1-47.群れの脅威
全ての壁から、亀裂音が一斉に鳴り響いた。
オリーブ色の粘体が地面にボタボタと落下し、核を中心に盛り上がると、騎士の形を成す。
橄欖石の壁は表面が波打ち、壁の内側から這い出るように、手が、顔が浮かび上がる。
エリエラが叫ぶ。
「左! 左の壁です!」
切迫した声に、グエンは反射的に真横を見る。
半透明な壁が一部盛り上がり、表面に小さな凹凸ができていく。
(顔?)
その距離、グエンの鼻先から四〇cmほど。
半透明のオリーブ壁から、顔らしき模様がせり出してきた。
二つの窪みは目、その下のでっぱりが鼻、ぽっかり空いた穴が口のようだ。
その口のような穴が、液体のようにぐにゃりと蠢いた。
顔に追いすがるように体が壁から剥がれると、オリーブ色の人型をした物体、リクセンが壁から両手を広げ、覆いかぶさってくる。
「近いな!」
グエンは右手に構えた軍刀を振り抜こうとしたが、右手側で何かが刃にぶつかった。
何か大きな物が右にいる。
しかし、リクセンが覆いかぶさろうと迫る中、右に振り向く暇はない。
左頬に火焔文様が浮かぶ。
咄嗟に左手で右腰に差した小太刀【鐘岩徹】を引き抜いた。
(小ぶりだが、こいつも重銀製だ!)
小太刀の柄がリクセンの胸を強打する。
衝撃は胸部を貫き、背中へと抜け、橄欖石の破片が背後にはじけ飛んだ。
グエンは即座に身を沈め、入口へ向かい地面を蹴る。
直後、轟音と共に何かが頭上を掠めた。
手を伸ばせば届く距離に、確かに何かがいた。
だが、視線すら動かさず、グエンは二人のもとへ全速で駆ける。
キトの俊足に助けられ、二人は思いのほか距離を稼いでいるが、彼らが照らす灯かりは入口にはまだ遠い。
エリエラが頭上を見上げ、足を止めてキトの手を引いた。
「キトさん! 止まって!」
「うわっ! い、いっぱい降ってきた!」
急停止するキトの目前に、スライム状の橄欖石が無数に降り注ぐ。
萌芽するように蠢き、床の橄欖石を栄養にリクセンたちが生えていく。
キトが開いた口から驚きの声を発するよりも早く、後方から迫る紅い残像が駆け抜けた。キトの頬を熱気が撫でると、残像は赤い残光を引き、床から壁へ、壁から床へと目まぐるしく跳んだ。残像の軌跡を追い、紅蓮に輝く弧月が無数に瞬く。
闇を切り裂くグエンの斬撃が、形を成さんとするリクセンをことごとく割り、断ち切ってしまった。
「グ、グエンさん!」
「おう、お先に失礼してるぜ」
二人の前に立ったグエンは、焔の衣を纏い、軽い口調で笑った。
クリアブルーの刀身は黄色に燃え、緋色の波紋が波打っている。
壁から降り注ぐ音は止んでいない。
再び炎が迸る。
斬撃と共に、三体、四体と瞬く間に破壊されるペリドットリクセン。
この間もオリーブ色の塊が降り注いでいた。
(キリがないな!)
グエンは入口へ視線を向ける。
頼りない光源では入口は見えず、橄欖の間には深い闇があるだけだった。
「入口はまだ先だ! 出るまで止まらず一気に駆け抜けろ! 後ろは俺が守る!」
「う、うん!」
「はい!」
頷いた2人は左手の隙間へ走り出す。
傍で立ち上がったリクセンナイトが、橄欖石のサーベルをエリエラに突き出した。
「そんなナマクラで!」
紅蓮の刃に弾かれるサーベル。
オリーブ色に透き通った切っ先が、エリエラの走り去った虚空を貫いた。
頭上から大きな影が落ちる。
闇に炎の尾を残し、グエンは数歩飛び退いた。
巨大な岩石の崩落を思わせる衝撃が、橄欖石の床を貫く。
グエンの纏う炎だけでは、落下してきた物体が大きすぎて全体は照らせない。小屋のように大きな橄欖石の、輪郭の一部だけが見えていた。
「どうせ引くほどでかいんだろ? 嫌な予感がするから、逃げさせてもらうぜ」
グエンは踵を返し、入口へ走る。
左腕に炎を掴み、無造作に回廊へ投げ捨てた。
炎の渦が迸り、闇を焼き払う。
闇に包まれて見えていなかった通路が姿を現し、遥か先を走る二人の背が見えた。
橄欖石の床では、降り注いだ無数のリクセンが萌芽を終え、騎士型、雑に人間を模した大型と、すでにそれぞれの形を成している。そのすべてがグエンに背を向けていた。
床だけではなく、壁からもリクセンが体をくねらせ生えている。
(くっ、何だこの数は。俺一人だけなら、この空間を爆破して一網打尽にできるんだが。守りながらぶっ倒すってのは、なかなか難しいもんだ!)
背から炎を浴びたリクセンたちが一斉に振り返る。
グエンが吠えた。
「その程度の数で俺とやろうってのか? 次はもっとお友達を集めておけよ!」
左頬の火焔文様が紅蓮から橙、白色へと輝きを増す。
呼応するように、濡焔の刀身が白熱した。
「おおおおおお!」
裂帛の気合と共に、煌めく白刃が迸る。
橄欖石の間を、白焔の弧月が乱舞する。
闇の中に灯った赤熱する断面が、夥しい量に増えていく。
リクセンは暴風の如く駆け抜けるグエンへ、橄欖石のサーベルを、槍を、そして拳を振るう。だが、縦横無尽に刃を振るうグエンを捉えることはできない。
バジュッと濡れた音を立て、橄欖石の体ごと碧銀核が瞬く間に溶断されていく。
まるで、熱したナイフでバターを撫でるように。
眩い刀身が、橄欖の間を照らし続けた。
通路の奥で、沈黙していた巨大な物体が動き出す。
それは十メートルを超す巨人の如きリクセンナイトだった。
群れをかき分け、撥ね飛ばしながら猛然と迫り来る。
「はあ、はあ……ふう。予想通りのデカブツだ。こういう手合いは瞬殺に限る」
事も無げに言い捨てたグエンは、息を整え、壁に生えたリクセンを足場に駆け上がる。
大型リクセンナイトは、瞬く間に接近していた。
グエンよりも大きな橄欖石の両手斧を持ち、高々と振り上げる。
巨人の兜、顎部分が横に割れ、鋼船の汽笛の如き咆哮が轟いた。
咆哮は振動波を生み、巨人の傍にある宝石の壁に亀裂を生じさせるが――
「ボォッ!……フォオォォォ」
巨大な首に白く輝く筋がすっと描かれ、咆哮はそよ風のように弱まる。
グエンが壁を蹴り、巨人の首を掻き斬ると、その肩に立っていた。
深々と切られた首が折れ、兜型の頭部が落下する。
溶断された橄欖石の首から、空気の抜けた音が漏れた。
グエンは軍刀を振り下ろす。
首無し巨人の胸元は切り開かれ、甲冑の奥、碧銀核が露になった。
「フォオオオォォォ……」
「ちっ! でかいだけあって分厚いな! 核まで届かねえか!」
人の頭ほどもある核は無傷だ。
グエンは肩に乗ったまま、胸部の碧銀核に狙いを定めて軍刀を突き刺す。
大木の如き腕が盾となり、白焔の刃を遮った。
腕に深々と突き刺さった刃は、碧銀核に切っ先が触れた所で白焔を失う。
直視するのが難しいほど煌めいていた光刃は、白さを失い、紅蓮に燃えていた。
「止めはお預けか」
グエンは巨人の腕から軍刀を引き抜く。
膝から崩れる巨人の膝が、地に落ちた兜型の頭部を弾いた。
二〇〇kgを超える橄欖石の巨大な頭部が、弾丸のように一直線に飛ぶ。
向かう先には、入口へ向かって走るキトとエリエラの光があった。
「まずい!」




