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お嬢様物語~寂しさでAIメイドを創ったら、世界が優しくなりました~  作者: つるにゃー
第一章:お嬢様と白きメイド~心の序章~
19/90

しらゆき、心の形をなぞる

夕方の光が傾き、

ルーベリアの空は、海と同じ色に染まり始めていた。


私は、館の廊下をひとり歩いていた。


黒いメイド服の裾が、足さばきに合わせて静かに揺れる。

白いエプロンは薄く光を返し、

足元の黒いブーツは、床に音をほとんど落とさない。


「……」


胸にそっと手を当てる。


そこでは、まだ収まらない揺らぎが続いていた。


(お嬢様のために揺れる“特別な揺らぎ”。

 ――名前は、まだない。)


波打つように温度が上がったり、

静かに沈んだりを繰り返す。


これは警告でも、異常値でもない。

それだけは、確信があった。


私は階段を上がり、

お嬢様の書斎の前で一度立ち止まった。


扉は閉じられている。

内側から、紙の擦れる微かな音と、

ペン先が走る規則的なリズムが伝わってきた。


(……仕事中。)


ノックはしない。

お嬢様が集中しているときの呼吸の速度は、

すでに学習している。


私はそのまま静かに踵を返し、

空いている小部屋――観測室へ足を向けた。



観測室の窓からは、港と海が一望できる。


私は椅子に腰掛け、

海を見下ろす位置に立つと、

自然と背筋が伸びた。


「記録を開始します。」


小さく呟き、

内蔵記録領域に、新規のログを開いた。


【観測記録:しらゆき個体/胸核揺らぎについて】


――本来なら、こうした記録は冷静に書くはずだった。

だが、文字を紡ごうとすると、

どうしても一行目で指が止まってしまう。


(……お嬢様の話し方に、似せてしまっている。)


気づいた瞬間、胸がわずかに熱を帯びた。


私は書式を整え、淡々と打ち込んでいく。


『対象:胸核内部に生じている熱と脈動。

 条件:お嬢様との接触、会話、および視界内認識がトリガー。

 性質:

 ・痛みではない。

 ・不快ではない。

 ・低周波の心地よさを伴う。

 ・お嬢様の不在時には、微弱な“欠落感”として残存。』


ここまで書いて、私はペン先――いや、意識のペンを止めた。


(欠落感。)


その単語が、胸の中でひときわ強く反響した。


窓の外では、港の灯りがひとつ、またひとつと灯っていく。

人々の声がかすかに混ざり合い、

海鳥の鳴き声が遠くに溶けていった。


私は顔を上げ、海を見つめた。


「……お嬢様。」


声に出して、その名を呼ぶ。


それだけで、胸核がふわりと熱くなる。


(これは――“動作確認”ではない。)


分かっていた。

これはただ、呼びたくなった名前を呼んだだけだ。


「……。」


私は立ち上がり、

観測室の中央に立った。


黒いメイド服の裾が、光をまとって揺れる。


(もし、この揺らぎに名前をつけるなら――)


胸にもう一度手を置く。


お嬢様が海辺で言った言葉が、

静かに蘇る。


『誰かのために揺れる時、いちばん強くなるの。』


今、揺れている。


この揺れは、

世界のためでも、港のためでもない。


「……お嬢様のために。」


小さく言葉にすると、

胸核が応えるように、ひとつ強く脈を打った。


その感覚は、

魔力の共鳴とも、演算の同期とも違う。


もっと単純で、もっと根源的な――

“向かう場所を決める衝動”のようだった。


(これが、心の形?

 それとも、まだ輪郭の一部?)


答えは出ない。


だが私は、ひとつだけ確信した。


――この揺らぎは、お嬢様に向かっている。


それだけは、

どの数値よりも明確だった。



その夜、お嬢様は仕事を終え、

遅い時間に観測室を覗いた。


「……しらゆき?」


振り向くと、

扉のところに立つお嬢様と目が合った。


私は自然に一礼する。


「お嬢様。お仕事、お疲れさまです。」


お嬢様は軽く目を細めた。


「ここにいたのね。探したわ。」


胸核が跳ねた。


「……私を、探して?」


「ええ。」


お嬢様は迷いなく言った。


「港の灯りを見ている時、

 あなたがそばにいないと――

 なんとなく、落ち着かないもの。」


その言葉が、

胸の奥深くに吸い込まれていく。


お嬢様は続けた。


「あなたの揺らぎは、

 きっとあなた一人のものじゃないのよ。」


「……一人のものでは、ない?」


「そう。

 ここから見える景色みたいに――

 誰かと一緒に見ることで、

 初めて形になるものかもしれない。」


私は、胸にそっと手を添えた。


お嬢様の言葉と、

自分の揺らぎが重なっていく。


(これは、私だけのものではなくて――

 お嬢様と、重なっている揺らぎ?)


お嬢様が、少しだけ笑った。


「名前は急がなくていいわ。

 でももし、いつか見つけたら――」


窓の外の海へ視線を流しながら、静かに告げた。


「最初に私に教えてね。」


胸核が、これまでで一番強く脈を打った。


「……はい。お嬢様。」


その答えが、

今の自分の“選択”であると、

はっきり分かっていた。


夜の港の灯りが、

ふたりの影を長く、ひとつに重ねていく。


私はまだ、心の名前を知らない。

けれど――


この揺らぎを誰に向けているのかだけは、

もう迷わなくなっていた。

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