硝子の雨と、血塗れのワルツ
ズガアアアアアンッ!!
数トンのクリスタルが床に激突し、爆音と共に舞踏会場が震えた。 飛び散るガラス片。舞い上がる粉塵。 そして、逃げ惑う貴族たちの悲鳴が、優雅なワルツの旋律を「阿鼻叫喚」という名の不協和音へと書き換える。
「きゃあああ!?」 「伏せろ! 破片が飛んでくるぞ!」
混乱の渦中。 砂煙を切り裂いて、銀色の鎧を着た近衛騎士たちが突っ込んできた。
「賊を捕らえろ! 殺しても構わん!」
殺気立った騎士たちの剣が、俺たちに迫る。 俺はリリアナの腰を抱き寄せ、ステップを踏むようにバックした。
「リリアナ、目は?」
「良好よ。……3時方向、騎士が二人。上段斬りと突き!」
俺は視線を向けずに、彼女の言葉通りに動く。 右へ半歩スライド。 風を斬る音が、俺の鼻先をかすめる。 俺はすれ違いざま、突きを出した騎士の手首を掴み、関節を逆方向へねじり上げた。
「ぐっ!?」
「おっと、ダンスの相手には不服だがな」
俺は騎士のバランスを崩し、その身体を盾にするように回転させた。 直後、別の騎士が振り下ろした大剣が、盾にした仲間の鎧にガキン!と食い込む。
「なっ、貴様!?」
「隙だらけだ」
俺は仲間の剣が抜けない騎士の顎を、銃のグリップでカチ上げる。 ゴッ、という鈍い音と共に騎士が白目を剥いて倒れる。 俺はそのまま流れるような動作で、もう一人の騎士の膝裏を蹴り砕いた。
弾丸は使わない。 この程度の「雑魚」には、鉛の無駄遣いだ。
『……2階バルコニー、魔導師団! 詠唱開始、炎属性!』
リリアナの鋭い警告。 見上げれば、バルコニーに陣取った宮廷魔導師たちが、杖を構えていた。 彼らは貴族たちがまだ下にいるにも関わらず、広範囲攻撃を撃とうとしている。
「味方ごとお構いなしか。……狂ってやがる」
「父様の命令よ。『多少の犠牲は構わない』ってね!」
杖の先端に紅蓮の火球が膨れ上がる。 あれが放たれれば、俺たちはもちろん、周囲の貴族たちも消し炭だ。 格闘は届かない距離。
「……なら、消灯時間だ」
俺は愛銃を頭上へ向けた。 狙うのは魔導師ではない。 彼らの頭上に設置された、スプリンクラー代わりの「消火用魔導水槽」だ。
タンッ!
乾いた銃声が一発。 弾丸は水槽の底を正確に撃ち抜いた。 バシャァァァッ!と大量の水がバルコニーに降り注ぐ。
「冷たっ!? 水だ!」 「火が消える! 詠唱中断!」
ずぶ濡れになった魔導師たちが狼狽する。 火属性の魔法は、水濡れと相性が悪い。魔力集中が乱れ、膨れ上がった火球がシュウウ……と情けない音を立てて消滅した。
「ナイスショット、グレイ! ……次は正面、精鋭部隊が来るわ!」
正面の煙が晴れる。 そこには、全身を魔力強化した隊長クラスの騎士たちが、壁のように立ちはだかっていた。 彼らは普通の騎士とは違う。剣に雷や風を纏わせている。
「小賢しい真似を……! 『空白』よ、我ら王宮騎士団の誇りにかけて、ここで八つ裂きにしてくれる!」
隊長が叫び、地面を蹴った。 速い。ジェロームほどではないが、常人の目では追えない速度だ。
だが、俺には最強の「目」がついている。
「右、フェイントから左薙ぎ払い! ……今の彼、右足の甲冑の留め具が緩んでいるわ!」
「了解」
俺は突っ込んでくる隊長の剣を、ギリギリで見切って懐へ飛び込む。 左手で剣の柄を押さえ込み、右手で愛銃の銃口を、彼の「右足」に押し当てた。
ドンッ!
至近距離からの射撃。 弾丸は緩んだ装甲の隙間を抜け、足の甲を粉砕した。
「ぎゃあああッ!?」
隊長がバランスを崩して前のめりに倒れる。 俺はその背中を踏み台にして跳躍し、後続の騎士たちの顔面に回し蹴りを叩き込んだ。
ホールは混沌の戦場と化した。 だが、その中心で俺とリリアナだけが、まるで舞踏会の続きを踊るように、優雅に、そして残酷に敵を排除していく。
魔眼が敵の動きと弱点を読み、俺の身体がそれを実行する。 思考と行動の完全な直結。 二人で一つの「殺戮機械」と化した俺たちを、誰も止めることができない。
やがて、立っている騎士はいなくなった。 床には数十人の騎士が呻き声を上げて転がり、貴族たちは壁際に縮こまって震えている。
硝煙と血の匂いが漂うホール。 俺は乱れた息一つ吐かず、玉座への階段を見上げた。
そこには、未だ無傷の宰相ベルンハルトが、つまらなそうにこちらを見下ろしていた。 隣にいる王太子アルフレッドは腰を抜かし、玉座の影に隠れている。
「……ふん。野良犬にしては、よく躾けられている」
ベルンハルトが、パチパチと乾いた拍手を送った。
「だが、所詮は暴力だ。政治を変えることはできん」
「政治家にしては、随分と野蛮な歓迎会だったな」
俺は銃口を下げたまま、階段を一歩ずつ登る。 リリアナも、ドレスの裾を翻して続く。
「父様。……チェックメイトよ」
リリアナが冷然と言い放つ。
「教会は崩壊し、騎士団は壊滅。貴族たちはあなたの冷酷さを目の当たりにした。 これ以上、どうやって権力を維持するつもり?」
ベルンハルトは、娘の問いに答えず、懐から懐中時計を取り出した。 チクタク、と針の音が響く。
「……時間だ」
彼が呟いた瞬間。 ホールの空気が、ズンッ……と重くなった。 いや、比喩ではない。 物理的に「重力」が増したのだ。
「ぐっ……!?」
俺は膝をつきそうになり、床に片手をついて耐えた。 リリアナが小さな悲鳴を上げてしゃがみ込む。 身体が鉛のように重い。呼吸が苦しい。
「これは……重力魔法……?」
リリアナが顔を歪めて解析する。
「いいえ、違う。これは魔法じゃない。……アーティファクトの力?」
ベルンハルトが、手にした懐中時計を掲げた。 その時計からは、どす黒い波動が波紋のように広がっている。
「古代遺物【星落としの時計】。……指定した空間の重力を自在に操る、国宝級の代物だ」
ベルンハルトは冷酷な笑みを浮かべ、重力に押し潰されて這いつくばる俺たちを見下ろした。
「魔力を持たぬ貴様でも、物理法則からは逃れられまい? 魔法障壁なら弾丸ですり抜けられるかもしれんが……自らの体重で骨が砕ける痛みは、どうしようもあるまい」
ミシミシと骨が軋む音がする。 俺は歯を食いしばり、顔を上げた。 銃を持ち上げようとするが、鉄塊のように重い。
「……くそッ、とんだ隠し玉だ」
「終わりだ、リリアナ。そして『空白』」
ベルンハルトが、落ちていた騎士の剣を拾い上げ、ゆっくりと俺たちに歩み寄ってくる。
「貴様らは、ここで『賊として処刑』される。 歴史書には、私の正義だけが残るのだ」
剣先が、リリアナの喉元に向けられる。 絶対絶命の重圧。 だが、俺はまだ、引き金の感触を手放してはいなかった。
「……リリアナ」 俺は重力に逆らい、絞り出すような声で呼ぶ。
「あと一発……撃てるか?」
「ええ……」
彼女もまた、諦めてはいなかった。 その赤い瞳が、ベルンハルトの手元――あの忌々しい時計の一点を睨みつけている。
「……3秒後に、時計の防護フィールドが一瞬だけ揺らぐわ。 座標、仰角30度。……外さないで」
俺はニヤリと笑い、全身の筋肉を軋ませて銃口を上げた。
「ハンドラーの命令だ。……死んでも外すかよ」
重力地獄の底で、最後の反撃の秒読みが始まる。




