招かれざる葬儀
轟音と共に噴き上がった白煙は、夜空を白く染め上げ、遅れてやってきたサイレンのような警報魔法の音が貴族街の静寂をかき乱した。
「火事だ! 爆発だ!」 「旦那様が中に!」 「水だ! 水魔導師を呼べ!」
屋敷の窓から噴き出す猛烈な蒸気。 パニックに陥った衛兵や使用人たちが、我先にと屋敷の中へ駆け込んでいく。 その混乱の流れに逆らうように、俺は一人、ゆっくりと門の方へ歩いていた。
誰一人として、俺を止めようとする者はいなかった。 彼らの目は燃え上がる屋敷に釘付けで、薄汚れたツナギを着て工具箱を下げた「修理業者」のことなど、風景の一部としか認識していない。
『……ターゲットの生体反応、消失』
喧騒の中、耳元の調律器からリリアナの冷徹な声が響いた。
『死因は熱傷および窒息。……皮肉なものね。彼がつけていた高級な『風の障壁』の指輪、爆発の衝撃波は完璧に防いだみたいよ』
「ほう。優秀な魔導具じゃないか」
俺は皮肉に口角を上げる。
『ええ。おかげで彼は即死できず、蒸し焼きになる最期の瞬間まで意識があったはずよ。物理的な衝撃は防げても、急激な温度変化までは定義されていなかったみたい』
魔法は万能ではない。定義された事象しか防げないプログラムだ。 「攻撃」と認識されない自然現象――ただの熱い空気の前では、数億ゴールドの指輪もガラクタに過ぎない。
「おい、そこをどけ!」
正面から走ってきた騎士団の小隊が、俺に怒鳴りながら横を通り過ぎていく。 俺はぺこりと頭を下げ、道を譲るフリをして、そのまま闇に紛れた。 誰も追ってはこない。 彼らが探しているのは「強大な魔力を持った襲撃者」だ。 まさか、錆びたバルブと緩んだネジが犯人だとは夢にも思うまい。
***
一時間後。 俺はスラムに戻っていた。
ツナギを脱ぎ捨て、オイルで汚れた手を洗う。 いつものシャツとベストに着替え、愛銃の手入れを済ませると、俺は湯を沸かした。
カウンターの奥、薄暗いランプの下で、リリアナは椅子に座り込み、ガストン・モルドの屋敷の見取り図をぼんやりと見つめていた。 その表情は、復讐を遂げた歓喜とも、人を殺した罪悪感とも違う。 ただ、憑き物が落ちたように静かだった。
「……紅茶だ。安物だがな」
俺は湯気の立つカップを彼女の前に置いた。 リリアナはハッとして顔を上げ、カップを両手で包み込む。
「……ありがとう」
彼女は一口すすり、ふぅ、と息を吐いた。
「不思議ね。あんなに憎かった相手が死んだのに、思ったより心が軽くないわ」
「殺しなんてそんなもんだ。達成感なんてのは、三流小説の中だけの話だ」
俺は自分の分のコーヒーを飲みながら、淡々と告げる。
「だがあんたは生き残った。そして、奪われたものを取り返す第一歩を踏み出した。それだけは事実だ」
リリアナはカップの水面を見つめ、やがて小さく笑った。 それは、出会った時の張り詰めた表情とは違う、年相応の、しかしどこか冷ややかな強さを宿した笑みだった。
「ええ、そうね。……ガストンは死んだ。でも、彼はただの『財布』係に過ぎないわ」
彼女の赤い瞳が、壁に貼られた相関図――まだ×印がついていない、より高位のターゲットたちへと向けられる。
「次は、私を陥れた実行部隊の指揮官。……騎士団長の息子よ。彼はガストンとは違う。本物の『武力』を持っているわ」
「魔法剣士か。厄介そうだな」
「自信がない?」
彼女が挑発するように俺を見る。 俺は肩をすくめ、空になったカップを置いた。
「いいや。……むしろ、ようやくこの『銀の筒』の出番が来るかもしれないと思ってな」
俺はホルスターの愛銃を軽く叩く。 小悪党の事故死は終わった。 次からは、本物の戦争だ。
「いいわ、グレイ。存分に踊らせてあげる。……私の最高の『凶器』として」
雨上がりのスラムに、冷たい紅茶の香りと、共犯者たちの静かな誓いが漂っていた。 これが、俺たちの最初の「仕事」の終わり。 そして、国を揺るがす長い夜の始まりだった。




