の大人はこちらに背を向けてしゃがんでいて、表情は見えない。
「救急車、今向かってます。これから担架で運びますね」
さっき出て行ったスタッフが、もう一人別のスタッフを連れて担架を持って戻ってきた。
倒れた大人は、スタッフ二人と警備員、長身の大人の四人がかりで担架に乗せられ外に運ばれる。少年も下を向きながら担架の横に付き添うように出て行った。スタッフの指示とかけ声以外、誰も何も言葉を発しなかった。
やっと思考が戻ってくる。不測の事態が目の前で起こると、人は体が動かなくなるものなんだな。目は見えているし、声も聞こえているのに何もできなかった。他の客席にいる人達も同じ状態のようだった。
スタッフが来てから担架が運ばれていくまで、数分の間に事が過ぎていた。
『お客様、お時間をいただいて誠に申し訳ございません。この後、映画を再度上映いたしますので今しばらくお待ちくださいませ』
状況説明を含まず、簡潔なアナウンスが流れる。そのまま座って待っていると、照明が再び薄暗くなりスクリーンに映像がうつし出された。本編最初のシーンから……。そういう仕様なのか、それともスタッフの冒頭から落ち着いて見てほしいという心遣いなのだろうか。
映画館って担架が常備されてるんだな、とか救急車はもう来たんだろうか、あの三人は結局何だったんだろう?と腑に落ちない思いが頭をよぎったが、スクリーンを見ているうちに次第に映画の展開に惹き込まれて、疑問は薄れていった。
エンドロールまで今度は何事もなく見て、帰宅の途につく。外に出て携帯を確認すると、あと数分で日付が変わる時刻になっていた。
映画館までの道は夜でも灯がさして明るかったけれど、家まではコンビニと街灯頼りで何だか物寂しい気持ちになった。
それから学生の間、年に数回レイトショーを見に行った。アクションや別のSF、冒険ファンタジー、恋物語、ジャンルに限らず全て面白かったのだが。
初めてのレイトショーで上映された映画が、一番色濃く記憶に残っている。
僕にとって非日常なこの夜のことはSFとか映画館と聞くとたまに思い出す、忘れられない出来事になった。
回想しているうちに列は進み、注文の順番まであと二人になっていた。あと5分ちょっとで開場予定だから、いい頃合で入れそうだ。
「パパ〜」
呼ばれて右を向くとすぐそばに大樹が来ていた。遅れて優太を抱っこした妻も向かってくる。
「ポップコーンほしい」
「ママに聞いてからな」
「ママはね、パパがいいって言ったらいいよって」
妻を見ると頷いている。
「じゃあポップコーン皆で食べような」
「やった!」
「塩味とキャラメル、どっちが食べたい?」
「えと……キャラメル!」
優太はどちらがいいか聞こうと目を合わせると
「キャラメル、食べたい」
やっぱりお兄ちゃんと一緒がいいみたいだ。
「トイレはもう行った?」
「行ったよ」
大樹が答えて、優太もうんうん頷いている。
「そうか、えらいぞ。飲み物とポップコーン買ったら映画が見れる部屋に行こうな」
見れるまでもうすぐだとわかって大樹の目がきらきらしている。
そこで順番がきて、四人分の飲み物とポップコーンのMサイズを注文する。品物が揃う間にスマホ決済で支払を終え、トレーを受け取った。
妻は優太に声をかけて、ゆっくりおろすと片手でスマホの予約画面を開く。僕が大樹と、妻は優太と手を繋いでゲート近くまできたところで開場アナウンスが流れた。
前にいた数組の家族に続いて並び、先頭になると妻が予約画面をゲートの端末にかざし奥へ通される。
劇場につながる通路は照明の色が変わり、何となく気持ちが高まる。映画が始まるまであと10分弱。何歳になっても、わくわくするもんなんだな。
大樹と繋いだ手が小振りにふられる。映画が始まるまで待ち切れないって顔だ。
優太はちらちらと壁の照明を見ながら歩いている。表情が明るい。初めての場所への不安より、興味が勝ったようだ。
一人で見るレイトショーはスクリーンに集中できて、まるで映画の世界に入り込んだような没入感が好きだった。
家族と見る昼間の映画はまた一味ちがって、四人でわくわくする気持ちを、共有してるような高揚感がある。子供達を眺めて振り向いた妻の顔が、輝いて見えた。
さあ、今日の映画を楽しもう……!




