教会の者たち
一方、ヴィーラが魔獣を撃破するわずか数分前。エプサは先ほど自分が投げ飛ばした魔獣の片割れとの戦闘を続けていた。
魔獣がエプサを引き裂こうとしていた水平方向での一閃をエプサは腰が入ったパンチで打ち返し、潰さんとしていた叩きつけには後方宙返りで回避しながらその手に持った銀色の銃での銃撃と努めて冷静に、そして極めて優位に戦闘を進めていた。
そんな彼女は噛み砕かんとしてきた魔獣の攻撃をバックステップで避けた後に綺麗なソバットを叩き込んで思い切り吹き飛ばしてから手早く銃をリロードをして懐に仕舞いこみ、魔獣の一挙手一投足を逃さぬように鋭い視線のまま胸元に手を突っ込んだかと思えばすぐに黄土色の輝く石がついたペンダントを取り出して握りしめると、そのまま教会で祈っていた時と同じように両手を顔の前で合わせて言葉を紡いだ。
「主よ、哀れな魂に安らぎを」
刹那。合わせた手はその内側から強い輝きを発し、やがて輝きは槍と斧を掛け合わせたような──一般的にハルバードと呼ばれるであろう武器のシルエットを成した。
エプサは形を成したそれを掴む──前に、魔獣が動きを見せる。またもその体重を以て潰さんとばかりに思い切り突進してきたのだ。
魔獣のその動きを目視したエプサはハルバードを足で真上に弾き飛ばした後に突進を華麗なサイドステップで避けると、迷うことなく魔獣の身体を踏み台にして先ほど自身が弾き飛ばしたハルバードをしっかりと握りしめる。
そして、そのまま意識を真下に向けて。
「だぁッ……るぁぁぁぁぁぁっ!」
眩き光の線を一筋描きながら、一気にハルバードを振り下ろした。
刃が魔獣の背に深々と食い込んで赤黒い液体が噴き出し、魔獣はおぞましい絶叫を上げる。だがエプサは返り血を浴びても絶叫を耳にしてもまったく怯まず魔獣の背から力任せにハルバードを引き抜くと、魔獣の背を駆けて三つある首の内一つをハルバードの一振りで落とした。
首が三つもあるこの魔獣でなければ即死していたであろう一撃をもらってなお苦悶に暴れる魔獣の背からエプサは飛び降り、
「…この程度では死なないか」
と呟いた後に、爪でエプサの身体を貫こうとしていた魔獣の前足に振り向きざまに一閃。魔獣の前足が宙に舞い、薄暗い街に魔獣の絶叫が響き渡るが、相も変わらず眉一つも動かさずにエプサは魔獣の動きを見ていた。暴れる魔獣の様子を映す瞳には感情という名の熱は殆どと言っていいほどになく、胸中に浮かんでいるのはたった一つの言葉だけだ。
人に害成す魔の者、ただ殲滅あるのみ。
教会という組織に入ったときに教わったことを胸中で復唱し得物を握りなおしたエプサの昏い戦意に呼応したのか、魔獣もまた咆哮をあげて、もはや満身創痍の身であるにもかかわらずエプサを噛み砕くために口を開き。
「──恨みは引き受けます。安らかに眠りなさい」
刹那。残っていた二つの首が落とされ、死の匂いをまき散らしながら魔獣は事切れた。
先ほどまで殺意と破壊を振りまいていた獣だった屍。それを見たエプサの手にした武器は光の粒子に分解されてペンダントについた石に吸い込まれていき、それが収まり次第エプサは素早くペンダントを首にかけなおす。そしてその後屍を見送るかのように両手を合わせた。
そんな彼女の耳に彼方より規則正しく響いた複数の足音が耳に入り、エプサはそちらにも意識を割く。当のエプサにはその足音の主たちが何者かなど予想はついているが、とはいえもしその予想が外れた際に対応する必要があるために警戒は怠らない。
「──討伐ご苦労様でございまス、シスター・エプサ」
なんとなくねっとりと粘っこい印象の声を耳にして、エプサは静かに溜息を吐いて微妙に嫌そうな表情を浮かべながらも警戒を解いた。大勢を連れて歩いてきたのは、エプサと同じく教会に所属する者にして直接戦闘を担うエプサ達対魔聖者とはまた違う部門である調査師の一員にして、そこそこ偉い立場にいるらしい男性。
「相も変わらずお早いご到着ですね、リヒター…さん」
エプサのかけた声に集団の真ん前に立っていたゆるいパーマがかかっている髪型の、黒の医務服の上からよれよれの黒い衣を身にまとった小柄な男が反応する。その顔には、人の感情を逆なでするような嘲笑が張り付いていた。
「そちらも相変わらずお早い討伐でなによりですヨォ、シスター・エプサ。そんでもっテ、よくもまァここまで壊したり汚したりしたものですネ。掃除屋が行う後片づけの手間も考えてほしいですヨォ。…まぁ貴方にそんなことを言ったところで無駄かとはわかっていますがネ」
戦闘の痕跡を確認したリヒターのわざとらしい嫌味に若干イラっとしつつも、指摘自体は間違ってはいないのでエプサはそれについて反論をせずに無表情でその嫌味を受け容れた。
…それはそれとしてコイツ一回本気で殴り倒してやろうかなとばかりに強めに拳を握りしめてはいたが、しかしそれは鋼の意思で抑え込んでいる。
「……さテ、おしゃべりはここまでにしてト。仕事をするとしますかネ」
「お願いします」
「貴方にお願いされなくてもやりますヨ、仕事なんだかラ。…行きますヨ、皆さン」
(……やっぱこの人一回全力でぶん殴りたい…!)
リヒターの冷たい発言にエプサはやっぱりイラっとしつつも、しかしながらエプサにできることは全くもってない上に調査師からの情報は必要なので魔獣の死骸に向かっていくリヒターとその部下たちの背中を見守りながらも少し距離をとった。ちなみに一般的には調査師が調査したりサンプルを回収しようとしている場合には彼らの保護のためにエプサ達対魔聖者がすぐ近くにいる必要があるのだが、エプサとリヒターの場合は話が別。
相性が悪すぎて…というかリヒターがエプサの事を嫌いすぎて近くに立ったら空気がかなり悪くなるので周りの士気にかかわる上に、最悪調査の精度が悪くなるので基本的に二人はリヒターの調査中においては接近禁止の令が出されているのだ。
ならばエプサがいる現場にリヒターを送り込むなという話であるが、しかしながらあれでリヒターは調査師としてかなり優秀な部類の上に調査師のくせにかなりの戦闘能力を持っているのでなかなかそうはいかないのが実情らしく、一度エプサが上に相談してみたところ「あのレベルの調査師はそうそういない。お前にとっては酷な話だが、上手く付き合ってくれ」という返答がきたことがある。
故に、この問題においてエプサがとれる行動は『リヒターの部隊以外の調査師隊が来てくれることを祈る』しかないのだ。今回はものの見事にお祈りが届かずリヒターが調査しに来たために、エプサは真顔の下で内心『あぁ無情、神は何故私にこのような仕打ちをなさるのだろう』と彼女にしては珍しく嘆いていたが。
そんな内心とは裏腹に無表情かつただただ棒立ちで突っ立っているエプサに、リヒターの部下の一人がとことこ近づいてきて簡易調査結果を魔法で記録した石──通称『調査石』を渡してきた。
「シスター・エプサ、簡易調査結果です。ご確認ください」
「えぇ、ありがとうございます」
エプサが渡された石に魔力──教会風に言えば神力を通すと、石から光が放たれて調査結果が空中に現れた。
曰く、体液に毒性なし。魔力残滓から判断するに、異界に存在しているケルベロスそのものではなくそう見えるだけのただの一般的使い魔。故に特別な処理は必要なし。
空間移動用の特殊な魔法陣を移動した形跡があり、その魔法陣の構築に使用された魔力は教会に登録された魔法使いのものではないとのこと。わかりきっていたことではあるが、どうやら此度の不届き物は魔法使いを管理・監視している教会の目から逃れて隠れ潜んで悪事を成している存在ということだ。ちなみにヴィーラはあんな軽薄な態度ながらも律儀に教会に魔力を登録しているので、もしもなにかしでかしたら即座に教会にバレてかなり手痛いペナルティ…最悪処刑を受けることになっている。その代わりにエプサ達『対魔聖者』からの討滅は免除してもらう、というのが魔力登録における契約であった。
「…相変わらず役に立つか役に立たないか微妙なラインの調査結果ですね」
「ははは…でも簡易調査でここまでわかっただけでも実は凄いんですよ? リヒター隊長抜き、僕らヒラだけで簡易調査したらこれの三分の一も情報が出せないんですから」
「あれで本当に腕はいいんですよね、あの人…」
苦笑を浮かべ続ける調査師部隊のヒラ隊員を真っ向から見つめて苦々しい表情を浮かべるエプサだったが、やがてエプサは長くて重い溜息を吐いた後に調査結果を宙から消すと、ぽんとヒラ隊員の肩に手を置いてずいとそのやたらと綺麗な顔を近づけた。
一瞬ヒラ隊員はえっと驚きながらもまんざらでもなさそうな表情を見せたが、しかしその期待とは裏腹にエプサは。
「…これからも腕を磨き、できるだけ早くにリヒターと同等の力量と立場になってくださいね。本っ当に、心の底から、期待していますよ。頑張ってくださいね」
心の底からのエールという名の願望をヒラ隊員に強い目力と圧力、そしてこのヒラ隊員がこの先社会的・身体的に生き残れますようにという心からの祈りとともに押し付ける。
一応世間的に見れば美人と言える部類のエプサが男に顔を近づければ大なり小なり意識してしまうものではあるが、しかし目力と圧を醸し出した状態でそんなことをすれば誰だって恐怖を感じるもの。
ヒラ隊員もまた例外ではなく、エプサのその言葉に引きつった笑みを浮かべて「が、がんばります…」とだけ告げるとそそくさと離れて拠点で本格的な調査をするために死骸を運びだしている同僚たちと合流していってしまった。
やはり願望が出すぎてしまったかなーとその場で一人反省するエプサだったが、そんな彼女の後方の宙から気配がしたので気を引き締めて首をほんの少しだけ動かしてちらりと確認してみたところ、そこには宙に立つヴィーラの姿があった。彼女はエプサが自分の存在に気づいたことを察すると、にんまりと笑いふわりと地上に降り立った。
「おっす、相変わらず棒立ちしてんな。こっちからの調査結果はもうもらったか?」
「えぇ、ちょうど先ほど。こちらに来た、ということはそちらの処理は終わったと考えても?」
「まぁそんなところだ、後で向こうにも掃除屋送っといてくれ。…んで? こっちの調査結果は?」
ヴィーラに促され、エプサはかなり面倒くさそうにため息を吐きながら調査石に再び魔力を通す。再び現れた調査結果をヴィーラは覗き込み、最後まで読み込むと──呆れというか憐れみというか、様々な感情を混ぜ合わせたなんとも形容しがたいかなり微妙な表情を浮かべた。どうやらエプサだけでなくヴィーラにも情報量の多さがお気に召さなかったらしい。
「……んー。別にいいんだけど、欲を言えば中に入ってた魔力の質とか書いてくれたらもっとこっちも動きやすいかもなぁ」
「気持ちは理解できます。が、これはあくまで簡易測定ですから。本調査が終わると詳しいことが出てきますよ」
「にしたってさぁ、もうちょっとさぁ…」
ヴィーラがそう呟き、そしてエプサが同意したまさにその刹那。二人のまさに背後からぞっとするほど冷たい空気と「二人で何をしているかと思えバ、こそこそと我々への陰口でしたカァ…」という極めてねちっこい声が飛んできた。二人がばっと振り返ってみれば、そこには不健康そうな顔色に確かな怒りが感じられる、彼にしてはかなり珍しい満面の笑みのリヒターが立っていた。
「えぇー…っと…」
「フフフ…。人が真面目に働いた仕事内容にケチをつけるとは、ずいぶんいい御身分になったものですネェ…。あぁイエ、魔女もどきやそれとつるんでいる背信者がマナーやらなんやら知っているわけがありませんでしタ。いやぁ私もまだまだですネェ」
「…いやぁ、悪かったよ。ほんとごめん。同意したこいつには後で言っておくから、今回のあたしの失言は見逃してくれると助かるよ」
「こいつ…ッ!」
発言の責任をエプサに押し付けて自分はリヒターの怒りを逃れようとするヴィーラにエプサはすぐに拳を強く握りしめてケンカの体勢に入りかけたが、しかしそうする前にリヒターが再び口を開いたためにエプサは握りしめたその手を振りかぶることはできなかった。このタイミングでリヒターをほったらかしてヴィーラと殴り合いになったが最後、ありとあらゆる意味でろくでもない結末が目に見えているからだ。
「フン…まぁ、魔女もどきと長々と話していて私まで立場が悪くなればこの先やり辛いことこの上ないですシ、今日はそれでヨシとしましょウ」
「リヒターさん? クソ魔女もどきの発言の責任はしっかりとらせてもいいのでは?」
「それより、我々はここで引き揚げるわけなのですガ…。どうせ貴方方は我々の護衛などほったらかしてこの辺りに残って調査をするのデショウ? であれば、極めて業腹ではありますが一つ情報を渡しておきましょウ」
「…っていうと?」
「どうもあの魔獣が通ってきた魔法陣、それほど遠くないところにあるようですヨ? 探してみてはいかがでス?」
リヒターから出てきた新たな情報だったが、告げられた片割れのヴィーラはというと「ほーん、情報ありがとな」と珍しいものを見る目をしながらもテキトーに返事を行い、もう片割れのエプサはというと極めて胡散臭いものを見る目でリヒターに目を向けている。そんな二人の態度を見たリヒターはだからこいつらは嫌いなんだ、とでも言いたげに顔を顰めていた。…ヴィーラに関してはともかく、エプサについては普段リヒターは彼女に嫌味ばっかり言っているのでそんな顔をされても仕方ない部分はあるのでこれについては若干逆恨み気味ではある。
「……なんですかその目ハ。情報はやったんだからとっとと行きなさいヨ」
「や、なんというか…あんたがあたしたちに嫌味もなく情報くれるのも珍しいなって」
「ハンッ、しょうもないことばかり気にしていますネェ…。…とっととこの件を終わらせてほしいだけですヨ。魔獣なんぞが街中を徘徊される日が来る恐れがあるとなれば鳥肌が収まらズ、最悪自害も考えなければならなくなるのでネ」
もしも本当にそんな風になってしまったらということを想像でもしたのか、路頭に転がる虫の死骸でも目にしたかのような嫌悪の表情を見せたリヒター。そんな彼に部下と思しき男が駆け寄ってきて、そして彼から「隊長」と声をかけられると同時にリヒターは二人に背を向けた。どうやら本格的にこの場を離れるらしい。
「マ、せいぜい頑張ってくださ──」
「あ、そういえばなんだかんだで言ってなかったと思うんだけどさ。向こうにもう一つ死骸が転がってんだけど、そっちにはもう誰かやったか? いやまぁちっとやりすぎちって、めぼしいとこあんまないとは思うんだけど…」
ヴィーラのその言葉にリヒターはぴしりと足を止めてゆっくりと振り返ると、その顔には憤怒以外に表現のしようがない表情が張り付いていた。拠点に戻って時間がかかる精密調査を、と思っていたら突如として仕事が出てきたので当然といえば当然である。
そんな彼は、ゆっくりと口を開き──。
「──ヤッパリ、オマエ、キライ。ワタシ、オマエ、イズレ、ケス」
ヴィーラに呪詛を吐き、そして悪鬼が如き表情を浮かべたままリヒターはずるずると部下に引きずられて夜の街に消えていくのだった。
それを見届けた二人は、どちらからともなく視線を合わせると。
「いくらリッヒが優秀ったって、たぶんアレからは得るもんないと思うんだけど…。どうする? とりあえずここで結果待っとくか?」
「いえ、魔法陣を探しに行きましょう。貴方があぁまで言ったということは、大体の場合本当に何も出てこない…つまり時間の無駄ということになりかねませんから」
エプサがそう告げると、ヴィーラはにっと笑って「んじゃあまぁ…とりあえずそういうことになったって伝えとっか」と言ったのち魔力で生成した護衛にも使える伝令カラスをリヒターたちが消えた方角へと飛ばし、「じゃ、行こうぜ」と移動を促したのだった。




