揺らぐ王座と、見えざる断頭台
王都の夜は、あの日以来、変わってしまった。 以前まで聞こえていた貴族たちの享楽的な笑い声は消え、代わりに不気味なほどの静寂と、過剰なまでの警備兵の足音が石畳を支配している。
「迅雷」の騎士ジェローム・バルダーの死。 その衝撃は、単なる要人の死という事実を超え、「恐怖」という名の伝染病となって王宮を蝕んでいた。
***
王城、大会議室。 重苦しい空気の中、円卓を囲む権力者たちの顔色は一様に青ざめていた。
「……魔力の痕跡は、ゼロだと?」
低い声で唸ったのは、宰相――そしてリリアナの実父である、公爵ベルンハルト・フォン・アイスドルフだ。 冷徹な政治家として知られる彼も、眉間の皺を隠せないでいる。
「は、はい。宮廷魔導師団が総出でコロシアムを捜査しましたが……残留魔力はおろか、呪いの形跡すらありませんでした」
報告する魔導師長の言葉に、王太子アルフレッドがヒステリックに机を叩く。
「馬鹿な! ジェロームだぞ!? あの『迅雷』が一瞬で、剣も抜けずに殺されたのだぞ! 大魔法使いか、あるいは伝説級の暗殺者の仕業に決まっている!」
アルフレッドの隣には、美しい金髪の少女――聖女ミシャが寄り添い、震える彼の手を握っている。 その光景を、宰相ベルンハルトは冷ややかな目で見つめていた。
(……見えない敵。ガストンの事故死も、ジェロームの変死も、繋がりがあるとしたら……)
宰相の脳裏に、かつて追放した娘の顔が過ぎる。 だが、彼はすぐにその考えを打ち消した。 魔力を持たない無能な娘に、これほどの芸当ができるはずがない。
「……相手は、我々の常識の外にいる」
宰相は立ち上がり、冷酷な決断を下した。
「魔導師団は当てにならん。教会に要請し、『異端審問官』を動かせ」
「なっ!? 審問官だと!? あれは狂犬だぞ!」
「毒には毒だ。……『見えない殺人鬼』を狩るには、鼻の利く獣が必要だ」
***
一方、スラム街の『遺品商会・鴉』。 俺はカウンターで、いつものように愛銃を磨いていた。 リリアナは、王都の地図に新たな情報を書き込んでいる。
「……城はパニック状態よ」
リリアナが、盗聴用の調律器から拾った情報を整理しながら呟く。
「アルフレッド殿下は恐怖で部屋に引きこもり、父様――宰相閣下は、ついに『異端審問官』を呼び寄せたわ」
「異端審問官?」
「教会の裏部隊よ。魔法使いではなく、薬物や拷問、そして『聖遺物』を使った狩りを行う狂信者たち。……厄介な連中が出てきたわね」
俺は手を止め、スライドを戻した。 敵も本気になってきたか。だが、それは俺たちの存在が「脅威」として認識された証拠だ。
「で、次のターゲットは? 宰相か、それとも引きこもりの王子か」
「いいえ」
リリアナは首を振った。 彼女が赤い瞳で見据えたのは、相関図の中心にいる人物――宰相でも王子でもない、可憐な少女の写真だった。
「聖女ミシャ。……彼女を叩く」
意外な人選に、俺は眉をひそめた。
「あの小娘か? ただの王子の飾り物だろう」
「違うわ。ずっと違和感があったの」
リリアナは写真の少女を指で弾いた。
「私の【魔眼】で、昨夜のコロシアムの映像を解析し直したの。……王子や宰相の周りに、奇妙な『桃色の霧』が見える」
「霧?」
「精神干渉系の魔力よ。……恐らく【魅了】のスキル。 アルフレッド殿下が急に私を婚約破棄したのも、父様が異常なほど強引な手に出たのも、すべて彼女が裏で糸を引いている可能性があるわ」
なるほど。 黒幕は権力者ではなく、権力者を操る「アイドル」というわけか。
「だが、精神魔法なら俺には通じないぞ」
「ええ。だからこそ、あなたが天敵なのよ」
リリアナは不敵に笑った。
「彼女は今週末、大聖堂で『鎮魂のミサ』を行うわ。ジェローム卿の死を悼むための、大規模な儀式よ」
「警備は厳重だろうな」
「鉄壁よ。……でも、彼女は『魅了』を広げるために、必ず信者の前に姿を現す。そこを狙うの」
「殺すか?」
「いいえ。彼女が本当に『黒幕』なのか、それとも誰かに利用されているだけなのか……それを確かめる必要があるわ。 だから、今回は暗殺じゃない」
リリアナは地図上の大聖堂を指差した。
「誘拐よ。……大聖堂の厳戒態勢の中から、聖女を盗み出して」
俺は思わず口笛を吹いた。 王城以上に警備の堅い教会総本山から、国の象徴を攫う。 暗殺よりも数段難易度の高いミッションだ。
「……無茶を言う」
「嫌い?」
「いいや」
俺はホルスターに銃を収め、ニヤリと笑った。
「最高の余興だ。……『見えない弾丸』の次は、『見えない怪盗』か。 いいだろう、ハンドラー。その聖女様を、あんたの前に引きずり出してやる」
スラムの夜更け。 次なる獲物は「聖女」。 物理と知略で、魔法の洗脳を解く時が来た。




