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世界樹の巡り人  作者: 蔵人
第0章 ゴカ殲滅戦
29/88

0-29.神代の獣①

高く澄み渡る青空の下、深い森を裂くように、一本の未舗装路が走っている。

 純白台地へと続くその道を、グエンの駆る大型三輪モービル、グランディアが疾走していた。

 自動車のタイヤよりも太い後輪と、それぞれに駆動エンジンを備えた二本の前輪が、荒れた路面を噛み砕くように踏み抜いていく。


 隊員服のジャケットに重ねた強化樹脂製プロテクターには、深い斬撃痕が幾重にも刻まれていた。

 ところどころ赤く染まるのは、返り血と、そして自身の血。

 2000ccの大型エンジンが唸りを上げ、その重い鼓動が木々の葉を震わせる。


 砂煙を巻き上げ、モービルは道を裂く。

 時折、前輪の間に拳大の石が噛み込み、回転に弾かれてフロントフェンダーを強打する。

 乾いた衝撃音が、森に短く反響した。


 地面には雨水が流れた痕が残り、気まぐれに刻まれた無数の溝が口を開けている。

 それらは石ころと同様、容易く車体を転倒させかねない罠だったが、三輪のモービルは悪路を意に介さず突き進んだ。


 だが――道に点々と横たわる兵士たちの死体は、話が違う。


 グエンは車体を傾け、モービルを左右に振ってスラロームを続ける。

 普段であれば造作もない操作。

 だが全身に刻まれた傷が、それを許さない。

 車体を振るたび、全身を貫く痛みに双眸がわずかに細まった。


 道に転がる兵士は、例外なく青い軍服を着ている。

 青――ユニオンが属するアウルカ軍の色。

 対する敵国、黒い軍服のエンブラ兵の死体は、一つとして見当たらなかった。


「くそ! アシカドからの増援まで全滅してるってのか!」


 必死の回避も及ばず、モービルは避けきれない死体を乗り越えていく。

 転倒を防ぐためハンドルを強く握り、グエンはスロットルをさらに開いた。


 数キロ先。

 グエンの進行方向には、人の侵入を拒むスクアミナ守護山脈が鎮座している。

 剣のように切り立つ標高7000m級の連峰が連なり、外側の人間界と、内側――世界樹を擁する禁足地とを隔て、世界を二分していた。

 その麓、人間界側には隆起した白い岩棚が広大な台地となって広がっている。

 純白の台地は今、戦禍の色を帯び、赤く汚されていた。


 スクアミナ守護山脈の冠雪が陽光を受け、白刃のような冷たさでそびえ立つ。

 上昇気流に乗り、雪トビが一羽、空高く舞い上がり、澄んだ声で鳴いた。


 その声に、空を見上げ、かすかな笑みを浮かべる少女が一人。

 戦姫ヒルド。

 真っ白な肌に、輝く金髪。サファイアの瞳。

 非の打ち所のない端麗な少女の姿と、その出で立ちは、あまりにも噛み合っていなかった。

 黄金の甲冑は返り血で赤く染まり、綿毛のように細く軽い金髪には、べっとりと血が絡みつき、鎧に貼り付いている。


 ヒルドの眼前には、エンブラ兵とアウルカ兵の死体が、見渡す限り地を覆っていた。

 横転する装甲車や、半壊した戦車からは炎と煙が上がっている。

 大半は両軍の激突による被害だろう。

 だが、ヒルドの周囲に倒れるアウルカ兵と車両のほとんどには、サーベルによる傷が刻まれている。

 彼女は微笑を浮かべたまま歩み出し、うつ伏せに倒れた男の傍らで足を止めた。


「血潮に染まる風が頬をなでる。心地よい」


 男は背と脇腹に深い傷を負い、血だまりの中で震えている。

 必死に息を殺し、目を閉じ、神へと祈った。

 ヒルドは、震える体に呼応してわずかに揺れる赤い水面を見下ろし、冷ややかに笑う。


「祈りか、絶望か。力なき様は、どちらも同じことよ」


 白銀のサーベルが振り下ろされた。

 無情の刃が心臓を貫き、男は小さく呻いて事切れる。


「下国の民は根絶やしにせねばならぬ」


 戦姫はサーベルを振るい、血を払い落とすと、再び白い台地へと歩を進めた。

 真白な地面に、赤い足跡が連なっていく。


 広大な台地に、かすかなエンジン音が混じる。

 音を捉え、ヒルドは顔を上げた。

 彼女の位置からおよそ2km先。台地と森の境目を見据える。


 スクアミナ守護山脈とは真逆に広がるその森に、台地へ至る唯一の道がある。

 背後のスクアミナ守護山脈から雲が流れ落ち、ぬるりと台地の空を侵していく。

 森の一本道から、グエンの乗るモービルが飛び出した。

 覆いかかる雲に逆らうように、車体は台地を駆け抜ける。

 まるで高速道を走るかのごとき勢いで、夥しい数の青い軍服の死体を懸命に避けていく。


 ヒルドは、薄く笑みを浮かべながら歩いた。

 死体を避けるグエンとは対照的に、彼女はアウルカ兵の亡骸を蹴り飛ばし、踏み潰し、一直線に進む。


「邪魔であれば、蹴散らせばよいものを」


 猛スピードのまま、モービルは1km、500mとヒルドまでの距離を一気に詰めていく。

 スロットル全開の見事な操縦を続けていたグエンだが、不意に大きな血だまりへ前輪を取られた。

 暴れる車体を必死に抑え込み、グエンは急ブレーキを踏み抜く。

 抗いきれず車体は真横へと滑り、純白の大地に赤いタイヤ痕を刻んだ。

 モービルはヒルドの約20m手前で、ようやく停止する。


 肩を上下させ、荒い呼吸を吐き出しながら、グエンが唸る。


「やっと見つけた。カガミの……皆の仇を……!」


 モービルを降り、グエンは怒りに震える手で胸ポケットから銀の髪飾りを取り出した。

 抑えきれぬ憤怒に揺れる赤い髪は逆立ち、まるで燃え盛る炎のようだ。

 ヒルドは血に濡れた金髪を掻き上げ、冷ややかに笑う。


「下国の民草が、数に任せればエンブラ王家に勝てると思ったか。死を賜るは至極当然であろう」

「黙れ化け物! 芝居がかったその悪態ごと叩き切ってやる!」


 怒号の背後、グエンが駆け抜けてきた森の一本道から、トラックを先頭とした車両群が姿を現す。

 トラックは全長20mほどの砲身を持つ榴弾砲を牽引し、さらに5台のモービルを従えて台地へ進入した。

 牽引式榴弾砲の一団は台地に入るや否や展開し、砲を地面に固定して戦闘準備へと移る。


 目前のグエンと、新たに侵入してきた部隊を一瞥し、ヒルドはどちらにも脅威を見出さなかった。

 笑みを浮かべたまま、彼女は真っすぐグエンを見据え、足元のアウルカ兵の亡骸を蹴り飛ばす。


「千か? 二千か? アウルカより駆けつけた貴様の同胞は何匹死んだ? 貴様が斬った我が兵の何十、何百倍だ? よくも抗ったものだが、エンブラ王家の前では無意味よ」


 ヒルドはアウルカ兵の下に埋もれたエンブラ兵へと視線を落とした。

 すでに息絶えた将校の襟元に、泥にまみれた金色の勲章を見つけ、静かに目を伏せる。


 グエンは黒髪の房を胸元へしまい、腰の刀を引き抜いた。

 アラベスクにも似た銀炎の装飾が施された黒拵えの鞘から、蒼氷のごときクリアブルーの刀身が露わになる。

 刀を高く掲げ、怒気を放つグエン。


「黙れ! お前のせいでカガミは死んで……ユーゴを騙して、皆を……!」


 ゆっくりと開かれたサファイア色の瞳が、グエンの表情を捉え、すっと細められた。

 人の熱を感じさせぬその視線に射抜かれ、グエンの背筋を悪寒が走る。

 思わず刀を構え直す。

 それは理屈ではなく、防衛反応と呼ぶべき動作だった。


 後方のアウルカ軍は、グエンの一挙手一投足を注視していた。

 同じアウルカ側と判断し、砲撃に巻き込まぬよう様子を見ていたのだ。

 接近戦の兆しがないと判断し、牽引式榴弾砲の砲身が火を噴いた。


 轟音とともに放たれた高速の榴弾が、曲線を描きながらグエンの頭上を越え、ヒルドへ迫る。

 砲弾を目で追いながらも、着弾の瞬間までヒルドは笑みを崩さなかった。


 グエンは即座に身を伏せ、モービルの陰へと転がり込む。

 グランディアの車体を盾に身を縮め、爆風をやり過ごした。

 榴弾の衝撃で吹き飛ばされた破片が、次々とモービルに叩きつけられ、重厚な車体に弾かれる。


 轟音と衝撃に包まれる中、グエンは握りしめた濡焔が共振していることに気づいた。

 だが、ヒルドから放たれる異様な違和感の前に、その小さな気づきは容易くかき消される。


 肌に纏わりつく、濃密な悪寒。

 モービルの陰からヒルドを探るが、爆炎が視界を覆い、姿は見えない。

 代わりに、声だけが響いた。


「王の威を解せぬ、痴れ犬どもが」


 言葉が終わるより早く、突風が煙を薙ぎ払った。

 グエンは右腕で目元を覆い、必死に視線を走らせる。


「いない? どこに」


 着弾地点には、何も残っていなかった。

 円形に抉られた地面と、散乱する黄金の甲冑の欠片。

 そこに、ヒルドの姿はない。


 慌てて周囲を見渡した、その瞬間。

 頭上で激しい羽ばたき音が炸裂し、突風に煽られて、180cmを超える筋肉質なグエンの体が軽々と宙へ舞った。

 一瞬の浮遊感の中、グエンの視界を、大きな翼をもつ生物の影が横切る。


「鳥? にしちゃでかすぎる!」


 着地とほぼ同時、背後で地響きを伴う着地音が轟いた。

 共振する濡焔を手に、グエンは反射的に振り返る。


 そこにあったのは、轟音をまき散らし駆ける半人半獣の女の背。

 四本の脚と尾を持つ金色の獅子の体躯から、新雪を思わせる白い肌の女性の上半身が生えている。

 一糸纏わぬ人の背には、金色に輝く八枚の翼。


 背を向けたまま羽ばたき、飛び上がる人外の姿に、グエンは言葉を失った。


「金髪の女……あの化け物女が、本物の化け物になりやがったのか……?」


 右手に握られた濡焔が、甲高い音を立て、微かな振動を止めない。

 何に反応していたのか、グエンはようやく悟った。


「俺の手に負えるもんじゃねえ……なんて言うなよ、ここまで来て……」


 翼を得た戦姫は、文字通り純白台地の空を駆けた。

 神代の獣を顕現する乙女に仇なす愚者を、屠るために。


 ほどなくして、2km先の森の入口に布陣した部隊から、火の手が上がった。

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