第2話:目覚めは平凡な高校生
ピピピピ、ピピピピ、ピピピ――
無機質な電子音が、鼓膜を規則正しく震わせる。
重い瞼をこじ開けると、見慣れない白い天井が目に飛び込んできた。カーテンの隙間からは、朝の柔らかな光が差し込んでいる。
「……ここは」
体を起こすと、そこは飾り気のない、しかし清潔に整えられた洋室だった。勉強机の上には教科書やノートが積まれ、壁には人気ロックバンドのポスターが貼られている。クローゼットの扉にかけられた制服は、ブレザーにチェック柄のスラックス。見覚えのないデザインだ。
混乱する頭で、記憶の糸をたぐる。
そうだ、俺は……賢者アキトは、魔王を討伐した後、平穏な日常を求めて転生魔法を使ったのだ。黄金の光に包まれ、意識が薄れ……そして、今、ここで目覚めた。
「成功、したのか……?」
恐る恐る、自分の手を見つめる。節くれだった魔導師の手ではない。傷一つない、しなやかな若者の手だ。鏡に映る自分の姿は、黒髪に少し眠たげな目をした、どこにでもいそうな平凡な高校生だった。名前は……そうだ、アキト。奇しくも、前世と同じ響きの名前だ。
次に、俺は最も重要な確認作業に取り掛かった。体内に残る、魔力の残滓。
意識を集中させると、かつては星々を動かすほどの魔力を宿していた炉心が、今や蝋燭の灯火ほどにか弱く、か細く揺らめいているのが感じられた。
「……ははっ」
思わず、乾いた笑いが漏れた。
「ほとんど、残ってないじゃないか」
安堵。心の底から、歓喜が湧き上がってきた。
これなら大丈夫だ。この程度の魔力なら、世界に影響を与えることなど万に一つもない。俺はもう、最強の賢者ではない。ただの、ごく普通の高校生なのだ。
窓の外からは、小鳥のさえずりが聞こえる。階下からは、味噌汁の良い匂いが漂ってきた。
温厚そうな両親。静かな朝。争いも、策略も、死の恐怖もない世界。
俺が、喉から手が出るほど欲しかった「平穏」が、確かにそこにあった。
ピピピピ、ピピピ――
けたたましく鳴り続ける目覚まし時計に、俺は無意識に指を向けた。
「静かに」
【静音化】
次の瞬間、電子音は完全に消え失せた。まるで最初から何も鳴っていなかったかのように。
「あー、朝か。今日は何して遊ぼうかな」
俺はそう呟くと、再びベッドに寝転がった。テレビでも見ようか。
「んー……」
ベッドサイドテーブルに置かれたリモコンが、少し遠い。腕を伸ばすのが面倒だ。
【念動力】
ふわり、とリモコンが宙に浮き、俺の手に吸い寄せられるように収まった。
「よし」
小技中の小技。鉛筆を動かす程度の、初歩的な魔法。これくらいなら、誰にも迷惑はかからないだろう。
俺は手に入れたばかりの平穏を噛みしめながら、新しい一日が始まるのを、ただ静かに待っていた。