迅雷の騎士と、一秒の闇
成金男爵ガストンの「不幸なサウナ事故」から三日後。 街ではまだ、あの爆発騒ぎが酒場の肴になっていた。 「整備不良だ」「いや、呪いだ」。無責任な噂が飛び交う中、俺たちの日常は変わらず、スラムの湿気の中にあった。
『遺品商会・鴉』のカウンターには、新たなターゲットの写真がピン留めされている。 ガストンとは違う。一目でわかる「武人」の顔つき。 金髪を短く刈り込み、自信に満ちた笑みを浮かべる青年騎士。
「ジェローム・バルダー。王宮騎士団・副団長」
リリアナの声は、ガストンの時よりも低く、冷え切っていた。 彼女の手元には、ボロボロになった刺繍入りのハンカチが握りしめられている。 それは、あの夜死んだ老侍女マーサの遺品だ。
「彼が、実行部隊の指揮官よ。私の馬車を襲い、マーサを……笑いながら斬り捨てた男」
「騎士団のエリート様が、盗賊の真似事か」
「ええ。バルダー家は代々『汚れ仕事』で王家に尽くしてきた家系。彼はその最高傑作と言われているわ」
俺は写真の横に貼られたデータシートに目を落とす。 ガストンが「守り」に特化した臆病者なら、こいつは真逆だ。
【特性:迅雷】 雷属性の魔力を神経に流し込み、反射速度を極限まで高める身体強化魔法。 その反応速度は、放たれた矢を剣で叩き落とすほどだという。
「厄介だな」
俺は愛銃のマガジンに、貴重な弾丸を一発ずつ込めながら呟いた。
「俺の攻撃手段は物理だ。いくら魔力探知されなくても、銃を構え、引き金を引く『動作』を見られたら避けられる可能性がある。雷速の騎士相手じゃな」
「それに、彼は常に『自動防御結界』のペンダントをつけているわ。物理攻撃だろうと、一定の運動エネルギーを超えた物体は自動で弾かれる」
「避ける上に、当たっても弾く、か。……事故に見せかけるのは無理だな」
「ええ。だから今回は『事故』ではなく、明確な『暗殺』を行う」
リリアナが地図を広げた。 王都の中央にある巨大な円形闘技場だ。
「明日の夜、ここで貴族主催の『闘技大会』が開かれるわ。ジェロームは貴賓席で観戦する予定よ。……彼は、奴隷が魔物に喰われるのを見るのが趣味だから」
「悪趣味な野郎だ」
「作戦を伝えるわ。……彼が誇る『迅雷』の反射速度。それはあくまで『視覚』と『聴覚』の情報があってこそ発動するものよ」
「見えなければ避けられない、か」
リリアナは不敵に笑い、闘技場の照明設備の図面を指差した。
「闘技場は、巨大な『光の魔石』による照明で昼間のように明るい。 私が配電室の魔導回路をハッキングして、メインの照明を落とすわ。予備電源が作動するまでの時間は、およそ3秒」
「3秒の完全な闇」
俺はスライドを引く動作をする。
「その闇の中でなら、俺の『調律器』による聴覚と、あんたの『魔眼』によるナビゲートが、奴の反射神経を上回る」
「ええ。……でも、問題は『結界』よ。闇の中で当てても、結界に弾かれたら終わりだわ」
「そこはどうする?」
リリアナはポケットから、小さなガラス瓶を取り出した。中には銀色の粉末が入っている。
「『ミスリルの粉末』よ。魔力を吸収する性質がある。 これを、あなたがウェイターとして彼に近づき、彼のワインか食事に微量だけ混入させるの」
「毒殺か?」
「いいえ、彼は毒耐性のスキルも持っているから死なないわ。 でも、体内に入ったミスリルが、彼自身の魔力循環を一瞬だけ阻害する。……そのノイズで、ペンダントの『自動防御結界』が誤作動を起こして、数秒だけオフになる瞬間を作る」
俺は理解した。 照明が落ちる。 同時に、結界が機能不全を起こす。 その一瞬の隙に、鉛の弾丸を叩き込む。
「……ウェイターの変装。ミスリルの混入。そして停電に合わせた狙撃。……綱渡りだな」
「自信は?」
「愚問だな、ハンドラー」
俺は.45口径の弾丸をチャンバーに送り込み、セーフティをかけた。
「弾を一発使う。……それで確実に、その騎士様の脳天をぶち抜いてやる」
リリアナはマーサのハンカチを胸にしまい、俺を真っ直ぐに見上げた。
「お願い、グレイ。……あの男には、痛みと恐怖を教えてあげて」
「了解。……迅雷よりも速い『死』を届けてやるさ」
俺たちは地図の上で視線を交わす。 ブリーフィングは終了だ。 次は、血と歓声が渦巻くコロシアムが仕事場になる。




