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その指が、熱を知る

 夜姫が隣に座ると、

 その距離だけで空気が変わった。

 纏わりつく熱、委ねたくなる温度。


「お嬢様。

 その瞳……“昔を見ておられる”のでしょう?」


 唐突な言葉。

 だが、核心だった。


 お嬢様は驚いてはいなかった。

 ただ、視線を少しだけ夜姫へ向ける。


「なぜそう思うの?」


「笑っておられますのに、

 心の奥底が……凪いでいない」


 夜姫は、美しい指先でグラスの縁を滑らせる。

 その仕草は音すら艶めかしい。


「千の夜を越えてきた者の孤独――

 そういう色を、知っております」


 しらゆきの胸核が、かすかに熱を帯びた。

 (……ずいぶんと近い)


 夜姫は続ける。


「だからこそ、

 人は貴女を“魔女”と呼び、

 頼り、恐れ、恋焦がれるのです」


 その声音は甘い毒。

 慰めなのに、支配に似ていた。


「……あなた、言葉が巧いわね」


 お嬢様は、わずかに微笑む。

 しかし夜姫は退かない。


「いえ。これは観察です。

 私は、誰よりも“心”を見たいのです――

 特に、貴女のような方の」


 しらゆきの眉がぴくりと跳ねた。


(心を……触れるな……)

 しらゆきは夜姫を危険対象としてメモリに認識させる。


 夜姫がさらに距離を詰める。

 吐息が音として届く。


「お嬢様。

 心は、閉じたままでは痛むばかり。

 ほどいて差し上げましょうか?」


 妖艶な囁き。


 一瞬、空気が止まった。


 ――だが。


「心を見たいのは、あなた自身ね」


 お嬢様の声は、夜と同じ静けさを纏っていた。


 夜姫の目が、わずかに揺れる。


「強く見せていても。

 本当は怖いのでしょう?

 心を許したら、自分が崩れてしまうのを」


 言い返せない。

 夜姫の胸の奥が、かすかに凍る。


「……どうして……」


「だって、貴方の指が震えているもの」


「!?」


 夜姫はそこで自分の指が震えているのに気づく。


 ――触れたい、触れられない。 


 お嬢様は立ち上がる。

 夜姫の金の瞳を見下ろす角度で。


「私は孤独ではないわ。

 大切な人がいるから」


 しらゆきの手が、そっとお嬢様の手を包む。

 夜姫はその仕草を目に焼きつけた。


「夜姫。

 あなたは綺麗よ。

 でも――もっと美しくなれる」


「……それは」


「心を預けられる相手が、いつかできたなら」


 夜姫の喉が、小さく震えた。


(……言わせないでください。

 今、揺れている自分を)


 お嬢様は振り返らず、歩き出す。


「素敵な夜をありがとう。

 また来るわ」


「……お待ちしております」


 完璧な礼。

 けれど、その瞳も震えていた。


 


 夜店の灯りよりも、

 魔女の残した言葉の方が――

 夜姫の心を熱く、そして苦しく焦がした。

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