しらゆき、外へ。村で生まれた初めての感情
しらゆきの修復が終わって三日。
私はようやく、彼女を連れて外へ出ることにした。
青い空の下、風が丘を吹き抜ける。
村の通りには子どもたちの笑い声と、人々の話し声が混ざる。
「しらゆき。
今日は村の視察よ。ついてきなさい」
「はい、主」
しらゆきは私の少し後ろを歩く。
その姿は、あまりに静かで整然としていて——
初めて外の世界に触れる存在には見えなかった。
しかしその実、彼女は周囲をきょろきょろ見回し、
ひとつひとつを“初めて”として記録していた。
「主。
あれは、何をしているのですか?」
彼女が指した先では、子どもたちが木剣で遊んでいる。
「あれは遊びよ」
「遊び……?
戦いではなく?」
「そう。あれは真剣じゃないわ」
しらゆきはしばらく子どもたちを見つめ、
やがて小さな声で言った。
「……楽しそうです」
私は少し驚いた。
“楽しそう”なんて、感情がない頃は絶対に出てこない言葉だった。
市場に差し掛かると、村人たちが次々にこちらへ挨拶してきた。
「お嬢様、おはようございます!」
「今日も美しい……新しい従者さんですか?」
しらゆきは突然多くの目線を浴びて、
ほんの一瞬だけ戸惑いの色を浮かべた。
(おや……これは緊張?)
私は彼女の横にそっと立ち、軽く背に触れた。
「大丈夫よ。私がいるわ」
しらゆきは小さく頷いた。
その反応があまりに“人間”で、
私は思わず少しだけ胸が温かくなった。
魚商人の店先。
店主が笑って声をかけてきた。
「お嬢様、今日はいい鱒が入ってましてね!
どうです、その美人の従者さんと一緒に——」
「従者ではないわ。
私の……大切な子よ」
店主が固まった。
しらゆきも固まった。
私自身もちょっと固まった。
しらゆきが、かすかに目を瞬かせてこちらを見る。
(……あ)
言ってから気づいた。
私は、普通に“親の顔”で答えていた。
「……主。
私は……“子”なのですか?」
「違うわよ。比喩よ。
あなたはただの従者じゃない、という意味」
「……では、主にとって私は……特別……?」
私は目をそらした。
「あなたは人工精霊の実験機体よ。
特別なのは当然でしょ」
誤魔化すように言ったが、
しらゆきは嬉しそうに視線を伏せた。
(……今の、絶対嬉しがってるわね)
村の外れまで歩いたとき。
突然、馬車が暴走してこちらへ突っ込んできた。
しらゆきは一瞬で私の前に立ち、
腕を広げ——
「危険です、主!」
金属音を響かせながら、
馬車を膝で受け止めて停止させた。
衝撃で砂煙があがる。
「しらゆき!」
私は駆け寄る。
腕にヒビが入っていた。
三日前に直したばかりの腕が、また。
「……あなた、また……!」
叱ろうとしたその瞬間。
しらゆきの顔が、わずかに歪んだ。
「……主を、傷つけようとした……
許せません……」
その声音は冷たく、震えていた。
怒っている。
“怒り”という感情が、
しらゆきの中に確かに生まれていた。
私はしらゆきの腕をそっと持ち、
その額に手を置いた。
「……怒りは、初めてね?」
「……はい。
胸が、熱く……苦しいです」
「それが“怒り”よ」
「あなたは今、またひとつ人間になったの」
しらゆきは静かに瞬きをし——
私の胸にそっと額を寄せた。
「……主。
私は、主を守れたでしょうか?」
「ええ。
十分すぎるほどよ」
しらゆきの瞳がわずかに揺れ、
その中に小さな光が生まれた。
それは、
“生まれたばかりの心”の光だった。




