挿話:キャバ24時~リラの場合~
私はリラ。ベテラン。店じゃ“気が利くタイプ”“小悪魔”って言われることが多い。
《キャバ24時》で十年以上、笑って、飲ませて、見送ってきた。
それでいい。誰かの夜が少し軽くなればいい――それだけで、私の居場所は出来ると思ってた。
休憩明け、胸の奥がまだ温かいままの私に、ボーイが声をかける。 「リラ、次のお席」
通路を歩く数歩の間に、私はもう“仕事の顔”に切り替わるはずだった。
でも、見た瞬間、切り替わらなかった。
背の高さ、肩の線、目の動き。……あ、これ、私のタイプだ。
胸の奥で、長年の“勘”じゃない音が鳴る。
やめとけ、って声と、今日はいいでしょ、って声が、同時にした。
「こんばんは。リラです」
目が合ったとき、相手のまばたきが一拍遅れた。
それだけで分かる。――この人、私を“ちゃんと見てる”。
それが、嬉しかった。
話は不思議なくらい噛み合った。 音楽の話、港町の癖、失敗の笑い方。
相手は、私の言い方や間をよく褒めた。
「話してて、楽しい」 「距離感が、ちょうどいい」
胸の奥が、少しだけ浮く。
――今日の私、いい。
“仕事としてうまい”んじゃなくて、“人として選ばれてる”気がした。
その瞬間、私は“線”を半歩だけ越えた。
小悪魔って呼ばれる理由は、落とすことじゃない。
相手に「自分が選んでいる」と思わせること。
目線を少し長く置く。
笑う前に、間を作る。
触れたい気持ちを、触れない理由に変える。
「今触ったら、たぶん……帰れなくなりますよ?」
そう言って、触れない。相手が息を飲む音が、ちゃんと聞こえた。
呼吸が、だんだん私の間に合ってくる。
――落ちてる。
そう思ったとき、胸の奥が熱くなった。
それが“仕事の手応え”なのか、“私の欲”なのか、もう分からなかった。
相手が言う。
「君、ずるいね」
「……こういうとこが、面倒って言われるんです」
自分で言って、少しだけ笑った。
退勤が近い。私は迷わず、言った。
「このあと、どうです? アフター」
相手は少し考えて、笑った。
「いいよ。でも……今夜限りで」
胸が、きゅっと鳴った。
でも、私は頷いた。
「それでいいです。……たぶん、今日の私、長居すると良くないから」
その顔は、きっと“平気な顔”だった。
平気な顔は、私の一番得意な顔だ。
外の空気は、夜の港の匂い。
歩いて、飲んで、話して、笑って。
店より少しだけ、本音に近い話もした。
「仕事じゃなかったら、どうしてました?」
相手が聞く。
「……たぶん、もっと面倒な女してました」
そう言った自分が、少しだけ怖かった。
楽しい。 でも同時に、どこかで思ってる。
――これ、終わるやつだ。
嬉しいまま終わってほしい自分と、終わったあとを計算してる自分が、同時にいた。
別れ際、相手は言った。
「君、いい女だね」
胸が鳴る。
「でもさ……“恋人”には、向いてない気がする」
リラは一度、何も言えない。
でも、少し間を置いて、こう返す。
「……じゃあさ」
「“今は”向いてないってことで、いいです?」
相手が少し笑う。
「ずるい言い方するね」
「仕事、辞めたら変わるの?」
「辞めなくても、変わるかもしれないでしょ」
沈黙。
それから相手が言う。
「じゃあ、次は“仕事じゃない顔”で会おうか」
「一回だけな」
リラは、ちょっとだけ遅れて頷く。
「一回で、足りるかは……そのとき考えます」
まだ何も始まってない。
でも、“終わったまま”でもなくなった。
小悪魔のままじゃ、誰の人生にも居座れない。
でも――
小悪魔をやめると決めた夜から、
人生は、たぶん動き出す。




