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世界樹の巡り人  作者: 蔵人
第0章 ゴカ殲滅戦
29/71

0-29.神代の獣①

 高く澄み渡る青い空の下、深い森を切り裂くように伸びた一本の未舗装路。

 純白台地に続くこの道を、グエンの駆る大型三輪モービル、グランディアが疾走する。

 自動車のタイヤよりも太い後輪と、それぞれに駆動エンジンを搭載した二本の前輪が荒れた未舗装路を力強く踏み抜いていった。


 隊員服のジャケットに重ねた強化樹脂のプロテクターには、深い斬撃痕が無数に刻まれていた。

 所々赤く染まっているのは、返り血と、自身の血だった。

 2000ccの大型エンジンが唸り、鼓動音が木々の葉を揺らす。


 砂煙をあげて疾走するモービル。

 時折、前輪のタイヤの間に拳大の石が挟まり、タイヤの回転で弾かれフロントフェンダーに激突して激しい音を立てる。


 地面は雨水が流れ、幾つもの溝が気まぐれに刻まれている。

 溝は石ころと同様に簡単にモービルを転倒させるが、三輪のモービルは悪路をものともせず走った。


 だが、点々と横たわる兵士達の死体は話が違う。


 グエンは車体を傾け、モービルを右に左にスラロームさせていく。

 普段であればなんということはない操作だが、全身に受けた傷が痛む。

 スラロームするたびに苦痛に顔が歪んだ。


 道に転がる兵士は皆、青い軍服を着ていた。

 青は、ユニオンが属するアウルカ軍の色。

 対する敵国の黒い軍服、エンブラ兵の死体は一つもない。


「くそ! アシカドからの増援まで全滅してるってのか!」


 必死に回避を続けるも、避け切れない死体をモービルが乗り越えていく。

 転倒させまいとハンドルを握り、グエンはスロットルを開けた。


 

 グエンが向かう数キロ先には、人間の侵入を阻むスクアミナ守護山脈が鎮座している。

 山脈は剣のように切り立った標高7000m級の連峰からなり、外側の人間界と、内側である世界樹を擁する禁足地とを隔て、世界を二分していた。

 山脈の麓、人間界側には隆起した白い岩棚が広大な台地となり広がる。

 真っ白な台地は今、戦禍を帯び赤く染められていた。


 スクアミナ守護山脈の冠雪が太陽に輝き、白刃の如く冷たくそびえる。

 上昇気流に乗り空高く舞う雪トビが一羽、空に向かって鳴く。


 空を見上げ、悲し気に鳴く雪トビの声に、笑顔を見せる少女が一人いた。

 戦姫ヒルド。

 真っ白な肌に美しい金髪と、サファイアの瞳。

 非の打ち所の無い端麗な少女には、その出で立ちは似つかわしくなかった。

 黄金の甲冑は返り血で赤く染まり、綿毛のように細く軽い金髪には、べっとりと血が着き鎧に張り付いている。


 ヒルドの眼前には、エンブラ兵とアウルカ兵の死体が見渡す限りの地面を埋め尽くしていた。

 ほとんどが両軍の激突による被害だが、ヒルドの周辺に倒れるアウルカ兵には、ほぼすべてサーベルの傷があった。

 彼女は笑みを浮かべ歩み出すと、うつ伏せに倒れる男の横で足を止めた。


「血潮に染まる風が頬をなでる。心地よい」


 男は背と脇腹に深い傷を負っていた。

 彼は血だまりの中で震え、必死で息を殺すと、目を瞑り神に祈る。

 ヒルドは、震える男の体で微かに揺れる赤い水面を見て、冷ややかに笑う。


「祈りか、絶望か。力なき様は、どちらも同じことよ」


 白銀のサーベルを振り下ろす。

 無情の刃が心臓を貫き、男は小さく呻き絶命する。


「下国の民は根絶やしにせねばならぬ」

 戦姫はサーベルを振るい血を払い落とすと、再び白い台地に歩を進めた。

 真っ白な地面に、赤い足跡が続く。

 広大な台地に、微かに聞こえるエンジン音。

 音を耳にしたヒルドは顔を上げる。

 彼女の位置から2kmほど離れた正面、台地と森の境目を見据えた。


 スクアミナ守護山脈とは真逆にあるその森には、台地へ訪れる唯一の道があった。

 ヒルドの背後に聳えるスクアミナ守護山脈から雲が流れ落ちると、台地の空へぬるりと押し寄せる。

 森の一本道からグエンの乗ったモービルが飛び出すと、空を覆う雲に逆らうように、台地を駆けた。

 まるで高速道を走るような勢いの車体が、夥しい数の青い軍服の死体を懸命に回避していく。

 ヒルドは薄ら笑みを浮かべて歩む。

 死体を避けるグエンとは対照的に、彼女はアウルカ兵の死体を蹴り飛ばし、踏み潰し、一直線に歩を進めた。


「邪魔であれば、蹴散らせばよいものを」


 猛スピードで1km、500mとヒルドまでの距離を縮めていくモービル。

 見事な運転技術でスロット全開のまま走っていたグエンだが、大きな血だまりに前輪を滑らせた。

 暴れる車体を必死に制御しながら、急ブレーキをかけたまま車体は真横に滑る。

 純白の大地に、赤いタイヤ痕を残し、モービルはヒルドの約20m手前で停車した。

 肩で大きく呼吸をし、息を荒げたグエンが唸る。


「やっと見つけた。カガミの……皆の仇を……!」


 モービルから降り、グエンは怒りに震える手で胸ポケットから、銀の髪飾りを取り出す。

 抑えきれない憤怒に揺れる彼の赤い髪は逆立ち、まるで怒りの炎のようだった。

 ヒルドは血に濡れた金髪を掻き上げて冷笑する。


「下国の民草が、数に任せればエンブラ王家に勝てると思ったか。死を賜るは至極当然であろう」

「黙れ化け物! 芝居がかったその悪態ごと叩き切ってやる!」


 怒鳴るグエンの遥か後方、彼が通った森の一本道からトラックを先頭にした車両群が姿を見せた。

 トラックは20mほどある砲身を持つ榴弾砲を牽引し、5台のモービルを従えて台地に進入する。

 牽引式榴弾砲の一団は台地に入りすぐさま展開、榴弾砲を地面に固定し戦闘準備に入る。

 目前のグエンと、新たな台地への侵入者を一瞥するヒルド。

 彼女はそのどちらも脅威とは見なさなかった。

 笑みを浮かべたまま、ヒルドは真っすぐグエンを見つめ、アウルカ兵の亡骸を蹴り飛ばす。


「千か? 二千か? アウルカより駆けつけた貴様の同胞は何匹死んだ? 貴様が斬った我が兵の何十、何百倍だ? よくも抗ったものだが、エンブラ王家の前では無意味よ」


 ヒルドはアウルカ兵の下に埋もれたエンブラ兵に視線を落とした。

 すでに息を引き取った将校の襟元に、泥にまみれた金色の勲章を見つけ、ヒルドは目を伏せる。

 グエンは黒髪の房を胸元にしまうと、腰の刀を引き抜いた。

 アラベスクにも似た銀炎の装飾を施された黒拵えの鞘から、蒼氷の如きクリアブルーの刀身が露わになる。

 刀を高々と頭上に掲げ、怒気を放つグエン。


「黙れ! お前のせいでカガミは死んで……ユーゴを騙して、皆を……!」


 ゆっくりと開かれたサファイア色の瞳は、グエンの表情を認め、すっと細められた。

 人の熱を感じさせない彼女の瞳に見据えられ、グエンの背には寒気が走る。

 グエンは手にした刀を思わず構えなおした。防衛反応とも呼ぶべき行為だったが、後方のアウルカ軍は、グエンのそんな一挙手一投足を注視していた。

 グエンが同じアウルカ側であると見て、彼を砲撃に巻き込むまいと見守っていたのだ。

 接近戦の動きがないと察し、牽引式榴弾砲の砲身が火を噴く。

 轟音と共に曲線の軌道を描いて放たれた高速の榴弾が、グエンの遥か頭上を越えてヒルドへ飛来した。

 迫る砲弾を目で追いながら、着弾の瞬間までヒルドは笑みを崩さなかった。

 素早く身を伏せたグエンは、モービルの陰へと退避した。グランディアの車体を盾にうずくまり、着弾による爆風を凌ぐ。

 榴弾の衝撃で吹き飛ばされ、戦場に散らばるあらゆる破片がモービルに直撃し、重厚な車体に弾かれた。

 轟音と衝撃に飲まれながら、グエンはその手に握る濡焔が共振していることに気づいた。

 だが、ヒルドから発せられる強烈な違和感の前に、小さな気づきなど消し飛んでしまう。


 肌に纏わりつく濃密な悪寒だった。グエンはモービルの陰からヒルドを目視しようとするが、爆炎に包まれその姿は見えず、声だけが聞こえた。


「王の威を解せぬ、痴れ犬どもが」


 言葉が終わるよりもはやく、突風が煙をかき消した。

 グエンは右腕をかざして目元を覆いながら、ヒルドの姿を探す。


「いない? どこに」


 榴弾の着弾地点には、何もいなかった。

 円形に地面が抉られ、黄金の甲冑が地面に散らばっているが、ヒルドがいない。

 グエンは慌てて周囲を見渡す。

 直後、頭上で大きな羽ばたき音がしたかと思うと、突風にあおられ、180cmを越える筋肉質なグエンの体が軽々と舞う。

 一瞬の浮遊感の中で、グエンは大きな翼をもつ生物が飛んでいるのを目撃した。


「鳥? にしちゃでかすぎる!」


 グエンが着地するのとほぼ同時、地響きを立て、後方に何かが着地した。

 共振する濡焔を手に、グエンは咄嗟に振り返った。

 そこにはあったのは、轟音をまき散らして走る半人半獣の女の背。

 四本の脚と尾をもつ金色の獅子のような体躯から、新雪を思わせる白い肌の女性の上半身が生えている。その一糸纏わぬ人の背には、金色に輝く八枚の翼。

 背を向けて、羽ばたき飛び上がる人外の姿に、グエンは呆気に取られてしまった。


「金髪の女……あの化け物女が、本物の化け物になりやがったのか……?」


 グエンの右手に握られた濡焔が、甲高い音をあげて微かな振動を続けている。

 鳴りやまぬ刀が何に反応していたのか、グエンは悟った。


「俺の手に負えるもんじゃねえ……なんて言うなよ、ここまで来て……」


 翼を得た戦姫は、文字通り純白台地の空を駆けた。

 神代の獣を顕現する乙女に仇なす、その愚者を屠るために。

 ほどなくして、2km先の森の入り口に布陣した部隊から火の手が上がった。

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