0-4.ゴカ村市街地②
住宅街の中央を貫く見通しのいい道路を走り、一台のモービルが接近してくる。
空気を震わせる重い排気音。
速度をゆるめ、ゆっくりと近づく漆黒のモービル。その車両は二人の傍に停車した。
コテツは目の前に現れたモービルにくぎ付けだ。
「新型グランディア! 大排気量の化け物モービル! かっけえええ……!」
モービルとは、フロントのタイヤが二本ある大型のバイクだ。通常のバイクとは違い、前輪のタイヤも駆動可能で高い走破性と安定性を誇る。
コテツはグランディアに目を奪われつつも、道路の脇に駐車している自分のモービルを横目で一瞥した。それは、コテツの所属するユニオンで使用されている車両だが、オフロードを想定した軽量かつ小型な車体、砂と泥に汚れ、コテツの抱く理想とは程遠かった。
『モービルは、大型以外ダサい』というのがコテツの持論だ。
大型モービルの運転手は、コテツと同じ隊員服を着ていた。
カンカラ社長は、フルフェイスヘルメット姿の運転種に、右手上げて挨拶を交わす。
「おう、悪いな」
運転手はヘルメットのバイザーを開けた。
「全然、オレもちょうど設備の相談とかしたかったから、むしろちょうどよかったです」
運転手が幼馴染の青年ユーゴであることに気づき、コテツが声をあげた。
「え! なんでユーゴがグランディアに乗ってんだよ! ずるいだろ! 俺のだぞそれ!」
「アホか! わしんだ!」
的外れなコテツの主張に、カンカラ社長は両手を腰に当て、すっかり呆れ顔だ。
ユーゴは二人の顔を見ると、ヘルメットを外し、頭を振って顔に張り付いた髪を振り払う。ユーゴの柔らかな栗毛の髪が軽やかに舞い、額から頬にかけて自然に流れた。彼の目元は涼し気で、熱を帯びたコテツの眼光とは対照的だった。唇は薄く、輪郭もどこか中性さを感じさせる。
ユーゴはコテツの顔を見てから、片方の口角を上げて笑う。
「なるほど? コテツ君はまた、その純朴さを披露していたわけだ。プライベートでならいいんだけど、任務中ではいかがなものかな?」
ユーゴは頬にかかった栗色の髪をかき上げる。
「……朝っぱらから嫌味だなお前。あと、その女子的さらさらヘアが妙に腹立つ」
「いやいや、コテツの顔を見たら、つい。これも挨拶、悪気はないさ。ただ、綺麗系イケメンで優秀なのは、申し訳ないと思う」
コテツは眉間に深い皺を寄せ、ユーゴを睨みあげる。
「イケメンで優秀だあ? こんの、なんかあれだ! ……否定はしねえけどよ!」
「ぷっ、素直だなあ」
笑うユーゴと、怒るコテツ。
カンカラ社長は、コテツを横目でみつつため息を吐く。
「まあ、ユーゴの言い方もアレだが、言いたいことはわかる。コテツ、少しは普通の社会人らしくしろ。ガキのままじゃ、ユニオン隊員も務まらんだろうが」
コテツは、カンカラ社長の言う意味がわからないとばかりに肩をすくませる。
「だから~、こいつを毎日一万回! やってるんですって!」
コテツは歩道で真剣を手に、再び素振りを始める。ユーゴは鼻で笑った。
「まだそんな重い鉄の塊を振り回してるのかい? ボンナイフにしなって。ユニオンから支給されて、こっちはタダなんだしさ。性能も良いし」
ユーゴはベルトに固定されているボルト・オン・ナイフの柄を叩いて見せた。
ボンナイフと呼ばれているこの武器だが、刃渡りはコテツの刀と変わらない長さがある。
「ボンナイフなってご免だぜ。だいたいなんでナイフだよ。ダガーならまだしも。そもそも、男なら刀だろ! このコテツ刀で皆を守る! ユニオン隊員ってのはこうでなくちゃ!」
満足げに刀の波紋を眺めるコテツに、ユーゴは大きなため息をつく。
「刀に自分の名前をつけられる感性は驚嘆に値するけどさ……。ボンナイフは、軽くて鋭く、刃が欠けたら鞘内の刃をすぐに再装填可能。こんなに優れたツールをわざわざ使わないなんて、なんでさ?」
「はあ? カッターじゃあるまいし……ユーゴ、お前は何も知らないんだな。教えてやるよ」
コテツ、刀の腹をユーゴに見せる。
「この反りと波紋、かっけえだろ?」
「ん、悪いとは思わないさ」
「カッコよさってのは、つまり、ロマンだ。鋼の塊、ロマンの塊で皆を守る! これだぜ!」
ユーゴは片方の眉を跳ね上げると、髪の毛をかき上げ、わざとらしく腰に手を当てた。
「で、ローン? 給料が足りなくて、ロマンは分割払いじゃなかった?」
「う」
「それはさ、ただのローンの塊。こっちなら、タダ。かつ、ローンの塊と違って錆びない」
「う、いや、刀だぜ? 刀! わかるだろ! このカッコよさ!」
「論理性に欠けているよ、コテツ君」
ユーゴはモービルから降りると、脇に抱えていたヘルメットをハンドルにかける。
「しかもさ、グランディアも欲しいって言ってなかった?」
「そりゃ欲しいだろ! この重厚感、最高だぜ。さらに」
コテツはグランディアを見つめる。
ユーゴという運転手が離れても、グランディアはアイドリング状態のまま、何の支えもなく自立していた。よく見ると、自立制御システムが働き、振動や風の影響を相殺するため、ほんの少しだけ揺れているのがわかる。
「重銀製の最新型アクティブジャイロシステム! 強風でも、人が乗っていても自立可能、コーナーでの姿勢制御も完璧! エンジンのコアブロックも重銀製だってよ!」
「確かに、重銀というマテリアルをふんだんに用いたグランディアは、最先端テクノロジーの塊。いわば、鉄だけでできたその腰の骨董品とは真逆ってことさ。さてコテツ君、そんなグランディアは、さぞお高いんでしょう?」
「ぐう……ご、500万……とか、込み込みで600万くらい……」
「コテツ君の年収は?」
ゆっくりと刀を鞘に納めるコテツの顔を、わざと覗き込んでくるユーゴ。
コテツは目をそらし目をつぶると、苦しそうに声を絞り出す
「ご、500万ギン」
「なんで嘘つくのさ」
「……250万ギン」
「はい、現実~。欲しいと思うだけじゃ、何も手に入りませ~ん」
カンカラ社長が二人の間に割って入る。
「やめろやめろ! さすがにコテツがかわいそうだ!」
笑うユーゴに、肩を落としてあからさまに落ち込むコテツ。
コテツ、うらめしそうにモービルを一瞥してから、車体の傍にしゃがみこむと。
「おやっさ……じゃなくて、社長、なんでわざわざモービルで? しかもこんなやつに運転させて。車で行けばいいのに……」
コテツはグランディアの車体にぺたぺたと触れながら呟く。
カンカラ社長とユーゴはコテツの脇に立ちながら、お互いに目を見合わせた。
ユーゴが先に口を開く。
「出勤前に、社長に出資の相談とかね。ま、出世すると色んな仕事があるのさ」
「わしの方は簡単だ。こいつで行くとガキどもが喜ぶんだよ。コテツみたいにな」
カンカラ社長、言い終わるとモービルのハンドルをにぎり、一気にスロットルを開ける。
唸る鼓動音は重く、腹の底から響いた。
しゃがんでいたコテツが飛び上がる。
「ぬああ! くうう! いいなあ! 欲しいなあグランディア! 高いけどさあああ」
「お前にゃまだ早い。もう少し貫禄が出たら譲ってやるよ」
譲るという言葉に、コテツはカンカラ社長の目の前まで一足飛びで迫った。
「え! ほんとに! 社長! 来年くらいには!」
「ぐぁっはっはっは! あと20~30年立てばこいつに釣り合う男になるかもな!」
絶望的に長い年月だ。
コテツは地面に膝をつき、|項垂れた。
「遅すぎるよー!」
「はあ、いいなあコテツはさ」
「なにが?」
「あれが欲しいこれがやりたいって、ヒーローに憧れる子供みたいにはしゃげて。ほんと、羨ましい限りさ」
コテツはユーゴの顔を見上げると、グランディアを親指で指す。
「グランディア買えばいいだろ。……ユーゴなら、買えちゃうんだろお?」
「ま、これくらいなら。一括で」
「はあ? 一括ってなに? 一回で払うって意味の一括ぅ? う、羨ましくそがー!」
「ぷっ、うらやましくそってなにさ。ま、オレはこういうのに興味ないけどさ」
コテツは膝をついたまま、すがるようにモービルへ接近していたが、ユーゴの言葉に静止する。
「……グランディアを欲しがらない男なんてこの世にいるのかよ……? なら、お前は何が欲しいんだ?」
「欲しいもの?」
「そ、欲しいもの」
ユーゴはコテツの目を見つめてしばらく考えた。
「……またカンカラ社長の子供に戻りたい、とか」
「はあ?」
「ぐあっはっはっは! ユーゴはもう立派なトウリカ家の跡取りだ。かの名家様から、養子縁組の礼がいまだに届くぐらいだ。しかも、ほれ、ユーゴ。お前、昇進だろ?」
「さすが地獄耳のカンカラ社長。でも、まだ内示の段階なんで」
カンカラ社長の思わぬ言葉に、ユーゴは驚き、唇の前で人差し指を立てて見せた。
「おっと、すまんすまん。がっはっはっは!」
上機嫌のカンカラ社長の横で、ユーゴは寂しげな表情を浮かべた。
「ま、これくらいじゃ養父は認めてくれないんで、もっと頑張らないと」
「おう、その意気だ! わしも鼻が高いぞ!」
コテツにとっては、あまり面白くない会話だった。立ち上がり、口を尖らせる。
「格差を感じるぜ。俺と同い年で、小隊長のさらに昇進って、何になるんだよ? まさか、もう中隊長とか言うなよ? 10年早いぜ?」
「ま、それは、すぐにわかるさ」
「くっそー!」
ユーゴは横目で、モービルのパネルを見ると、時刻を確認した。
「社長、もうそろそろ行かないと、孤児院に寄れないですよ。あと、コテツも交代だろ」
「お、もうそんな時間か」
ユーゴにうながされ、コテツも腕時計で時刻を確認すると、道端に止めた自分のモービルを見て眉間に皺を寄せる。
「……カンカラ社長、こっから反対方向の孤児院に寄ってから会社いくんすね。社長業で忙しいんだから、わざわざ自分で行かなくてもいいんじゃ?」
「ああ? あのなあ、知らねえのかコテツ?」
ユーゴが運転席にまたがり、カンカラ社長は後ろに乗る。
「なにをですか?」
「慈善や人助けってのはな、娯楽だ。快感だぞ? しかも役に立つ。だから直接行くんだよ」
「ええ? 娯楽で、快感? 役に立つ……? そんな理由でしてるんですか?」
「コテツよぉ、綺麗ごとだけで腹が膨れるか? 家も家族も飯もないガキに、路上で慈善についての青空教室してなにが変わる? 腹いっぱいになるか? 夜ぐっすりと、安心安全な屋根の下で眠れるか? んなこたあないだろ! だからわしは金を稼いでガキを助け、感謝され、ちやほやされ、ゴカ村の名士様になる! ほうれ、ガキ共も安心安眠すくすく育ち、わしは満足、うまく回っとるだろ! ぐあはははは!」
ヘルメットを小脇に抱えて、カンカラ社長大笑い。
「すごいようなすごくないような」
呆れるコテツ、運転席のユーゴは片方の口元だけを上げ鼻で笑う。
「もう少し大人になれば、コテツにも社長の凄さがわかるさ」
「なんだと! ちょっと顔が良くて優秀だからって調子に乗りやがって!」
歯ぎしりするコテツを一瞥し、ユーゴはヘルメットを被る。
「つらくて眠れない夜が、一つでも減る。それはすごいことさ」
「あー……ユーゴの言うことは、たまに難しいんだよなあ」
カンカラ社長もヘルメットを被ると、ユーゴの右肩を叩き、筋肉質で骨太な手を置く。
「さすがユーゴだ。よーくわかっとるな! ぐぁっはっはっは!」
豪快な高笑いを上げるカンカラ社長に、一人の女性が声をかけた。
「あら、社長さん。ご機嫌ですね。おはようございます」
カンカラ社長飛び上がって驚き、瞬時にモービルから飛び降りた。
「ぬあっ! マダムじゃありませんか!」
マダムと呼ばれた女性は、上品なパーマのかかったふわりとした黒髪、朝の清涼な空気に似た水色を基調とし、しなやかな肢体に沿うスポーツウェアを自然に着こなしていた。コテツよりも二十歳以上も年上とは思えないほどに若々しく、本名がわからないという秘匿性も相まって、カンカラ社長の意中の人となっていた。
「マダム! おはようございます!」
カンカラ社長に続いて、ユーゴとコテツも挨拶を交わす。
「おはようございます」
「おはようございまーす。……ぷふっ」
コテツは挨拶をしながら、カンカラ社長の緩み切った顔を見かねて噴き出す。
カンカラ社長は、太い首筋を掻きながら照れ笑いすると、すぐさま降りたばかりのモービルに乗り込んだ。
「ほれほれ! さ、さあ! 今日もはりきってドデカい商談を一つ二つ、いや十はまとめちゃおうかな! それでこそ普通の社長! あいや! 敏腕社長ですからな! なーんつって!」
カンカラ社長はモービルの後部席に座ったまま、上機嫌で何種類ものポージングを取って見せた。
大型モービルは、カンカラ社長が乗って両腕を振りまわし、はしゃぐだけの搭乗スペースがあった。しかし、本革ジャケットの内側に押し込められていたワイシャツの方は筋肉の圧力に負け、ボタンがはじけ飛び、コテツの足元に転がる。
転がるボタンを目で追うコテツ。
「それでは、マダム! わたくし、業務多忙にてご免!」
カンカラ社長のハイテンションぶりに、ユーゴは苦笑いを浮かべ、ハンドルを握った。
丁寧なグリップ操作で、ゆっくりとスロットルを開ける。
重い鼓動音をまき散らすエンジン音とは裏腹な、その滑らかな挙動にコテツは見惚れた。
「あー! コテツ! 言い忘れた!」
コテツは突然の大声に肩をすくませて驚く。
「な、なんすか?」
「カガミがよ! 昼前に護国王広場に来いってよ。用があるらしいぞ!」
会話に合わせて、モービルの速度は亀の歩行のように遅くなる。
「え? 今日? 用ってなんです?」
「そんなもんわしが知るか! 確かに伝えたぞ! じゃあな!」
緩めた速度の礼を兼ねて、ユーゴの肩を叩くカンカラ社長。
野太い排気音をまき散らし、モービルが一気に加速した。
コテツは、あっと言う間に小さくなるモービルの後ろ姿に、感嘆のため息を漏らす。
「はあ、にしてもいい音、ぶっといトルク。グランディアいいなあ。いつか絶対買う!」
「男の子って好きよね、ああいうの」
「え、大人だって好きですよ! ほら、おやっさん……じゃなくて、カンカラ社長だって」
「そうね。それにしても、いつも忙しいのね、カンカラさんは」
「そうなんですよ、いつ寝てるのかもわかんないくらい。声もでかいし、やたら元気です」
コテツは拾い上げたボタンを見て笑う。
マダムもコテツの手のひらを覗くと、千切れた糸が残ったボタンを見て笑った。
「ふふ、そうね、でも、健康のためにはちゃんと休んだ方が良いと思うけれど」
「あ~、マダムから誘えば、あのおっさん喜んでなんでもしますよ。休めと言ったら道路でも寝ると思います」
「そうかしら? そうね、それも面白そう。今度、お茶でも誘ってみようかしら」
「あ、それ絶対に喜ぶやつです。じゃ、俺も仕事に戻ります」
「ええ。あ、今朝も護国王広場まで行くのよね。わたしもこのまま千乗階段を走るから、あとで会うかもしれないわね」
「そっか、マダムのジョギングコースでしたっけ?」
「ええ、あの長さがちょうどいいの。じゃあね」
「はい、また!」
コテツは軽やかに走るマダムの後ろ姿を見送った。
ふと、腰に手を当てた際、スキットルに右手が触れた。
「あ、よく見ると……こんなに凹んだてのか。目立つなあ」
ピカピカのスキットルの表面に、大きく窪んだキズ。
スキットルをベルトのホルダーへ固定すると刀を引き抜き、次は刀身を確認した。
枝を切った痕が汚れとして多少ついているが、刃こぼれ一つない。
「これで刃が欠けてたら泣いてたな……。大事に使おう、いろいろ」
コテツは刀を鞘に納め、ベルトに固定したスキットルを撫でた。