第二章 薙ぎ祓え
オウカが睥睨し低く呟いた。
「魔物が多い国境に明日出陣する」
夕刻の議会室は大臣達が肩を並べ聖女らしからぬオウカに恐れ慄く。
「……しかし、軍を動かすには少なくとも半月かかります」
「…教団に医務官の依頼をせねば…」
「……明日というのは流石に…」
ガンッッッ
剣の鞘尻が強く床を打ち鳴らした。
室内が静まり返る。
オウカの声が地鳴りのように轟く。
「……臆病者どもが。
民を救うために我を呼んだはず。
今も民の悲鳴がどこかであるかも知れぬというのに」
静寂が続く。
尚もオウカが言い募った。
「最低限でよい。軍と医務官を」
「私が責任を取ります故」
ゼノンが応える。
「今から騎士団に私から交渉しましょう」
俯いていたジャックが顔を上げて強く言い切った。
「…いや、全て私が責任を負う。陛下達にも説明しておく。王宮魔法使い達にも陛下から口添えを貰うので心配はいらない」
ブランシュがにんまりと笑った口の端を神官服の長い白の袖で隠す。
「私が教団に向かい医務官のシスター達は手配しますわ。糧と薬も備蓄から出せるかと思いますし、問題ございませんよ」
討伐準備は夜更けまで続いた。
◆
国境の森は魔物の巣窟となっていた。
湿った土、古い血の名残があちらこちらにある。
王都より魔法により転移し国境付近の村を越え、最低限の小隊を連れてオウカ達は魔物討伐に来ていた。
「来るぞ!」
木を裂く黒い影が蠢いてくる。
棘と骨に覆われた獣が群れを成しぐにゃぐにゃと岩場から噴き出している。
勢いの強い獣達に騎士達の盾が歪む。
魔法使い達は上から降ってきた昆虫系の魔物の攻撃で詠唱が続けられず悲鳴を上げた。
隊列は穴が出来き攻撃の手が緩まる。
「下がるな、俺が前へ出る!」
後方にいたジャックが前へと踏み込む。
一頭目の頭を双剣で切り裂き、二頭目の喉を切り裂いた。
――その時
倒れている兵の傍ら、汚れた手が剣の柄をそっと掴んだ。
盗もうとするその手は人間の手だった。倒れる兵がうめき声を上げる。
戦場に現れる物盗りはどこの世界にもいる。
刹那、ジャックの剣が止まった。
「殿下ッッッ!」
低い声が聞こえゼノンが後ろから飛び出て、手首を長い剣で薙ぎ払った。
断末魔に続いて短剣で喉を刺し、黙らせる。
別の怒声が背で聞こえた。
避難の列からはぐれた様子の女が土に膝をつき、粗暴な男に手を押さえつけられ口を塞がれていた。
最悪から赤い絹衣が矢のように跳んだ。
オウカが間合いを詰め、巨大な刃を振るった。男の首が遅れて土に沈み胴は膝から崩れ落ちる。
血溜まりが広がり、女の衣服の裾を赤黒く染めた。
「立て。村の家屋まで走れ。声は決して出さぬよう」
女は唇を嚙み、勢いよく頭を下げて走り出す。
オウカがは振り返り、ジャックをギラギラとした紅蓮の目で射抜く。
瞳に反してオウカは静かに桜色の唇を開いた。
「貴様、皆を犬死にさせるのか?子守りが必要ならば戦にくるでないぞ」
ジャックは歯を食いしばり、剣を握り直した。
◆
隊列が崩れ士気が落ちている。
オウカは術で浮遊し、前へ出る。
「聞け!」
風に一つにまとめた黒髪が波打ち、金色の衣がはためく。
「膝を折るな!声を揃えよ!後陣には民家であるが故に退路はない!」
紅の瞳が残った軍人達を見据える。
「命を賭して国を守ると武具に誓え!」
震えは止まり、動ける者の眼の奥に火が灯る。
「総員、構えェ!」
血を揺るがす声。
騎士も魔法使いも勢いよく剣や杖を掲げた。
「魔法使い達よ、我と共に敵の足を留めよ!」
オウカの左手が宙を駆ける。
魔法使い達も詠唱を始め。地を走る黒い獣の足に、空に浮く巨大な羽虫の羽に、見えない鎖が絡んだ。魔法により土が崩れ沼となり群れが沈む。
「征くぞ!」
オウカが高く高く跳んだ。
空を一度だけ踏み、紅の刃が弧を描き、羽虫の羽がバラバラと落ちる。
一太刀で数十の獣に傷を与え、二太刀で全ての息の根を止めた。
骨の狭間に刺突する。
血が刃の背を滑る間にすでに次の攻撃へ移っていく。
火を纏う剣が蠢く獣を燃やし尽くし、空より降る雷が羽虫を落とす。
「右陣、己が友と剣を合わせ左に祓い給へ!」
剣を振るいながらも短く騎士達に指示を飛ばす。
背後でブランシュが医務官を動かしている。
「負傷者は優先度確認!詠唱を繋いで頂戴、聖力切れは聖水を取りにすぐ戻りなさい!水、早く回して!」
白い袖を翻し指示を飛ばす合間に自らも祈りの詠唱を続ける。
オウカは刃を止めない。
跳躍――刺突
刹那、足首の角度をわずかに変え、すり足で方向を左へ滑らせ倒れた獣の影の奥のもう一頭に向かってぐんっと腕が伸び仕留める。
抜く勢いで、大きく薙ぎ祓う。
群れの勢いは目に見えておさまってゆく。
「――全てを祓え!」
号令が野に稲妻のように走った。
槍が一斉に打ち込まれ、剣が刺し、盾が押し返し、術が幾層にも重なって群れを留める。
恐怖は消えない。だが、戦いの最中、熱いものが胸を満たしていく。
それ程、長くはかからなかった。
森はやがて静まる。
◆
夕刻。
枝の隙間から橙が差し、血と煙の匂いが充満する。
息荒く、誰もが同じ影を見ている。
赤の衣は返り血と泥に濡れそぼり、金の細工を翻し、踵を返す少女。
まだ沈みきらない紅蓮の太陽を背に、渦高く重なる魔物の死体を踏みしめている。
瞳が逆光にもかかわらず爛々と煌めいた。
「…皆の者、よくやった」
大きく歓声が上がった。
◆
「オウカ様。此度は……申し訳なかった」
森の野営地にて、橙色の火の影が顔にかかるジャックが低く言った。
「もう迷わない」
オウカは鼻で笑う。珍しく自嘲気味に囁いた。
「存分に迷えよ、若者。……貴殿の国は、余程平和だったのだな」
その姿があまりに年老いて見え、ジャックは言葉を失い俯く。
同い年じゃないか、と心の中で毒付いた。
ブランシュは外套を羽織り直し、柔らかく息を吐いた。
「後援は問題ございませんわ。明朝、もう一帯を掃討出来ます」
ゼノンは森の縁に目をやり、短く頷く。
「その方が良さそうだ。まだ気配が……」
オウカは遠い闇を見ていた。
兵達の宴の音が遠くに聞こえる、
風が葉を鳴らし、焚き火の匂いに夜の咽せるような濃い木々の香りが混じる。
「……異国でも、草木は変わらぬな」
夜明けは遠く、まだ星々が瞬く。
細波のように草の上を風が渡って夜の冷たさと静けさを伝播させた。
「どの世も弱き者から先に死ぬ――」
その呟きは月だけが聞いていた。