魔法陣、到着
リヒターが呪詛を吐きながら部下に引きずられてすぐのこと。エプサとヴィーラは再び市街地を歩いていた。ただし今度は魔獣の捜索が目的ではなく魔獣が通ってきた魔法陣の捜索が目的であり、もっと言えばヴィーラの使い魔を使った人海戦術によって既に裏路地に存在していると判明したので捜索というか確認が目的となっている。ちなみに、そんな二人の足取りと雰囲気は極めて軽く、緊張感というものはまるで存在などはしていなかった。
「まさかふっつーに裏路地に魔法陣があるとはなー。つーか教会って普段から警備とかしないわけ?」
ヴィーラがそう問いかけると、エプサは興味なさげな表情で「してるんですかねぇ。あそこはろくでなしの吹き溜まりですし、ひょっとしたらノータッチなのかもです」と首を傾げながら首にかけたネックレスについている石を手で弄んでいる。警備体制などには明らかに興味がないのが誰にとってもまるわかりであった。
「……前から思ってたけど、お前の教会内の事情に対しての無関心さには感心するよ。普通もっと気にするもんだと思うんだけど」
「知ったこっちゃないですよ、教会の教えだの内部事情だのなんて。私はただ暴れ…いえ、無辜の人々の助けになれればそれでいいですし。ただまぁ…」
まぁ、の続きの言葉を口にせず、どこかに思いを馳せているような表情でゆっくりと夜の空を見上げたエプサ。そんな彼女にヴィーラが「まぁ、の続きはなんだよ。気になるだろ」と続きを促すと、エプサは何かを誤魔化すようにふっと微笑んだ。
「……警備体制くらいは知っておくべきかもしれませんね。これからはもっと効率的に追い立てることができそうですし」
「追い立てるとかいう発言が出てくるあたり、お前やっぱシスターよりも狩人かなんかのほうが向いていると思うんだよ」
月明かりも相まってとてつもなく綺麗な笑みを浮かべて物騒な発言を口にしたエプサに、ヴィーラは反射的に呆れた表情を浮かべて思わず突っ込んでしまった。なんだかいい話に繋がるかな、みたいな話の流れからなんともハンター精神全開の発言が飛び出してきたので突っ込まずにはいられなかったのである。
その言葉を聞いたエプサはむっとした表情を浮かべると、案の定抗議の声を上げた。
「何を言いますか、失礼な。私ほどシスターに向いている人間はいないでしょうに」
「こういう魔人狩りの時だけはな。さっき教会の教えなんか知ったこっちゃないっつったの聞き逃してねぇからな?」
「教えは実際知ったこっちゃありませんが、これでも告解やお悩み相談などは意外と好評なのですよ?」
胸を張ってそんなことを口にするエプサに先ほどエプサ自身がリヒターに向けていたような胡散臭いものを見る目をヴィーラが向けると、エプサは「やれやれ、わかりませんか…」とでも言いたげに肩をすくめた。
煽るようなそんな仕草を受けたヴィーラは「この人本当によくシスターになれたな…」「この人本当になんでシスターを志したんだろう…」と二つの疑問がほぼ同時に心の底から浮かんできたものの、しかしながらその疑問が実際に口に出されることはなかった。目的地の裏路地にたどり着いたからであり、その地を目撃してはそんな疑問などは後回しにせざるを得なかったのだ。
「これは…なんていうか…」
「ずっと前から治安は悪かったですが…さすがに表でここまでなっているのは見たことがありませんね…」
二人の視線の先にあったのは地面には大きな傷が刻まれ、至る所に瓦礫が散乱し、人が倒れ辺りに『赤色』が飛び散っていたりとまるで嵐にでも巻き込まれたかのような凄惨な光景であった。
裏路地は盗みやら違法スレスレの物品やらを取り扱っていたり人が消えることは当たり前やらと普段からかなり治安が悪かったが、しかしながら表からも見えかねない場所でここまで通りが荒れているということはまず考えられない。
ということは、つまり。
「……あのわんこどもにずいぶんとまぁ派手にやられたってこったな。とりあえずはお祈り申し上げます、っと」
「右に同じくお祈り申し上げます。…さてネズミさん、引き続き魔法陣の所在を教えてくださいね」
シスター本来のやるべきことを雑に済ましたエプサは少しかがんで膝の上に手を置き、どこか優しい声でそう告げると当のネズミも心なしか元気そうにちゅーと鳴いて再びとことこ歩き始め、エプサもネズミの元気そうな後姿をみて少し微笑んだ後その後ろを悠々と歩み始めていった。
そんな一連の流れを目にしていたヴィーラは「一応あのネズミも魔力で作ったあたしの使い魔なんだけど、仲良くしてていいのかな…」とか思いながらもエプサの背中を追っていく。
「……にしても本当にすげぇことになってんなこれ…。派手にドンパチやったみたいになってんじゃねぇか」
「実際そうなのでしょうね。何かと犯罪の臭いがする裏路地の深奥…地下に作られたブラックマーケット、いわゆる『裏路地街』では武器の流通とかは当たり前ですし、魔獣を撃退するためにそれを使ったのではないでしょうか。まぁ結果はこのザマなわけですけど」
「ザマて。シスターの言動じゃねぇな」
エプサのなんともシスターらしからぬ言動に苦笑するヴィーラ。そんな極めていつも通りの会話とともに二人はずんずんといつも以上に人気のないかなり暗い裏路地を進んでいったが、しかしながら二人と一匹のそんな裏路地散歩は不意に終わりを迎えた。
というのも。
「こりゃまた大きい魔法陣だなぁおい…」
二人の視線の先には、赤黒い色のかなり大きな魔法陣がふわふわと心なしか楽し気に宙に浮かんでいる光景があったからだ。しかもその真下の床には、明らかに人間のものではない赤い足跡──それも明らかに犬のようなものが残っている。先ほどの大きな魔獣はここを通ったことはほぼ確定的といえるだろう。
特に意思疎通したわけではないが、二人ともがそう結論づけると同時にエプサはおもむろに銃を取り出し魔法陣に向けると躊躇いなく一発発砲した。
銀色の銃弾は魔法陣を潜り抜けてその先へと到達する…ということはなくあっさりと魔法陣にぶち当たり、そしてすぐに地に落ちるかと思いきや数秒ほど紫電をまき散らしたのちあらぬ方向へと弾き飛ばされていった。
「……まぁすんなり通らせてくれるわけはありませんよね、常識的に考えて」
「そりゃ外出してんのに家に鍵かけねぇ奴がどこにいんだって話だしな」
「でもその鍵を無断で開けちゃうんですよね、これから?」
「開けちゃうんだよなぁ、これから」
まさしく魔女とでも言うべき悪どい笑顔を浮かべてそんな言葉を口にしたヴィーラが、おもむろにしゃがんで地面に魔力が籠った右掌を押し付けた。するとヴィーラの足元には複雑な文様が刻まれたそう大きくはない黄色の魔法陣が展開され、それを目にしたエプサは何をするのかを理解したのか少しばかり渋面を浮かべると同時に大股で一歩だけ後ろに下がる。
そんなエプサの動きを横目に見たヴィーラはほんの僅かに苦笑を浮かべ、しかし集中するためすぐに表情を引き締めて魔法の行使のため簡易的とはいえ詠唱を行いはじめた。
「……グランド・ドッペル・ドール、素体作成」
ヴィーラがそう告げると同時に魔法陣の中に魔力が収束していき、だんだんと地面が盛り上がり、捲りあがり、やがて人の形を成した。これにヴィーラが手を触れ、そして魔力を込めながら小さくぼそりと告げる。
「グランド・ドッペル・ドール、鍛造開始」
ヴィーラがそう呟いた途端、ただの人型の土塊でしかなかったそれがやがてヴィーラ自身の姿へと変わっていく。薄い紫色の外套も、態度に似合わず比較的小柄なのも、童顔ながらもよくよく見ればそれなりに整っている顔立ちも、すべてがそのまま土塊に複写されていき、やがて本物と見分けがつかないほど精巧なヴィーラの複製が魔法陣の上に立っていた。
しかし、ヴィーラはそこで作業を終わらせることはなく。
「……んで、仕上げっと。グランド・ドッペル・ドール、疑似人格定着行程に移行」
かなりの量の魔力を一発の銃弾に込め、そしてそれをヴィーラ人形の額に埋め込んだ。絵面が絵面なのでエプサは若干顔を顰めて何か言いたそうにしていたが、そんなことは知らんとばかりにヴィーラは眼前に佇むもう一人の自分に視線を向け続けて数秒が立ち、そして。
「……んぅ…。…ふああぁ、おはようさん」
極めて呑気な声とともに、ヴィーラ人形は目覚めの挨拶をした。態度も仕草も声のトーンも『このヴィーラ』を作った、先ほど魔法陣を展開した方のヴィーラと何一つとして変わっていない。なので文字通り増えた厄介な人物に対してエプサは若干嫌そうな表情を浮かべていたが、そんなエプサを放置して二人のヴィーラは互いに会話をし始めた。
「ようあたし…の人形。突然だがあの魔法陣をだな」
「わーってるって。お前はあたしであたしはお前…の、ほぼ完全な複製なんだからこまけーこと言わんでもわかるっつの。っかし、人使い荒いよなーお前…っつーかあたしも」
そうぼやきながらも魔法陣の前まで近づいたヴィーラ人形…もといもう一人のヴィーラは魔法陣に近づくと、おもむろに魔法陣に手を触れた。瞬間紫電が奔ってもう一人のヴィーラの手を焦がしていくが、しかしながら痛覚というものは存在しないのかもう一人のヴィーラの表情はまったくと言っていいほど変わらない。
一方の本物ヴィーラはというと、もう一人のヴィーラが頑張っている後ろで、
「いいぞあたし! 頑張れあたし! いけーっ、お前はもうちょっと頑張れるやつだーっ!」
という声援を投げかけるだけという、実際に作業をしている側の人物からすれば腹立つことこの上のない行動を行っていた。事実本物ヴィーラのこの行動には作業を行っている方であるもう一人のヴィーラは若干イラっとしている様子であるが、しかしながら作業中であるために手を離すことはできずに歯がゆい思いをしているのが表情から見える。
そんな二人のやりとりを見てエプサは呆れ全開の表情を浮かべると、隣に立っている本物──うるさい方のヴィーラの後頭部に思いっきり手刀を叩き込んだ。ちなみに当然の如く身体強化を使っているのでそれなりに威力は高く、不意打ちで食らった本物ヴィーラは涙目になっていた。
「ってぇな、なにすんだよいきなり! 頭が陥没したらどうしてくれんだ!」
「別に貴方がどうなろうと知りませんが、あちらの集中を乱して失敗されると面倒この上ないのですよ。あと単純にうるさかったので口封じをと思いまして」
「そっちが本音だよねぇ!?」
「というか、二人居るなら片方消しても別に構わないと思いません?」
当事者からすればたまったものではないその言葉の後に「ついでにストレス発散にもなりますし」とぼそっと呟いたエプサに対し、本物ヴィーラは「おい聞こえてんぞコラ、んな理由で殺されてたまるかっ」と猫のような機敏な動きでエプサから離れて彼女と向かい合うようにファイティングポーズを取り、一方のエプサもすっと無言かつ無表情で応戦するかの如く拳を構える。
そんな二人の顔の真横を、本物ヴィーラの真後ろから放たれた石ころが凄まじい速度で駆け抜けていった。
どこの誰が弾丸が如き速度のそれを放ったのか、察してはいるが一応二人が確認しようと本物ヴィーラの後ろに恐る恐る目を向けてみれば、そこには。
「さっきからうるさいんだけど…? 人がクッソ忙しい中なーに楽しそうにしてんの…?」
悪鬼が如き凄まじい表情を浮かべているもう一人のヴィーラの姿があった。魔法陣から手を放しているあたり、どうやら解析は終わっているらしい。
激怒という言葉があまりにも似合うその表情と態度に、エプサも本物ヴィーラも先ほどの態度など見る影もなく委縮したうえで珍しく本当に申し訳なさそうな表情を浮かべてゆっくりと拳を下ろす。
二人に対して怒りの視線を浮かべるもう一人のヴィーラだったが、怒りを抑えるかのように瞳を閉じて深くため息を吐くと、先ほど怒りを浮かべていたその瞳には冷静さが戻ってきていた。
「はぁ…まぁいいよ。どうせあたしはここまでなんだし…ほら」
息を吐き、心底呆れたような表情を浮かべたもう一人のヴィーラは静かに手を差し出した。それに対していまだ申し訳なさそうな本物ヴィーラがおっかなびっくりといった具合に手を取ったその瞬間握った手から光が溢れ、それと同時にもう一人のヴィーラの形がぼろぼろと崩れ始めて元の土塊へと戻っていく。
「…陣の組成とか鍵は渡したし、あとは任せたよ。あとは…そうだな、望み薄だけど」
「わーってる、あんがとな」
本物ヴィーラのその発言にもう一人のヴィーラは安心したようにふっと微笑むと、その身体は完全に土へと戻って崩れ落ちていった。月光のせいか、もう一人のヴィーラの残骸を目にしながらなんとなく憂いを帯びた表情を浮かべているヴィーラを横目に見たエプサは呆れたように静かにため息を吐いた。
「魔力逆流による精神混濁や廃人化を回避するためかつ可及的速やかな事件の解決のためというのは理解はしますが、貴方ベースの上疑似とはいえわざわざ人格がある存在を使ってそれを実行させるのはどうかと思います。というわけで後で一発殴りますね」
「はぁ!? ちょっ、待てって! 乗り気だったじゃん! お前も乗り気だったじゃんっ! あたしだけが悪いわけじゃないじゃんッッッ!」
「いえ、私は開けちゃうんですよねと確認しただけですし。命の尊厳の愚弄とかそういうのを許すのは、なんだかこう…シスター的には少しばかりアウトかなぁと思いまして。そんな訳なので後で一発殴りますからね、覚えておいてください」
「てんめ…っ! あたしを殴る口実を探してやがったな!? 上等だコラ、今回こそ目にもの見せてやるかんな!」
ぎゃあぎゃあとやかましいヴィーラを無視して彼女の横をすり抜けるとエプサは当たり前のように魔法陣の前に陣取り、肩越しに振り返る。その視線はいつの間にやら戦闘時の凍てついたものへと変わっており、「早くこれ、開けてください」と雄弁に告げていた。
ヴィーラもその意図を汲み取ったのか不服そうな表情ながらも騒がしい口を閉じ、エプサの横に並び立つとそのまま魔法陣に手をかざし、そしてそのまま手を右に傾ける。
すると赤黒い色をした魔法陣は爛々と輝き、やがて魔法陣からかび臭い空気が漂ってきた。どうやら空間がつながったらしく、この魔法陣は通り抜ければすぐに黒幕の居場所にたどり着く状態になったということだ。
「……さて、これで黒幕へと一直線なわけだが…。覚悟はできてるか?」
「覚悟も何も、私はこれが仕事ですからね。いまさら怖気づいたりはしませんよ」
エプサはそう呟きながらも、凍てつきながらも闘志に溢れた視線を魔法陣に向け一切動かさない。そんな彼女の様子を横目に見た後にヴィーラはふっと息を漏らして「確かに今更だったな」と呟いて笑みを浮かべると、気合を入れるかのように自分の掌に拳を打ち付けた。
「おっしゃ、今回の騒動を引き起こしやがった張本人のツラを拝みに行くか!」
ヴィーラが宣言するかのように高らかに告げると同時に、二人はいつも通りの軽い足取りで悠々と魔法陣をくぐりぬけていくのだった。




