不運な事故の設計図
嵐が去った翌朝。 スラムの空気は相変わらず湿って重かったが、俺の店『遺品商会・鴉』の中だけは、冷徹なブリーフィング・ルームへと変貌していた。
ガラクタを退けたカウンターの上には、一枚の羊皮紙が広げられている。 それは地図ではない。 リリアナが記憶を頼りに書き起こした、ある屋敷の見取り図だ。 線の太さ、縮尺、壁の厚み。すべてが建築家顔負けの精度で描かれている。彼女の【解析の魔眼】が捉えた情報の正確さが窺える。
「ターゲットは、男爵ガストン・モルド。財務省の記録係にして、裏金作りの天才よ」
リリアナが指差したのは、ふてぶてしい男の似顔絵だった。 彼女は、昨日までの泥だらけのドレスではなく、俺が店の商品から適当に見繕った、サイズの合わないブカブカの作業着を着ている。 だが、その立ち振る舞いだけは、未だ軍師のように凛としていた。
「こいつが、私の横領の証拠を偽造した実行犯。……そして、私を追放した後、私の部屋から宝石を盗み出し、愛人に貢いでいる下劣な豚よ」
「動機としては十分だな」
俺はマグカップに入れた泥のようなコーヒーを啜り、見取り図を指でなぞる。
「で、こいつのセキュリティは?」
「過剰なほどよ」
リリアナが屋敷の外周を指差す。
「屋敷全体に『高感度・魔力感知結界』が張られているわ。ネズミ一匹でも、魔力を持っていれば即座に警報が鳴る」
「俺には関係ないな」
「ええ。あなたは素通りできる。……問題は、物理的な警備と、ガストン本人の装備よ」
彼女はガストンの似顔絵の左手をコン、と叩いた。
「彼が常に身につけている指輪。『風の障壁』の魔導具よ。 矢やナイフ、初級魔法程度の攻撃なら、自動反応して弾き返す。寝ている時も発動するタイプだから、寝込みを襲うのもリスクが高いわ」
「面倒な品だ。……となると、銃を使うか?」
「駄目よ」
リリアナは即答した。
「あなたのその『銀の魔銃』の弾丸は貴重品でしょう? こんな小悪党に使う価値はないわ。それに、派手な音を立てて殺せば、捜査の手が入る。……今回の目的は『事故死』。誰にも気づかれず、静かに消すの」
「プランはあるのか?」
「ええ。これを見て」
彼女が指差したのは、屋敷の地下にあるボイラー室と、一階の浴室だ。
「ガストンは毎晩22時、自慢の『魔石式サウナ』に入るのが日課よ。 私の眼で視たところ、ボイラー室の魔力供給パイプの継ぎ目が、経年劣化で脆くなっているわ。……ここを『少し』いじって、圧力弁を壊せばどうなると思う?」
俺は図面を見て、ニヤリと口角を上げた。 サウナという密室。加熱された魔石。制御を失った冷却水。
「……水蒸気爆発か」
「正解。逃げ場のない個室で、高圧の蒸気に蒸し焼きにされる。 死因は『設備の整備不良による、不幸な事故』。完璧でしょう?」
「悪くない筋書きだ」
俺はコーヒーを飲み干し、立ち上がる。 ターゲットは決まった。手段も決まった。あとは実行するだけだ。
「潜入ルートは? 正面から堂々と入るわけにはいかんぞ」
「そのために、これを用意したわ」
リリアナは作業着のポケットから、二つの銀色のイヤーカフを取り出した。 この世界の住人が皆つけている『調律器』だ。 一つは彼女自身のもの。もう一つは、少しサイズが大きい男性用だ。
「私が夜なべして改造したわ。中身の魔石を抜いて、特製の通信術式を組み込んである。 これを左耳につけて。そうすれば、あなたは『魔力はないけど、調律器をつけている従順な労働者』に見える」
俺は渡された『調律器』を手に取り、左耳に装着した。 ひんやりとした金属の感触。 それを指先でトン、と軽く叩く。
『……テスト、テスト。聞こえる? グレイ』
頭の中に、骨を通してリリアナの声が響いた。 クリアで、ノイズのない声。
俺は無言で、もう一度イヤーカフをトン、と叩く。
「感度は良好ね。……作戦開始は今夜21時。 あなたは『ボイラー設備の点検業者』に変装して潜入。私が外から、屋敷の魔力供給ラインをハッキングしてサポートする」
リリアナは俺を見上げ、その赤い瞳を細めた。
「頼んだわよ、私のパートナー」
「了解。……泥船に乗ったつもりで待っていろ、お嬢様」
俺はハンガーにかけてあった、店の在庫である油汚れのついたツナギと、工具箱を手に取った。 さあ、仕事の時間だ。 魔法使いどもに、物理法則の恐ろしさを教えてやろう。




