表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/8

終章 紅皇、異国での戴冠

騒乱の夜から幾日か経った夜明けの事。


窓の外はまだ、墨がかった薄闇が広がっており、山の際にだけ白い糸で朝を縫い始めていた。


オウカは格子に指先を添え、遠い山々を眺める。落ち着き払った目のその底にかすかな憂いが灯っている。


 「……王が国を思う事は当然ですよ」


気配が揺れ長身の黒衣の男が音もなくオウカの背後に立つ。

ゼノンだ。


言葉は問いではなく、あやすようだった。


オウカは肩越しに振り返り、目だけで笑う。


 「……見抜くか」


珍しく囁きに近く、幼いようにも老いているようにも聞こえる。

 「諸国は大人しくしておるか、今の政の要たる王太后は未だ健やかか、民は飢えておらぬか…。

戴冠式はまだ済んでおらぬ。

王の不在を好機と見る輩はどの国にも湧く……考えれば夜は短い」


落ちる静けさ。

空が灰色に包まれた薄い水色となる。

そして水平線が白く光り始める。

ゼノンが沈黙を破り、静かに言葉を発した。


 「…陛下。陛下が、彼の国の皇帝である事は、既に明白のはずです」


 “陛下”の呼称に、オウカの睫がかすかに揺れた。


彼はなおも穏やかに続ける。

「貴女は誰よりも王の器を持っています。

人の上に立ち、鼓舞し、支配し、それに倣い全ての人が否応なしに前を向く。

貴方を一度得た神の国に、同時代で他の王を選択する事は到底無理でしょう。

私ですらその類い稀なる力に魅せられました。

我が身は名を受けて以来、死すらもオルテガに捧げることを義務付けられている」


ゼノンが心から幸福そうに笑った。

「ですが――ですが、この心だけは、どうか陛下に忠誠を」


紅の瞳にゆっくりと灯が戻る。

彼の目を正面から覗き込み、その言葉を反芻し、オウカは一瞬、可笑しそうに苦笑した。


 「妙な男よ」


オウカは格子から指を離し踵を返す。

目が爛々と光り唇が結ばれる。

ゼノンが恭しく肩に赤地に金の刺繍の入った衣をかけた。


 「……征くぞ」



城門が大きく開く。


 角笛が鳴り響き太鼓が石畳を震わせる。

旗が冷たい朝の空気を裂き、槍の切先は整列し一斉に揺れる。


両脇の人垣は黒い海のようだ。

全ての人の吐く息はまだ白く、祈りの囁きと完成が街路を渡る。


 列の中腹、小柄な影が一際目を引く。


オウカの足取りは一本の線のように真っ直ぐだった。


人垣の渦の前線で少年が目に涙を浮かべている。

まだ幼い。

行く鎧の背に手を伸ばしかけ、引っ込める。

父は振り返らない。


少年は堪え切れず涙を流し、弾けるように人垣の隙間から飛び出した。


 「聖女さま!お父さんを……お父さんを救って!」


周囲の空気が一瞬、張りつめる。

オウカは歩を止め、少年の前に暗く影を落とした。紅の瞳が涙で濡れた大きな瞳をまっすぐ受け止める。


オウカは黙って手を伸ばしちいさなその身体を抱き上げた。

東から射す陽へ、少年を高く、高く、掲げる。


 「――よかろう!」


 澄んだ声が城壁を越え、朝の空に広がる。


 「我はこの国と人の未来を救おう!

 その代わり君はここで自らと母を守れ!

 我は約束を違えぬ!」


少年は涙を拭き、小さな手をぎゅっと握りしめ、大きく頷いた。


歓声で周囲の音が消える。

人々の熱気が、熱狂が、波紋のように広がっていく。

兵の背が伸び、槍の角度がわずかに揃い、行進の足音が強く響く。


 オウカは少年を母の腕に返す。

母は言葉を持たないまま深く頭を垂れ、少年は涙をこらえた。


列が再び動き出す。鉄の音が高らかに響く。

オウカの横のゼノンが歩調を崩さず囁く。


 「この国の民も、すでに貴女の民ですね」


 オウカは鼻で笑う。


 「…ふん。まあ、そうかもしれぬな」


日が高くなる。赤と金の衣が揺れ、金の細工を透かし石畳に斜めの光を描いた。

人々の視線が一身に注ぎ、熱さがひとつの流れになって街路を満たす。

小柄な影はその列で陽を戴いて歩む。


 ――その朝、彼らは見た。


少女の華奢な体躯の影に王を。

黒髪に反射し光り輝く白い輪に、冠を。


 ――紅皇、異国での戴冠。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ