影は疾く、愛は密やかに
クレーロの執務室。
机いっぱいに広げられた鉄道計画書と、黒い帳簿。
「新幹線――人と富が流れる新たな動脈。
だが、それを狙う腫瘍が紛れ込んでやがる」
彼は一枚の契約書を指で弾いた。
そこに記された企業名は――闇市場残党の隠れ蓑。
「胃が痛ぇな。
せっかくお嬢様が夢を走らせようとしてるのに」
クレーロは立ち上がり、転移魔術の封札を握る。
「……報告しねえと」
◆
本館サロン。
お嬢様は紅茶を口元へ運んだところだった。
「どうしたの、クレーロ?」
「例の鉄道計画……
裏から触ってる奴らがいます」
お嬢様の瞳が細くなる。
その瞬間――彼女の影がわずかに揺れた。
「つまり、“邪魔な虫”が湧いたのね」
影から一歩、夜姫が姿を現す。
「報告、拝聴しました」
しらゆきが少し肩を跳ねさせる。
(また勝手に潜んでいたのだ)
「夜姫。
あなたも知っていたのね」
「影は、あなたに害意を向けるものを決して見逃さない」
夜姫はすっと膝をついた。
「命じてください。
この闇――私が、斬り落とします」
「夜姫、単独で動くつもり?」
「はい。
これは……あなたに拾われた私の、初仕事」
金色の瞳が揺るぎない決意を宿す。
「人も財も未来も。
すべて、あなたを阻むものは許さない」
しらゆきの視線が鋭くなる。
「危険です。情報共有を――」
「光は眩しすぎる」
夜姫は微笑む。
「闇は、独りで動く方がいいこともあるの」
お嬢様は席を立ち、夜姫の前に歩み寄る。
細い顎を指先で掬った。
「危ないじゃない」
囁きは甘く、深く。
「命令よ。
私の心を乱すような真似はしないで」
夜姫の呼吸が止まる。
「……承知」
静かに頭を垂れ、夜姫は闇へ消えた。
影が散る音だけが残る。
◆
クレーロは苦笑しつつ、こめかみを押さえた。
「胃が痛ぇ。
世界も女心も、難易度が高すぎる」
「その痛みは誇りよ」
お嬢様は微笑む。
「あなたの支える世界が、また一つ動くんだもの」
「……光栄です」
窓の外。
夜の街へ、ひとつの影が疾走する。
お嬢様に差す影は、守護の刃。




