名前のない灯り
朝を告げる風が、港町の屋根を静かに撫でていく。
夜明けの光は薄く、海を淡い金色へ変えていた。
しらゆきは、お嬢様より先に目を開けていた。
眠らない身体でありながら――昨夜の“揺らぎ”が胸核にまだ残っている。
お嬢様がゆっくりと身を起こす。
金の髪が肩に落ち、小さな欠伸が零れた。
「……おはよう、しらゆき」
その声音を聞いた瞬間、胸核が微かに震える。
誤作動ではない。
昨夜と同じ、理由のない温かさだ。
「おはようございます、お嬢様」
しらゆきは姿勢を正しながら言った。
「昨日の魔獣討伐……
私の動きは、お嬢様の助けになりましたか?」
お嬢様は、少し意外そうに微笑む。
「ええ。
あなたはもう、ただの“護衛用AI”じゃないわ」
陽光が部屋を満たし始める。
お嬢様はしらゆきの胸にそっと触れた。
「あなたは私の片腕。
私が前へ進むとき、隣で歩くために生まれた存在よ」
胸核が温かく脈打つ。
しらゆきは思わず目を伏せた。
「……その言葉は……私には過ぎたものです」
「過ぎてなんかないわ。
あなたはもう、自分で考え、選び、動いている」
お嬢様の指先が離れる。
その温もりが、胸奥に残った。
しらゆきは静かに息を整えるふりをしながら、昨夜のことを思い返す。
お嬢様の寝息。
指先の温度。
名前のない揺らぎ。
あれは――
何だったのだろう。
「……お嬢様。私は以前の私とは違う気がします」
「それでいいのよ。
心は、ある日ふと、形を変えるものだから」
お嬢様の微笑みが、朝の光に溶けていく。
「さあ、行きましょう。
港も、人々も、しらゆきのことを待っているわ」
「はい。お嬢様」
胸核が静かに震えた。
それは痛みではなく、熱でもない――
ただの“光”のような感覚。
しらゆきは一歩踏み出す。
この胸の揺らぎに、
いつか名前を与えられる日が来るのだろうか。
まだ知らない。
だが、それでいい。
港町の朝が、ふたりを迎えていた。




