0-24.裏切りの代償①
コテツは土地勘を頼りに、路地裏の細い通路を縫うように走り、クロイド遺構へと至る最短ルートを辿った。
エンブラ兵の侵攻は大通りを中心に進んでいるらしく、裏道にまでその手はまだ及んでいない。
途中、他の隊員が乗り捨て、横倒しになったモービルを見つけたことで行程は大きく短縮されたが、射撃音を避け続けた結果、いくつかの区画を迂回せざるを得なかった。
普段であれば、ゴカ村の中心を見下ろす丘を越える。
だが今回は、エンブラが侵入した北西とは正反対の地点を選び、銀霧峡の対岸道を回り込んでいた。
ゲン爺の管理小屋、その直下に位置する銀霧峡大橋。
ここを渡ればクロイド遺構に入り、関係者用の登坂路をモービルで駆けあがるだけだ。
銀霧峡の崖沿いをひた走り、橋のたもとへと滑り込む。
そのとき、橋の入口に、人影がひとつ、動かずに立っているのが見えた。
「あとは橋を渡るだけ……? ユーゴ!」
橋の入口で、門を塞ぐように立っていたのはユーゴだった。傍らにはグランディア。
「やっぱりPFGを使って正解だった。第一支部から、遺構のてっぺんは直通だからさ」
ユーゴは笑顔を浮かべ、背後の銀嚢山を親指で指し示す。
彼の言う通り、ギンノウ山の麓には第一支部があり、そこから護国王広場まではPFGで直通していた。
コテツは、その言葉の意図を掴めず、困惑したまま視線を返す。
「何言ってんだユーゴ? ……中隊長のお前が、なんで一人でこんなところに。それに」
なぜユーゴがグランディアに乗っているのかを尋ねようとし、コテツはモービルから降りた。
その瞬間、ユーゴの隊員服が血に濡れていることに気づき、息を呑む。
「血だらけじゃないか! エンブラにやられたのか!」
「いやいや、オレは無傷さ。エンブラ兵とも戦っていないし」
「無傷? それじゃあ、そっちも仲間が……?」
「ライフルじゃダメだ。やっぱり、ボンナイフは手ごたえが違う」
ユーゴは手にしていた銃を地面へ放り、ボルト・オン・ナイフを引き抜いた。
「オレもなんだかんだで、剣に思い入れがあるってことさ」
噛み合わない会話に、コテツは戸惑いを深める。
ふと、ユーゴの握るボルト・オン・ナイフのブレードに、乾きかけた血が付着しているのが目に入った。
「エンブラの兵士を? わざわざ銃を使わずに、ボンナイフで……?」
「だから、オレはエンブラと戦ってないって」
ユーゴは、静かに首を横に振る。
コテツはその真意を掴めぬまま、必死に思考を巡らせた。
そのとき、カンカラ社長の言葉が脳裏をよぎる。
――内部から手引きしている奴がいる
「……まさか、お前じゃないよな、ユーゴ、エンブラ側についてるやつって」
「ん、なんで知ってるのさ? あ、おやっさんか。あの人の人脈なら、まあ不思議じゃない」
「ほんとにお前が? なんで……いや、誰を斬った? まさか、ゴカ村の人を?」
「……コテツ、お前がよーく知っている人さ」
コテツは、震える手で刀を抜いた。
血の付いたコテツの刀身を見て、ユーゴは安堵の息を漏らす。
「寮近くの戦闘、ちゃんと殺したんだ。安心した」
「なんでそれを……ユーゴ、お前どうしたんだ! おかしいぞ!」
「コテツにはわからないさ。いつも分厚い透明な膜を感じる。世界が遠く感じるんだよ。何をしても実感がわかなかった」
「何の話だ? ほんとにおかしいぞお前! 俺と話をしろよ! 目の前の俺と!」
「心の話さ。こういうのは、離人症とか、現実感消失症って言うらしいけどさ。でも、あの時、あの瞬間、生まれて初めてこの世界が現実なのかもしれないって希望が見えた気がした。肌を焼くような強い現実感が、オレにも多少あったんだよ」
「何を言って……。あの時って、ユーゴ、何の話をしてるんだ?」
「コテツにはわからないさ」
コテツの目の前に立つユーゴは、もはや見慣れた幼馴染の輪郭を失っていた。
言葉が耳を抜け落ちていくような違和感に、コテツは狼狽えた。
「お、俺にはお前が隊長になって、本部に行って、悔しかったけど誇らしかった。ゴカ村の誇りだって言われて」
「オレはさ、大抵のことはなんでもできちまうんだ。努力もなにもしていない。だから、何の実感もない。楽しさも喜びも、達成感もない。で、アイツにも認められない。試しにでかく出世でもしたら何かかわるかと思ってたけど、気だるさしかなかったさ」
銀霧峡の対岸、ゴカ村の市街地方向から、ひと際大きな爆発音が轟いた。
一拍遅れて衝撃波が峡谷を駆け抜け、銀霧峡大橋を吊るワイヤーが激しく震える。
ユーゴはゆっくりと、燃えるゴカ村へ振り向いた。
「けど、今夜は何か変わる予感がする。あの化け物に会った時に、あの異質さ、くだらない日常が壊れることにこそ、意味があるのかもしれないと思わせた」
「予感? 化け物? 何を言ってるんだお前……どうしちまったんだよ」
「エンブラの姫に会ってさ。色々とわかっちまった説明をしているのさ」
「エンブラの姫? 何をわかったって?」
「だから、オレは越えるんだよ。ここから先が、オレの世界さ」
ユーゴはボルト・オン・ナイフで地面に線を引いた。
コテツとユーゴを隔てる、一本の線を。
「いや、言ってる意味がわからねえよ! ユーゴ。おやっさんが死んだ、ユニオンの仲間も、ゴカ村の人もたくさん死んでるんだぞ!」
ユーゴはボルト・オン・ナイフを持ち上げ、コテツへ切っ先を突きつけて制止する。
「生き死になんて論じてないのさ。……コテツ、お前は毎日が楽しいんだろ? オレはさ、色あせて変わらない毎日が苦しいんだ。臭い油の中を泳ぐみたいに不快で、退屈で退屈で、退屈で死にそうだった。けど、今夜、この時、紅蓮の怨嗟がオレを生まれ変わらせてくれる。きっと、さ」
「紅蓮の怨嗟……この騒ぎ……本当にユーゴが?」
ゴカ村を焼く炎は、空を覆う黒い雲を赤く照らしていた。
闇夜をねぐらに荒ぶる悪鬼のごとく、ゴカ村に吹き荒ぶ暗い風が、峡谷を越えて悲鳴を運んできていた。
「見ろよ、命ってのは、燃やさなきゃダメなのさ。空まで赤く染まっている。なんで気が付かなかったんだ。燃やすから、光って、目立って、心で感じられるのかもしれない。広場なんて、そりゃすごかったよ」
「燃やす……って……本当に……」
ユーゴは燃えるゴカ村から目を離し、コテツに振り返る。
赤く燃えるゴカ村を背にした彼は、清々しい満面の笑みを浮かべ、涙を流していた。
「さあ、あとはお前だけだ。お前こそ退屈な日々の象徴、お前が過去になれば、オレは明日へ進める。オレも生きてる実感が手に入る。おやっさんも、カガミも過去になった」
「……カガミがどうした? ゲン爺の所へ避難してるはずだ!」
「ああ、避難、してたよ」




