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序章 紅皇、神殺しの宣誓

詠唱が海鳴りのように神殿を満たす。

白い大理石の床へ彫り込まれた金の術式が脈動し、秘術のための煙は紫に怪しく光る。

神官たちの杖が三たび石を打ち…その瞬間音が凪いだ。


カッと大きな金色の光の柱が術式に火柱の如く立った。

その光はすっと細くなり、小柄な影を見せた。


聖女召喚の儀式。

女神の聖典に倣い文字通り神に縋り神殿が行った秘術により召喚された聖女――


その少女は形の良い小さな顔に、色が抜けるように白く、華奢な体躯をしていた。

濡れた絹糸のような黒髪が幾重も重なり背へ流れる。長く重たい睫毛に縁取られる瞳は燃え盛るような紅。灯に照り返すだけで火種のようにギラギラと色を変える。

纏う衣は上質で重厚な赤と金の布が幾重にも重ねられ、刺繍の大きな龍が上へ昇り爪を光らせ、金糸で編み上げられた帯を長く垂らしていた。


王子ジャックは、胸を指で突かれたように息を呑む。

かわいい――そう思った瞬間、少女と目が合う。

一瞬で感想は自分の中でばらばらの塵になった。鋭く射抜くような目。精巧な人形のような美しさと相反していた。


「聖女――」

神官が口を開いたその瞬間、空気が静かに裂けた。


刃は誰にも見えなかった。

いくつかの白い喉に薄い白線が走り、杖が数本乾いた音を立てて落ちた。

遅れてずるりと果実が滑り落ちるように首が落ちてゆきころころと転がる。

赤色が白を染めていく。

どこから現れ、どこへ消えたか、誰にも見えない。“結果”だけが残った。


悲鳴は起きず、神前で流れた真っ赤な血は、祈りよりも口を封じた。


兵は柄に触れた手を凍らせ、他の神官たちは膝の震えが止まらず、王と王妃は高座の帳の陰で息を呑む。


血の海、その真ん中に、赤に立つ少女――リン 皇華オウカだけが呼吸ひとつ変えなかった。


紅の瞳が細められ、ゆっくりと堂内を一巡する。


「我は神の燐 皇華である。

皇帝となるはずだった佳き日に、理に反し、貴様ら異国の女神に此処へ召喚された。

故に、我は神を殺しそして祖国統一のため帰還する」


朗々と、その少女の声は神殿を震わせた。


「お待ちください!」

緑の衣がぱっと瞬き、ジャックは手を挙げどこにも刃を持たぬことだけを先に示し跪いた。

「聖女様、突然の無礼をお許しください。

私はこの国の王族です!どうかお心を鎮まらせていただけませんか。この状況の説明をさせてください。

そしてここは神殿ですので、血の――その、必要は――」


「殿下」


黒衣の影が、音もなく前へ出る。王子付きの側近ゼノン。

指先のわずかな動きで兵を下げ、王子の声を遮った。

その手際の良さに、少女の口角がかすかに上がった。


「利口だ」


侍従が王命を携え、帳の陰から進み出ようとしたが、ジャックとゼノンの視線がそれを止める。


少女は血の海を厭う様子もなく踏みながら言った。


「手を貸すか否かの前に礼を尽くせ。

――我の私室は城に備え付けよ、寝台は広く、香は伽羅、器は白磁。一刻で整えよ」


従う以外選択肢はなかった。



壁の絹は赤く、調度品は金で統一されている。白磁の器の湯からゆらゆらと湯気が立つ。

香木の香りが絶え間なく香り、少女の身体を煙で覆う。

しばらくして、部屋の呼び鈴が鳴った。


「入れ」


最初に礼装のままのジャックが、続いて黒衣のゼノンが、そして白い神殿服を着た短い金髪のシスター、ブランシュが頭を垂れた。


「まずは先ほどのお詫びを申し上げます。

急ぎ、室内を整えさせました。こちらの女を侍女としますので何なりとお申し付けください。……そして、どうかお話を」

ゼノンが膝を折る。


「我が国程ではないが良いしつらえ。その働きに免じ話を聞こう」

少女は一瞬だけ声色を柔らげ、すぐ戻した。


「我が名は燐 皇華。本来であれば名で呼ぶ事すら死罪ではあるが、聖女という呼び名は嫌気がさす。此の地では皆、オウカと呼ぶがよい」


細い指を宙に走らせ、燐 皇華の字を描く。


「オウカ殿」ゼノンが静かに口を開く。

「まずは殿下――」


言葉を譲られ、ジャックは膝をついた。額が床に落ちるほど深く頭を垂れる。


「私はこの国で王子として生まれた、名はジャック。側近ゼノンともに貴方の庇護者となった。

どうか、どうか……この国を助けてほしい。

国境は魔物に荒らされ、民は飢え、国力が下がっている。ここ最近、隣国からの圧力も強い。父と母も……俺も戦になるのを防ぎたい。そのためにオウカ様のお力添えをと…」


ジャックが顔を上げると、紅の瞳がまっすぐ受け止めた。


「貴殿、王族としては甘すぎるな。

王は、一を斬りても百を救うもの」


少女は視線の先の遠くを見た。


「我が祖母、王太后は幼い我の骨にそう刻んだ。

廷は燻り、士族らは裾を踏み合い、父帝は女に溺れて国を腐らせた。皆が親の自刃や病を待ち、何年も何代も兄妹で殺し合っていたのが我が国」


少女の脳裏に兄妹たちの断末魔と絶望が浮かぶ。


「だが我は全てを、父すらも斬った。

数多の兄の、姉の、そして父の血で布を染め、式服を創り、冠を手にしたのだ。

情は燃やすべきでないものまで燃やす故に、燃やし尽くし全てを闇に消さねばならぬ。

王は民、国のために全てを捨てねばならぬ。

我は全てを捨て祖国の為に生きてきたのだ」


赤い鮮烈な血が飛んだ。

ジャックの頬が薄く切れパッと血が飛ぶ。

誰も動かなかった。

ジャックの頬をかすりオウカの剣がその首元に添えられている。


ゼノンが目を見開き、短剣を探すも、思い直して目を伏せた。

ジャックがわずかに震えながら言い募る。


「私たちは追い詰められていました。

国境は崩れ、他国の圧は増し――安易に聖女召喚に縋ったのは愚かでした。それについては深く謝罪を…だが、だがどうか私を殺してもこの国の臣民のために貴方の刃を貸してほしい」


少女は眉をあげ、動かない三人を舐めるように見た。


そしてふと窓の格子の向こうへ目をやり、耳を澄ました。


見知らぬ街。

煮焚きする竈の匂い、よく通る女子供の声、数多の光の数が民の生活を物語る。


少女の唇が震えた。


「……応えてやろう」


ジャックは深く頭を下げ直し、ゼノンは小さくため息をついた。

剣が納められる。


「ただし」

少女は指を一本立てる。


「我が刃は民のためにのみ振い、貴様らの女神にも貴様ら王侯貴族にも礼は尽くさぬ。

――そして我はこの国の女神とやらを殺す」


ふっとそれまで黙っていた神官ブランシュが微笑んだ。

神官服の白い袖からいくつも書類を出し、卓上に広げた。貴族らの情報、この国の制度、税の流れ…指先が文字をなぞる。


「オウカ様は類い稀なるお方……ですのね!私はオウカ様につきますわ」

 彼女は顔を上げ、静かに言う。

「政としての戦――軍事費の確保、諜報活動、社交。私はその全てにお役に立ちますわ。

オウカ様が前で刃を振るうあいだ、私は身の回りのお世話から治癒はもちろんのこと、必要とあらば誰かの秘密も暴き、陰日向に支えましょう!ああ、とっても楽しそう。どうか、何でも仰って下さいね」


修道女の口から出るには現実的かつどこか軽薄な言葉の数々。

ジャックはぽかんとしている。

ゼノンは短く肩を竦め無言で「知っていた」と表した。


 少女は紅の瞳を細め、値踏みするように見つめた。

「……祈りを唱えるには俗物的な唇だな」


「そうなのですわ」

ブランシュはにっこり笑った。

「聖堂に閉じこもるのは性分に合いませんの。」


その率直さに、少女の口端がわずかに上がる。

「よい。――ブランシュとやら、我にこの国で仕えよ。必要とあらば我にこの国の知識を与えよ」


燐 皇華の瞳に星が見えた。


「……王子。貴殿は我に全て従え。ゆめゆめ忘れるでないぞ」


王子は迷わず頷いた。

その後、彼は勇気を振り絞って口をひらく。

「……さきほど、父を“斬った”と」


少女は視線を戻し、静かにうなずいた。

鮮烈な笑みを口に浮かべ、瞳が紅く瞬いた。

「神国が百二十代皇帝の第十七公子、燐 皇華。

民を虐げる暴虐なる父皇とその皇子並びに逆賊の諸侯将軍を粛清、齢十七にして、王太后より帝位を授かった。その戴冠の佳き日にここへ呼ばれた。――それが我だ」


血の匂い、闇を切り裂くその刃――それらの影が紅の瞳の奥で波立つ。


静まり返った城に紅の灯で少女の影だけが大きく揺れた。

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