雷鳴は静寂に墜ちる
視界が黒く塗りつぶされた瞬間、数万の観衆のどよめきが、まるで波が引くように一瞬だけ止まった。 「演出か?」という戸惑い。 だが、その静寂は俺にとって、永遠にも等しい好機だった。
暗闇の中、俺の感覚は鋭敏に研ぎ澄まされる。 魔力ノイズに邪魔されない聴覚が、周囲の音を立体的に捉える。 カーペットの擦れる音。ドレスの衣擦れ。そして、ターゲットの荒い呼吸音。
『……結界消失』
リリアナの声が脳に響く。 同時に、闇の向こうでジェロームが動いた気配がした。
「なっ……!?」
さすがは「迅雷」の騎士だ。 視覚を奪われた瞬間に、本能で殺気を感じ取ったらしい。 彼は椅子を蹴り倒して飛び退こうとした。 その反応速度は、確かに人間業ではない。雷の魔力で神経を加速させている証拠だ。
だが、遅い。 彼が頼るのは「魔力による防御」と「視覚情報」。 今の彼には、その両方が欠けている。 体内を巡るミスリルの粉末が、彼の最強の鎧である自動防御結界を一瞬だけ無力化し、突然の闇が、回避方向を見失わせていた。
俺の網膜には、消灯直前の彼の位置が焼き付いている。 さらに、彼が椅子を蹴った音で、頭部の移動位置が確定する。
右へ半歩。高さは170センチ。 修正不要。
俺は躊躇なく、トリガーを引き絞った。
――パシュッ。
サプレッサーを通した、乾いた破裂音。 銃口から走るマズルフラッシュが一瞬だけ闇を切り裂き、驚愕に歪んだジェロームの顔をストロボのように照らし出した。
彼は俺を見た。 いや、俺が構える「銀の筒」から放たれた、死の閃光を見たのだろう。 反射神経が働き、彼は避けようとしたはずだ。 だが、音速を超える鉛の弾丸は、神経伝達速度よりも速く、彼の思考を物理的に粉砕した。
バシュッ! 鈍い着弾音。 それは魔法のような派手な爆発音ではない。 肉を裂き、骨を砕き、脳漿を撒き散らす、ただの物理現象の音だ。
「……ガ?」
ジェロームの身体が、操り糸の切れた人形のように崩れ落ちる。 ドサリ、という重い音がカーペットに吸い込まれた。
『……生体反応、消失』
リリアナの声が、死神の宣告を下す。 直後、ブウン!という低い音と共に、闘技場の予備電源が作動した。
赤黒い非常灯の光が、貴賓席を照らし出す。 そこには、眉間から血を流し、虚ろな目を見開いて絶命している「王宮騎士団副団長」の姿があった。 彼の自慢の金髪は赤く染まり、手にはまだ空のワイングラスが握られている。
「……ひッ、ひいぃぃッ!?」
隣にいた貴族の男が、顔に飛んだ血を拭いながら悲鳴を上げた。 それが合図だった。
「きゃあああ! バルダー卿が!」 「暗殺だ! 誰か、誰か!」 「逃げろ! 犯人がいるぞ!」
貴賓席は阿鼻叫喚の坩堝と化した。 我先にと出口へ殺到する貴族たち。剣を抜いて怒鳴り散らす護衛の騎士たち。 その混乱の渦中で、俺は素早くカービン・キットから銃本体を外し、懐のホルスターへ戻した。 キットの残骸は、テーブルクロスの下へ放り込む。
そして俺は、恐怖に震える給仕の一人として、悲鳴を上げながら出口へ向かう人の波に紛れ込んだ。
「ひどい! なんてことだ!」
俺は口元を押さえ、怯えた演技をしながら廊下を走る。 すれ違う衛兵たちは、血相を変えて貴賓席へ突入していく。 誰も、逆方向へ逃げる「ただの給仕」になど目もくれない。 彼らが探しているのは、強大な魔力を持った暗殺者か、魔法の痕跡だ。 現場に残された「鉛の欠片」の意味を理解できる者など、この世界にはいない。
コロシアムの裏口から外へ出ると、夜風が火照った頬を撫でた。 俺は路地裏に入り、給仕のジャケットを脱ぎ捨て、予め隠しておいた地味なコートを羽織る。 耳元の調律器を叩く。
「……状況は?」
『完璧よ、グレイ』
リリアナの声は震えていたが、それは恐怖ではなく、押し殺した歓喜の震えだった。
『ジェロームは即死。……あの「迅雷」が、剣を抜くことすらできずに逝ったわ』
「言っただろう。雷光よりも、俺の弾丸の方が速いと」
俺は喧騒に包まれるコロシアムを背に、闇に紛れて歩き出した。 手には、確かな反動の余韻が残っている。
『……ありがとう』
通信越しに、小さく鼻をすする音が聞こえた。
『これで、マーサも浮かばれるわ』
「感傷に浸るのは後だ、ハンドラー。騒ぎが大きくなる前にずらかるぞ」
俺は冷たく返したが、口元には微かな笑みが浮かんでいたかもしれない。 弾丸残数、20発。 代償は安くないが、効果は劇的だ。 この一夜で、王国中の「魔法への信仰」にひびが入るだろう。
最強の騎士が、魔力も痕跡も残さず、一瞬で殺されたのだから。 「空白」の恐怖が、いよいよ表舞台へと広がっていく。




