狂気と愛の境界線~届かない一歩~
夜姫が最後の一撃を放つ瞬間。
しらゆきが二本の指で軽く受け止めた。
「……ここまでです」
夜姫は肩で息をし、拳を震わせる。
汗が床へ滴ったその時――
光粒の揺れが一瞬、変わった。
しらゆきが頭を垂れる。
「お嬢様」
振り返った先には、
扉にもたれかかって佇むお嬢様の姿。
「ふふ。いいわね」
夜姫の胸が跳ねる。
気配すら察知できなかった自分に歯噛みする――
だが。
「狂気ぎりぎりの愛。
……とても綺麗よ、夜姫」
その声は優しく、
けれど背筋を刺すほど真っ直ぐだった。
何かを満足したように、
お嬢様は踵を返して歩き出す。
「先に戻るわ。二人とも、後でね」
その背が闇に溶けるまで、
夜姫はただ見つめることしかできなかった。
――見られていた。
――全部見られていた。
拳を握りしめたまま、
夜姫は静かに目を閉じる。
(愛が届いている?
違うわ……あの方は、全部“見抜いてる”だけ)
(触れられる距離にいながら
一歩届かない距離)
(その一歩を、私はまだ越えられないのよ)
胸の奥が、焼けるように痛い。
「……綺麗、なんて。
そんな言葉で、終わるはずがない」
夜姫は再び拳を握った。
(私は、お嬢様に“必要とされる愛”になる)
(狂気でも、嫉妬でも、何でもいい。
あの方の心を揺らす唯一に――私はなる)
黄金の瞳が炎を灯す。
その光を、しらゆきは黙って見つめていた。
無表情の奥に、微かな評価と――
同じく過激な独占欲が潜むまま。
「立ってください、夜姫様」
しらゆきの声は、いつも以上に冷たく、熱かった。
「“必要とされる愛”を示すのなら――
まだ終わりではありません」
夜姫は顔を上げる。
「……当たり前よ」
声はかすれても、折れていない。
光粒が舞い、再び戦場が形を成す。
影のない場所で、影の女は立ち上がる。
愛の距離はまだ一歩。
だからこそ、越える価値がある。




