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空白の弾丸  作者: と゚わん


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13/21

聖なる荷物と、晩鐘の逃走路

肩に食い込む木箱の重さは、およそ50キログラム。 中身は伝説の聖具ではない。国の象徴である「聖女」だ。 だが、俺にとってはただの有機的な荷物に過ぎない。


俺は資材搬入用の薄暗い回廊を、一定のペースで歩いていた。 早すぎれば怪しまれる。遅すぎればミサの異変に気づかれる。「重い荷物を運ぶ、疲れた下働き」のリズムで歩く。これがプロの歩法だ。


『……グレイ、急いで』


調律器越しのリリアナの声が焦りを帯びる。


『予定時刻を過ぎたわ。聖女が入場しないことで、大聖堂の空気がざわつき始めている。あと2分もすれば、誰かが控え室の様子を見に行くはずよ』

「2分あれば十分だ。……出口はどうなってる?」

『裏門に荷馬車を用意してあるわ。御者は買収済み。……でも、ゲートに「番犬」がいる』


俺は回廊の角を曲がり、裏門への出口が見える位置で足を止めた。 石造りのゲートの前には、豪奢な法衣を着た聖騎士ではなく、ボロ布を纏った赤黒い影――異端審問官が一人、鼻をヒクつかせながら立っていた。


あいつらは魔法使いだが、薬物強化された聴覚と嗅覚で索敵を行う。 魔法的なステルスは通用しても、俺のような「物理的な存在」は見逃さない。


『……迂回する?』

「いや、時間がない。正面突破する」


俺は木箱を担ぎ直すと、わざと足音を荒くしてゲートへと歩み寄った。


「おい、そこをどけ」


俺は不機嫌な声を出し、審問官の前で立ち止まらずに通過しようとする。 審問官が素早く反応し、節くれだった手で俺の行く手を遮った。 濁った眼球が俺を睨みつける。


「……待て。その箱はなんだ」

「見ればわかるだろう。儀式で使う祭具の空箱だ。邪魔だから倉庫へ戻せと枢機卿に言いつけられたんだよ」

「空箱……?」


審問官が鼻を鳴らす。 まずいな。中身入り(50kg)の重量感は、見た目では誤魔化せても、床のきしみ音までは消せないか。 さらに、審問官が箱に顔を近づけ、大きく息を吸い込んだ。


「……臭うぞ」


男の表情が変わる。


「薬品の臭い……。それに、甘い雌の匂いもする」


俺が聖女を眠らせるのに使った気化麻酔薬と、聖女自身の残り香だ。 審問官の手が、懐の短剣へと伸びる。


「……開けろ。中を改める」

「ふざけるな。これは神聖な……」

「開けろと言っている!」


男が殺気を放ち、周囲の空気が張り詰める。 俺は溜息をつくフリをして、箱をゆっくりと地面に下ろした。 右手が、修道服の下にあるホルスターへと伸びる。 ここで撃つか? いや、銃声は決定的な合図になる。まだ早すぎる。


『グレイ、耳を塞いで!』


リリアナの叫び声が響いた。


『3、2、1……今!』


俺は反射的に両手で耳を覆い、口を開けた。 その直後。


ゴオォォォォォォン!!!


頭上で、世界を揺らすような爆音が炸裂した。 大聖堂の鐘楼にある巨大な鐘が、定刻でもないのに乱れ打ちを始めたのだ。


「ぐ、あああああッ!?」


審問官が悲鳴を上げ、両手で耳を押さえて地面に転げ回った。 薬物で異常発達した聴覚を持つ彼らにとって、至近距離での鐘の音は、脳を直接殴られるような激痛だ。


「……ナイスタイミングだ、ハンドラー」


俺は耳鳴りに顔をしかめながらも、素早く箱を担ぎ上げた。 のたうち回る審問官の脇をすり抜け、ゲートを突破する。 裏門の外には、みすぼらしい幌付きの荷馬車が一台待っていた。 俺は荷台に箱を放り込み、自分も飛び乗る。


「出せ! 急げ!」


御者台に座っていた男(スラムの顔なじみ)が、鞭を振るう。 馬がいななき、車輪が石畳を削って走り出す。


その背後で、大聖堂の中から怒号のような悲鳴が上がり始めた。 「聖女様がいない!」「控え室の騎士が倒れているぞ!」 鐘の音と人々のパニックが混ざり合い、カオスが完成する。


『……ふぅ、ギリギリね』


リリアナの声が、安堵と興奮で上ずっている。


『鐘の制御魔導盤をハッキングして暴走させたわ。これであいつらの耳はしばらく使い物にならない。追手への目くらましには十分よ』


「派手な目くらましだ。……おかげで俺まで頭がガンガンする」


俺は幌の隙間から後方を確認する。 大聖堂の裏門から、数人の騎士が飛び出してくるのが見えたが、どの方向へ逃げたかわからず右往左往している。 馬車はすでに大通りを抜け、入り組んだスラム街の迷路へと消えようとしていた。


俺は木箱の空気穴を確認し、軽く叩いた。 中からは、規則正しい寝息が聞こえる。 国の象徴、数万人の信仰の対象。それが今、薄汚れた荷馬車でドナドナと運ばれている。


「……さて」


俺は修道服のフードを脱ぎ捨て、いつものシャツの襟を正した。


「店に帰ったら、忙しくなるぞ。 この『お姫様』が目を覚ましたら、俺たちの尋問(ティータイム)の始まりだ」


馬車は夕闇の路地裏へと滑り込んでいく。 史上最悪の誘拐犯たちが、獲物を巣へ持ち帰る瞬間だった。

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