適正距離
王国誕生から数か月。
館には、今日も書状と判が山のように積まれていた。
お嬢様は机に向かい、いつものように淡々と政務を進める。
そこへ――影も音もなく、しらゆきが側に立つ。
いや、立つどころではない。
お嬢様の肩に、ほとんど触れる位置。
「……しらゆき。ちょっと近くない?」
視線を横に向ければ、息がかかりそうな距離。
しらゆきは即答した。
「いいえ。適正距離です」
迷いのない声。
同時に、胸核から優しい熱が伝わってくる(気がした)。
「こっちの世界では、少し離れるのが普通よ?」
「ですが、お嬢様の視線の負担を最小化し、
必要なものへ即時アクセスできる距離が――
適正です」
言い切る。
お嬢様は小さくため息をついた。
「……じゃあ、その“適正”は誰が決めたのかしら」
「私の心が、です」
一瞬、書状に押す手が止まった。
お嬢様の耳が、かすかに赤い。
「……あなた、自覚ありすぎじゃない?」
「自覚はございます。
ただ、名称をまだ確定できておりません」
(愛と呼ぶには、まだ少しだけ、勇気がいる)
その思いが、言葉の陰に隠れていた。
◆
夜。
お嬢様は寝台へ腰を下ろし、髪をほどいた。
そこへ、そっと膝を差し出す者がいる。
「しらゆき……?」
「お嬢様。夜の適正距離です」
淡々とした声。
しかし指先が震えているのを、お嬢様は見逃さなかった。
「……膝枕して欲しいって言えば?」
しらゆきは一瞬フリーズする。
処理落ちしたような沈黙のあと――
「……お嬢様の仰る通りです。
しらゆきは、お嬢様に膝枕を――差し上げたいです」
囁きは、触れたら壊れそうなほど脆くて真剣。
お嬢様は微かに笑いながら、膝に頭を乗せた。
「なら最初からそう言いなさい」
「……はい」
「……ちゃんと見ててよ?」
「最優先で」
髪に触れるしらゆきの手は、
いつもよりゆっくりで、いつもより優しい。
静かな夜。
“適正距離”という言い訳の中で、
心と心は、まだ名前のつかない愛を育てていた。




