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第一章 血の祝詞

王城の大広間。

弦楽器の音色が響き、暖かい空気が満ちていた。

一部の曇りもなく磨かれた床が天井のシャンデリアの光を返し錫の杯に入るワインが揺れる。

集まった貴族達は関心を扉へ寄せている。


今夜は――召喚された聖女のお披露目の場。


 扉が静かにひらいた。


金の細工が施された薄絹の白い服を纏い、長い黒髪を揺らす、小さな影。

 囁きが浮かんでは沈む。

「……あれが」

「聖堂は一体何を…」

「…子供じゃないか」


ざわめきにジャックが眉を寄せる。


「…聖女オウカ。どうか、救国下さりますよう」


少女は王と王妃に儀礼通り杖を賜る。

頭を深くは下げず、周囲を見渡す。

まばらに拍手が響いた。


薄らと少女は微笑んだ。


高らかに音楽が変わり、懇親会の意味を込めた舞踏会に移る。


ジャック、ゼノン、ブランシュがオウカと共にフロアに降り立つと早速囲まれた。


若い伯爵が先陣を切って声をかける。

「聖女様、我が家は開国の昔より――」

「タウンゼン伯爵公。長き奉公、大義です。領地も栄えていると聞き及んでおります」

麗しくオウカは微笑む。

今宵の聖女然とた服装も相まって、周囲から感嘆の声が上がった。


遮られた感覚がないまま、伯爵は自分の言葉が称えられ顔が熱くなる。


次に声をかけてきたのは老侯爵だった。顎を上げ、値踏みするような目で問う。

「聖女とは徳の名代と聞きますが、随分と幼き様子で……聖女様は徳とは何と心得ますかな?」


少女はその声に笑みを深くし、沈黙した。

しんと静まり返る周囲。

侯爵は耐え切れずに頷く。


「……沈黙。たしかに、沈黙は美徳也。これはこれは……幼いなんてとんでもない、聖女様の方が何枚も上手ですな」


輪の外からうっすらと皮肉を含んだ笑いがりん色のように漏れた。

が、紅の瞳に見つめられ、すぐに静まり返る。

ブランシュは内心湧き立つ心を抑え、微笑んだ。


司祭がしわがれた声を張る。

「聖女の祈りの演舞が披露されます」


 視線が中央へ集まる。

 オウカが歩み出て、胸に指を添え、空を掴む。


 ――真っ赤に血塗られた刃が現れる。


 長く巨大な刃。

鞘はなく刃にまだ新鮮な血が残る。

鉄の匂いが香水の香りを押しのけ、広間の空気が一気に冷えた。

どこかで椅子の軋んだ音が聞こえる。


「祝詞を」


 それを合図に太鼓の音が響く。笛や弦が後を追う。


少女は舞う。

床を踏み鳴らす。


袖が翻り、裾が揺れ、金糸細工のきらめきが刃を光らせる。

剣先からつぅっと血が垂れる。


少女の足先が丸く円を描き、剣が円形状に血を飛ばすと、深く膝を沈めた。

黒く濡れたように艶のある髪がぶわっと浮き一瞬で落ちた。

髪に隠れて少女が俯き、目を伏せる。


見ている誰もが、今この瞬間に自分が斬られなかたような感覚に支配されていた。


赤。赤が立ち上がったその胸元から華やかに宙に舞った。


幾千もの真っ赤な花々。牡丹、芍薬、椿――名を与えようとするたびに形を変え、花は少女の胸元から宙へ、上へ。


 刃が水平に走った。


花は音もなく裂け、びしゃっと音を立てて彼女の足元に鮮血の水溜りを作った。

血の水溜りに、さらに重なる赤。


音楽がぴたりと止む。


剣はすでに消えていた。


真っ赤な血溜まりに佇み、手に何かを掲げるように立つ。


まるで、そう、落とした首を持つかのように。


恍惚な表情で誰もがうくしくおそろしい彼女を見ていた。


白の薄絹には一滴の赤もなく金糸を煌めかせた。

手を広げるとそれは神の如く神々しいが、素足は血に浸っている。


司祭が掠れた声を出す。

「……御言葉を」


 少女は胸前で手を重ね、静かに目を伏せた。

「王侯貴族の血は我が血も含め――民のために」


 沈黙が永遠とも思えた。


遠慮がちな拍手が一つ、また一つと増え、そして重なっていく。恐る恐る、やがて割れんばかりに。


最前列の貴婦人は口元を押さえたまま、若き騎士は身震いをし、多くの貴族が空になった杯を落としていた。


「聖女様」

拍手の波を縫いジャックが一歩進み出た。

「……祈りの舞をありがとうございます。どうか――」


ふんとオウカが鼻で笑う。

「血が流れることを示しただけよ」

少女は淡い笑みだけを見せる。

「一滴の血も流さず何も成せぬぞ」


それ以上、彼は何も言えなかった。

ゼノンが音もなく前に出て広間の波をかき分け、

ブランシュがさっと羽織をオウカにかけ、付き添った。

指で侍女を呼び、血の海の始末を指示した。

「これは残して頂戴――夜明けまでは」


少女は踵を返し去った。

歩く度、白く細い素足を染めた血で道が出来た。

扉が閉じる瞬間まで拍手は地鳴りのように鳴り止まなかった。


その夜から城下に小さな噂が回った。

門番が呟き、御者が縄手綱の上で拾い、騎士達から酒場の卓で膨らんでゆく。


「可憐な少女だった」

「血の海に立つ怒れる神のようだった」

「女神に愛された聖女だ」

「恐ろしく魔王のようだった」


夜のあいだに伝播し、明け方にはもう民にも広まった。

 ――恐ろしい、美しい、畏怖される血の聖女。


 朝、広間の壁に血の滴のあとが一滴残っていた。

 赤は、朝の白さに鮮烈に映えた。

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