0-30.神代の獣②
遠雷を背に、燃えるトラックの屋根へ立つ、金色の翼獅子。
台地へ流れ込んだ雲はぶ厚い積乱雲となって陽光を塞ぎ、雷鳴を孕んだ。
殺戮の台地から、燻る僅かな希望さえ奪い取るように、雷が轟く。
八枚の翼を広げた翼獅子姫は、四本の獣足でトラックの屋根と荷台へ爪を立て、獣の重みで軋ませながら身を乗せた。
うなだれるように車体前方を覗き込む。
金髪を垂らし、右手をボンネットへ突っ込み、内側をかき回した。
車体が痙攣するように激しく揺れ、切り刻まれた運転席から大量の血液が溢れ出す。
そしてヒルドは、力づくでエンジンを引きずり抜いてしまった。
獅子の背に生えた女は、燃えるエンジンを鷲掴みにしたまま、離れた場所にいるグエンを見つめて笑う。縦に裂けた金色の瞳孔は、2km先にある、共振する蒼氷の刃をしかと捉えていた。
「貴様は最後の一人に選んでやろう。礎の遺物を持つ男よ」
アサルトライフルを構えた8人の兵士が、トラックを囲み口々に叫ぶ。
「う、動くな! 化け物!」
「上官はどこだ! こ、こんなの撃ってもいいだろ!」
「上官たちは運転席にいたはずだ!」
「トラックよりでけえ……あ、あんな怪物がいるなんて聞いてねえよ!」
ヒルドは自身のサーベルがトラックの屋根に刺さっているのを見つけ、つまんで引き抜く。
「この身になっては、サーベルなど小さすぎて握れぬ」
ヒルドは無造作に放り投げた。
兵士の足元に深々と突き刺さる白銀のサーベル。
「ひいい!」
銃を構えたまま後ずさり、よろけた兵士の指が思わず引き金を引く。
銃弾は硬い激突音を立て、金色の翼へ直撃した。
不快な衝撃を受け、ヒルドは左手で金髪を掻き上げると、右手の燃えるエンジンを発砲した兵士へ投げつけた。
「!」
兵士は銃口から目を離し、声を上げる間もなくエンジンに潰される。
オイルと血が白い地面を濡らす。
ヒルドは笑みを浮かべたまま、潰れた兵士を見下ろしていた。
「こ、この化け物がー!」
潰れた仲間を目の当たりにした兵士達が発砲すると、堰を切ったように全員が引き金を引いた。
恐怖にかられた銃弾の雨がヒルドに降り注ぐ。
戦姫は銃弾を浴びながらも、舞踏会の壇上を降りるように、軽やかな足取りでトラックから舞い降りた。
直後、トラックの火が燃料タンクに引火し爆発する。
ヒルドは舞い降りざま、広げた自らの翼から羽根を引き抜き、そのまま金色の羽根を双剣の如く振るう。
瞬く間だった。
鎌で刈られる稲穂のように、兵士たちの体は力なくたわみ、両断されていく。
四足獣の爪が地面をえぐり縦横無尽に駆け、構えた銃剣ごと兵士の頭を割ったとき、残る兵士はあと一人になっていた。
燃料とオイル、鉄の匂いが濃い絶望となって充満していく最中、戦姫はまるで庭園の薔薇を愛でるかのように、たおやかに歩を進める。
鋼鉄製の牽引式榴弾砲の横に立ち、牽引車両ごと砲身を断ち切ると、右手に握る羽根を地面に突き刺した。
破壊の獣は最後の兵士の前に歩み寄り、真っ赤な舌で唇をなめずる。
絶望の淵に落ちた兵士は、唇が震え目の焦点は合わず、うわずるだけの人形だった。
「おお俺は食い殺されるんだ。そんな死に方嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……」
男の首を掴み、ヒルドは無造作に地面から持ち上げる。
短い断末魔と共に、兵士の頸椎は砕けて喉は潰れ、口から濡れた音を漏らして絶命した。
「こうなっては、人の首のほうが、サーベルよりもよほど手に馴染む」
モービルのエンジン音がヒルドの耳に届く。
殺戮の場へ迫り来る一台のモービル。
乗り手は一人しかいない。
翼獅子姫は期待する男の姿を見つけ、残忍な笑みを浮かべた。
「自ら死を賜るは、まさに下民の倣いよな」
ぽつぽつと降り出す雨は、あっと言う間にどしゃぶりへ変わった。
雨に打たれながら、仲間の死体を避けてモービルを走らせるグエン。
遠目にだが、巨躯の獣となった少女が兵士を切り裂いているのが見える。
「これ以上殺させてたまるか!」
死体を避けるたび何度も再加速を繰り返し、後輪が濡れた地面で滑った。
だがその度に前輪のタイヤが即座に駆動を始め、車体は乱れを抑えて直進へ戻る。
ヒルドが、アウルカ兵の死体をこちらへ投げつけるのが見えた。
グエンは慌てて頭を下げ、体を左に傾ける。寸での所で投げつけられた死体を躱した。
「くっ! あの化け物! なんてことしやがる!」
ミラーには後方へ、人形のように転がる兵士の死体が映っていた。
グエンは怒りに任せ、左手でハンドルを殴る。
高速走行の風圧と轟音、肌を刺す雨粒が、エンジン音すら掻き消した。
地鳴りのような乱暴な足音が、グエンの耳へ届く。
金色の翼を広げた戦姫が、真正面から走り来る。
グエンはハンドル部のスイッチを押し、モービルの速度を固定させた。
翼獅子姫を迎え撃つ覚悟を決めた戦士は、走行中の車体に立ち上がり濡焔を抜く。
歯を食いしばり、グエンは殺意に溢れる金色の瞳を睨み、咆哮をあげた。
襲い掛かる翼獅子姫に、爆走するモービルが接触する。
「この命に代えても! お前だけは殺す!」
「さあ聞かせてみよ! 我がエンブラへ抗う小兵の断末魔を!」
振り下ろされた金色の凶刃、宿命に抗う蒼氷の刃が迎え撃つ。
雨は夜まで続いた。
大粒の雨が降り続け、血で染まった台地を執拗に洗い流していった。
死屍累々たる惨状の中で、ひと際大きな影が横たわる。
金の羽根が散らばる血だまりの中、横たわっていたのは首の無い四足獣だった。
その死骸の上に、深紅の着物を着た隻腕の女が立つ。
横一文字の古傷で閉ざされた両目、前頭部には二本の角、そして額には縦に裂けた大きな天眼。
その天眼が、死骸の傍らに膝をつくグエンを見つめていた。
血だまりに流れ込む雨水が、川を目指して流れ、赤い筋を描く。
赤い筋の先には、ヒルドの首が討ち捨てられていた。




