第6話:都市の囁き、異界の気配
あれから数週間。俺の望んだ通りの、完璧に平穏な日々が続いていた。
転校生という立場もすっかり薄れ、クラスにも馴染み、友人と馬鹿な話で笑い、退屈な授業をやり過ごす。そんな日常は、かつて俺が夢見た理想そのものだった。
しかし、水面下では、何かが静かに、そして確実に変わり始めていた。
最初は、本当に些細なことだった。
ネットのニュースサイトの片隅に、以前よりも頻繁に「原因不明の空間異常」という記事が載るようになった。最初は関東近郊だけだったその報告は、やがて俺の住む街の名前と共に語られるようになった。
「市内、廃工場地帯でまたもや空間の揺らぎを観測」
そんな見出しが、俺のスマートフォンに表示される頻度が、日に日に増していく。
オカルト系のネット掲示板は、まさにお祭り騒ぎだった。
『〇〇町の裏路地、マジでヤバい。空気がドロっとしてる』
『廃ビルの窓、誰もいないはずなのに人影が見えるって噂』
『これ、もうゲート開いちゃってるだろ』
「くだらない」
俺はそう吐き捨てて、ブラウザを閉じる。だが、心のどこかで、無視できないざわめきが広がっていくのを感じていた。
街を歩いていても、その気配は感じられた。
放課後、いつものように家に直行していると、ふと、空気が澱んでいるように感じることがある。まるで、見えないフィルターが一枚かかったかのような、微かな違和感。
【魔力感知】
俺の意思とは関係なく、体内の微弱な魔力が、アンテナのように周囲の情報を拾ってしまうのだ。
「なんだ? 微かに虫の羽音のような……いや、耳鳴りか?」
それは、前世で感じていた魔力の波動に酷似していた。ごくごく薄く、希釈されてはいるが、本質は同じ。異質なものが、この世界に混じり始めている証左。
「……気のせいだ。俺には関係ない」
俺は必死に自分に言い聞かせる。
そうだ、関係ない。俺はもう賢者じゃない。ただの高校生だ。世界の危機なんて、誰か他の、然るべき人間が対処すればいい。俺の仕事じゃない。
俺の望みは、ただ平穏なだけなのだ。
その小さな願いを、邪魔するものは何であろうと、俺は決して認めない。
そう固く誓いながらも、俺の眉間に刻まれた皺は、なかなか消えてはくれなかった。街に漂う不穏な囁きは、確実に俺の心を蝕み始めていた。